第15話お前しばくぞ

「それ何書いてるんですか?」


「婚姻届よ」


 おっと、真っ昼間から地雷を踏み抜いてしまったようだ。

 時刻は午前10時を回ったところ。やることも特に無いためテレビでチャンネルを切り替えては数秒後に切り替えるを繰り返していたところで隣で玲奈がなにかを書き始めた。

 徐に書き出すから何かと聞かざるを得なかったのだが、まさか婚姻届だったとは。とんでもないトラップに飛び込んでしまった。大口を開けるサメに向かってダイブしたようなものである。

 …いや、これ下手したら『お前なんていつでもお婿さんにできるんだぞ』っていう新手の脅しなのでは…?


「近いうちに書くようになるものよ。練習はしておいて損は無いわ。湊くん、ここに名前を」


「えぇ…まぁ練習だしいいか」


 指定された欄に名前を記入していく。…なんか変な感じだな。


「ありがとう。これで私も月凪家の一員なのね…湊くんと、おんなじ名字…♡」


「…あの、盛り上がってるところ悪いっすけどそれまだ練習ですからね?」


「喜ぶ練習よ。これも…湊くんのお嫁さんになるための…んぅ…♡」


 …大丈夫かなこの人。数日前まで頼もしいとか思ってた自分がおかしく感じてくる。

 忘れてたけどこの人俺のストーカーなんだよな。なんで俺こんな人部屋に入れて当たり前のようにくつろいでるんだ…今からでも警察に突き出した方がいいのでは。

 

ピンポーン


 ん、宅急便か…?


「あ、仁奈が来たみたいね」


 どうやら玲奈が昨日頼んでおいた課題を仁奈が持ってきてくれたらしく、玲奈は玄関へと向かった。…あの女には俺も色々と言いたいことがある。俺も行くとしよう。


「はーい…」

 

 玲奈が内鍵を開けて扉を開く。暖房で温かい部屋の空気に外の冷たい空気が吹き込んでくる。

 目の前に立っていたのは、あの特徴的な紫の髪色とは程遠い張り付いた笑顔が鼻につくあいつだった。


「あ、湊!お前どうしたんだよきn…え?」


「…え?奏音?」


「…だから言ったじゃん」


 まさかの男の登場に困惑する俺。…なんでこいつがここにいる。

 奏音の背後から呆れたようなため息と共に仁奈がひょいっと顔を出す。なにか訳ありな雰囲気だ。


「あら、珍しいお客さんね?湊くん?」


「…俺は呼んでませんよ」


「はぁ…とりあえず寒いから入らせて」


「あぁ、どうぞ…」






「…で、どういうこと?」


 リビングへとやってきた俺は玲奈の隣に座り、仁奈に問いかけた。

 仁奈の隣には未だに理解が追いつかず、固まったままの奏音。こんな時でも顔がいいのがムカつく。


「…先生に私が届けに行くって言ったら、俺が行くって。止めてもついてくるし、もう仕方ないかなって」


「この家への迂回ルートは全部教えたはずよ?それはどうしたのよ」


「…276個も教えられたら全部すっぽ抜ける」


 …どこでそんな数見つけたんだよ。俺でもしらんわ。ストーカーって怖い…


「なら強引に痴漢にでもあったフリでもすればよかったじゃない」


 考えること凶悪過ぎるだろ。本当にこの人は一体どんな生活をしてたんだ…


「…イケメンには弱い」


「面食いですか…」


「面食いじゃない。…じゃない」


 ほんのりと頬を赤らめてそっぽを向く仁奈。そこは自信持てよ…下手な反論は肯定することと大差無いぞ。

 

「…っは、お、おい湊、どういうことなんだよ!」

 

 ようやく理解が追いついてきたのか、奏音が俺の肩を掴んだ。

 意識は戻ってきたものの、脳のリソースは足りていないのか未だ困惑の色は拭えない。

 …まぁ、考えてみれば友達が彼女に捨てられて元気なくしてると思って家に行ってみれば出てきたのは学園のマドンナだし、婚姻届け書いてるしで困惑しても致し方がないような状況だ。むしろ、しない方がおかしい。


「おいやめろ揺らすな…言っても無理なのは分かってるけど一旦落ち着け」


「落ち着いてられるかよ…最近様子がおかしいと思ったら、なんだよこの状況…」


「奏音くん、気持ちは分かるわ。でも、一旦落ち着いて聞いて」


「玲奈さん…」


 あたふたして落ち着かない様子の奏音に静止をかける玲奈。奏音が落ち着いたところですぅっと息を吸い、ワンテンポ置いて話し始める。


「私と湊くんは夫婦なの」


「え?」


「おいちょっと待て」


 こいつ最速で地雷を踏み抜きやがった…!奏音がまた思考停止しちまったじゃねぇか。…なーんでこの人は誤解を生むようなことを…


「玲奈、その説明はまずいでしょ」


「なにがまずいのよ?いつかは周知の事実になることよ?」


「…玲奈は、説明が下手くそ」


「そんな…おい、湊!お前がいなくなったら誰が俺と放課後にマックに行くんだよ!!!」


「知らねぇよ。適当に誰か誘っておけ。…てかもっとほかに言うことあるだろ」


 戻ってきたと思ったらこの男は…ほんとに心配してんのかこいつ。

 

「…奏音くん、玲奈と湊くんは付き合ってる。失恋の悲しみを玲奈は癒やしてる」


「玲奈さんが…?」


 見かねた仁奈が横から奏音に補足を入れる。不思議なことにまとめ役は彼女だ。

 未だにこの状況を疑っている奏音が玲奈に懐疑的な視線を向ける。

 その視線に応えるように玲奈は口を開いた。


「えぇ。…正直、卑怯な手だとは分かってるわ。でも、好きな人を放っておくわけにはいかないの。やり方はどうあれ、私の気持ちは本物よ。だから、湊くんの事は任せて」


 玲奈の言葉には一切の偽りもなかった。それを証明できる証拠は存在しない。完全に直感だ。

 だが、俺は知っている。彼女の奥底は驚くほどに純粋であるということを。そこにあるのは『好き』という唯一つの乙女の純情であるということを。


「…玲奈さん、信じていいんですね?その言葉」


「えぇ。もちろんよ。私の誇りにかけて誓うわ」


 自信に満ち溢れたその眼には一切の曇りも無い。先程までの変人と同一人物とは思えないほどに頼もしく見える。あぁ。こんなんだからだよ…


「…湊は落ち込みやすいですから、慰めてあげてください」


「えぇ。上も下も慰めて上げるわ」


 …それはやめて欲しい。


「湊を、よろしくお願いします…」


「えぇ、任せておいて」


「お前は何様だよ…」


「いいお友達じゃない湊くん。いい友人というのはなにものにも代えがたいものよ」


 もはや半泣き状態になっている奏音。隣で仁奈が背中をさすっている。…こいつほんとになにしに来たんだよ。心配してくれてるのは分かるけど…


「あ、それと奏音くん。このことは口外しないようにね。したら…私達破局ね」


「えっ」


「なっ…わ、分かりました。このことは口が裂けても、言いません。…幸せになれよ湊ぉ…」


「そんな泣くな…別にもう会えないわけじゃないから…」


 …この人はほんとに人を手玉に取るのが早いな。とはいえ、こいつも俺の事心配してくれてるんだな。なんだか、少し歯がゆいような、嬉しいような。

 こいつが人の事を心配するような奴だったとは。


「うぅぅ…湊ぉ…俺より先にまた彼女作るなよ…俺が惨めになるだろぉ…湊ぉ…」


「お前しばくぞ」


 …やっぱ見当違いだったみたいだ。

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