第16話終わりから始まり
「さぁ、新年まであと10分です!」
テレビの中のキャスターが声高らかにそう告げた。
今年も残りあと僅か。怒涛の12月を駆け抜けた俺はソファにて来るその時を待ち構えていた。
別に何かしたいという訳では無いが、毎年その瞬間のために起きている自分がいる。不思議なものだ。
「いよいよ今年も終わりね。長い一年だったわ」
隣でコーヒーを啜る玲奈がそう呟いた。その一言には計り知れない苦労や想いが詰まっている気がして不思議と興味が湧いた。
「…玲奈は俺が別れる前までは何してたの?」
「大体は湊くんの観察ね。それ以外は食事か寝るかの二択よ」
「食事か寝るかって…そんな廃人みたいな生活を?」
「えぇ。湊くんのためなら他の事なんてどうでもいいもの」
さらっと告げたことだったが、俺にとってはかなり衝撃的だった。
クラスでも完璧と称される程の彼女がそんな廃人のような生活をしているのが俺にとっては以外だったのだ。学校での彼女にはそんな様子は微塵もなかった。そこら辺は流石隠すのが上手い。
それだけ自分に尽くしてくれていたということにはなるが、なんだか申し訳ないという気持ちとちょっと怖いという感情が入り混じって変な感じだ。
「…少し無理しすぎでは?」
「愛というものは多数の犠牲の上に成り立つの。これもその一部ってことね」
犠牲というにはいささか重すぎる気がするが、玲奈にとっては軽いものなのだろう。飄々とした彼女の表情からそれが見て取れる。
「ま、こうして湊くんの隣に居られるのだから無駄ではなかったということね」
玲奈が肩に身を預けてくる。最初こそ警戒してばかりで近づくどころか距離をとっていたが、今ではその距離もなくなったに等しい。
彼女と過ごしていて気づいたことだが、彼女は俺が本気で嫌がるようなことはしてこない。…いや、ストーカー自体は嫌なことなのだが、生活の中では俺への理解度の高さゆえか嫌なことは何一つしてこないのだ。
疲れた時は寝かせてくれるし、最近は一人の時間も作ってくれるようになった。毎朝毎晩習慣化させられたキスを強要はしてこない。
家事もしてくれて、一途で、自分のことを愛してくれている。こうしてみると、超優良物件に見えるが忘れてはいけない。彼女はストーカーである。それもメンヘラの。
「…湊くん?貴方何か失礼なことを考えてないかしら?」
「…気のせいかと」
…少し気を抜いたらこれだ。
俺を観察し続けた玲奈は俺の思考パターンを読むことを可能としている。どういう原理かは分からないが、本人曰く愛なそうな。…愛ってそんなに万能だったっけ。
「その顔は嘘よ。私に隠し事が通用するとでも?」
「…すんません」
「ふん、許して欲しかったら愛しの妻の頭をナデナデすることね」
鼻を鳴らした玲奈が頭をぐいぐいと押し付けてくる。撫でろ、ということだろう。俺はいつも通りに優しく彼女の頭を撫でた。
これも彼女と過ごして分かったことだが、彼女は撫でられるのに弱い。
いつも何かあると撫でろと要求してくるが、撫で始めると嬉しさからか、息を荒げて喘ぎ始める。…変なことしてる気分になるからやめてほしい。
「はぅん…湊くん…♡」
…こんなふうに。
「玲奈はナデナデに弱いですね」
「なっ、そんなことは…あぅ、湊くぅん…♡」
「…」
「…きっ、気のせいよ…妻である私が、こんな初歩的なものに弱いなんて…」
俺に弱みを握らせたくないのか、玲奈は分かりやすくそっぽを向いた。一つ、使えるものを手に入れたのかもしれない。
「さぁ、新年まであと1分!みなさん、カウントダウンの準備を!」
いつのまにか時刻は23時59分。新年がすぐそこまで迫ってきていた。テレビでは豪華絢爛なスタジオで既にカウントダウンが始まっている。
「いよいよみたいですね」
「今年は良い一年だったわ。来年は湊くんともっといい一年にしてみせるわ」
玲奈は悔しさが残る表情でそう胸を張った。ムキになっているその姿が新鮮で、思わず微笑んでしまう。
「…来年は二人で沢山思い出を作りましょう。私以外のことを考えられなくなるぐらいに濃密で、甘い思い出を」
「はい。期待してますよ」
きっと来年も俺は彼女と共に過ごすのだろう。なぜたか分からないが、そんな気がする。
未だに傷の残るこの心は彼女を欲している。少なくともこの心の傷が癒えるまでは彼女の隣に。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1…ハッピーニューイヤー!」
ついにカウントダウンが終わり、派手な演出と共に現れるテロップ。新年が始まった。
「あけましておめでとう湊くん。今年もよろしくね」
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
二人で改まって挨拶をする。少し気恥ずかしいが、それと共にようやく新年が来たのだなと実感する。
二人で微笑みあったところで玲奈が話を切り出した。
「…湊くん。さっき言ったことは覚えてるわよね?」
「二人で思い出を作る、ってやつですか?」
「えぇ。今年は私と湊くんで沢山思い出を作るの。その始めとしてね…どう?」
玲奈がおもむろに取り出したのは小さな箱。その箱に刻まれているのは0.01という数字。でかでかと書かれたその数字は中に入っているそれの薄さを示すもの。
ここまで言えば分かるだろう。アレだ。
まさか、という驚懼にも似た感情に俺はいきなり固まってしまった。
「…それは、まさか…」
「えぇ。そのまさかよ。"始め"にはぴったりでしょ?」
ふふっと妖艶な笑みを浮かべる玲奈。愛と欲に塗れたその瞳が心なしかハート型に歪んでいるように見えた。
「一応聞きますが、逃げることは」
「…分かってるでしょ?」
…ですよねぇ。
「…お手柔らかに」
「えぇ。それじゃ、行きましょう。私達の愛の巣に」
新年早々山場を迎えた俺は彼女と共にベッドへと沈んでいった。
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