第7話脱出の糸口

「湊、久しぶりにマック食いに行こーぜ」


「あ〜…」


 HRが終わった直後、前の席の奏音がくるりとこちらを向いてそう言ってきた。

 なぜ俺が数少ない友の遊びの誘いに曖昧な返事を返しているのかというと、他でもないこちらに目を光らせている彼女への危惧である。


 玲奈にとらわれる以前までは奏音と遊びに行くことはしょっちゅうとは言わずともそこそこあったのだが、囚われの身となってしまった今ではその回数も激減した。彼女はどうも俺を離したくないらしく、奏音との外出すらも許してくれない。全く、これだからストーカーは。


 しかし、ここでくじける俺ではない。この機会を物にすれば危機脱出の緒がつかめるかもしれない。ビッグチャンスなのだ。交渉してみるだけの価値はある。

 

「なんだその返事。どっちなんだよ」


「…ちょっと待っとけ」


 彼女との交渉を開始しようとスマホを取り出したところで画面が揺れる。そこには彼女からのメッセージが。


『たまには羽を伸ばしてきて。その代わり、夜遅くまで妻を待たせないことね』


 …どうやら今日は機嫌がいいらしい。昨日2時間ぶっ通しで頭を撫で続けた甲斐があった。

 

「…行くか」


「よっしゃ、久しぶりに行くか〜今の限定のやつめっちゃうまいらしいぞ」


 掴んだこのチャンス、絶対にものにしてみせる…!




「最近、只野がさぁ〜…」


「…」


 チャンスを掴んだのはいいものの、これと言ってすることがない…脱出の糸口が掴めたわけでもないし…いや、待てよ。奏音に匿って貰えば…ダメだ。奏音にまで被害が及ぶ。いくら親友といはいえ問題ごとに巻き込むわけには…


「おい、湊?」


「…あ、わりぃ、何?」


「…はぁ。できるだけ和らげてから言おうと思ってたけど、その様子だと無意味みたいだな。もう言うわ」


「…?」


「真中先輩から瑠璃奈ちゃんの事、聞いたぞ」


 奏音の言葉に俺は目を見開いた。背筋がぴしゃりと凍りつく感覚。ぞわっと這い上がってくる不快な感覚が俺をその場に縛り付けた。


「最近様子がおかしいと思ったら、こういうことかよ。…言っておくが、真中先輩はお前と瑠璃奈ちゃんの関係に気づいてなかったっぽいぞ」


「…」

 

 奏音から告げられた言葉に俺は無言をもってして答えた。

 別に、真中先輩を責めるつもりはない。たとえ真中先輩が悪かったとしても、俺はあいつのせいにしたかった。そうすることで現実から目を逸したかった。


「…振られた、か」


「…あぁ」


「そんな事するやつには見えないんだけどな。瑠璃奈ちゃん。人は見かけによらないってか…」


 耳を塞ぎたくなるような事実。あいつが、瑠璃奈が俺を捨てたという事を裏付ける事実。どうしても許せなくて、どうしても嘘であってほしい。

 でもそれは悲しいことに現実であって、受け止めるべき事実。それがどれだけ辛いことだったとしても。


「まさか、捨てられるとはな。寄りにも寄ってこの時期に…」


「…俺にはお前の苦しみも分からないし、その傷も癒やすことだってできない。でも、何も一人で抱えることはなかったろ?」


 奏音の意見は一理ある。だが、俺はそうしなかったのにはれっきとした理由がある。巻き込みたくなかったとか、一人で嘆きたかったとか、そんな詩人的発想でも、プライドを守るための逆張りでも、ヤケになっていたわけでもない。


「なんで俺に教えてくれなかった?俺ら親友だろ」


「…てた」


「え?」





「…忘れてた」





「…は?」


 うん。まぁその反応になるよね。俺だって信じられないもん。どこぞのストーカーのことで頭がいっぱいで奏音に話すの忘れてたなんて。


 失恋の傷は今でも癒えていないし、心には穴が空いたような喪失感が残っている。でも、それ以上に強烈なのが同棲し始めた玲奈の事だった。

 いつでも俺の思考に割り込んでくる彼女という存在は、俺から失恋という事実を度々忘れさせる程に強烈だ。何をもってしても拭いきれないその狂気はまさに底なし沼といったところか。


「…何忘れてたって」


「そのままの意味だよ。…忘れてた」


「失恋忘れるなんてことあんのかよ…やっぱお前変だぞ?なにか他にあるだろ。…例えば、玲奈さんの事とか」


 唐突に出てきた彼女の言葉に俺は肩を跳ねさせた。我ながら分かりやすい反応だ。

 彼女の名前を迂闊に出すのは状況的にも良くないだろう。失恋からの同棲強いられて妻ができましたなんて言っても奏音の脳みそがキャパオーバーになるだけだ。名前を出してはいけないあの人と同等の扱いをしなくては。


 …いやでも待てよ?一人ぐらいはこの状況をしってる奴がいたほうがいいのでは?すべてとは言わずともこの状況を把握できるぐらいには…

 

「…実はさ」


「おん、実は?」


「…玲奈さんに」


 そう決心して言いかけたところでテーブルに置かれていたスマホが揺れた。どことなく漂う嫌な予感。きゅっと締まる心臓。拍動がうるさくなってきた。

 画面には、案の定玲奈からのメッセージが。


『それ以上余計なことは喋らない方が身のためね」


 …なんだ?はったり…なわけないか。こんな絶好のタイミングでできるかよ。だとしたら…


「…おい?湊」


 急に視界に飛び込んできたその存在に俺は言葉を失った。

 いつもは見ないパーカーに帽子を深々とかぶり、極めつけにはサングラス。髪型はいつもは下ろしているが、今日は少し変わってハーフアップになっている。

 俺は失念していた。彼女がそう安安と外に出してくれるわけがない。なんてったって彼女は筋金入りのストーカーなのだから。なぜ信じた数十分前の自分…

 俺の存在をしっかりと捉えたその瞳とばっちりと目が合う。そして彼女は口をパクパクと動かした。


『ざ・ん・ね・ん・で・し・た』


「…わりぃ奏音。話はまた今度だ」


「は?ちょちょい、湊ー!?」


 俺は食べかけのポテトを置いて駆け出した。




「はぁ、はぁ、はぁ…まだ、まだ間に合う…」


 彼女が家にいない今ならまとめておいた荷物をもって逃げれるはず…!そのためには追いつかれずに、最短で家まで…!まだ、間に合うはず。


「残念だったわね」


「…は」


 鮮烈に俺の耳に届いたその声は驚きと共に絶望をもたらした。予想していた中で、最悪の事態だ。


「私がいない隙に家に帰るのは良い判断だったわね。でも、もう少し近道しても良かったんじゃない?」


「…裏道通ってきたんですか」


 くっそこの人俺よりここらへんの土地を理解してやがる…ストーカーの本領発揮か。どうやら俺の選択はいつの間にか彼女が有利な勝負に持ち込んでしまっていたらしい。


「湊くんは蜘蛛の巣にかかった蝶なの。逃げることはもう不可能よ♡」


 上澄みを取り除いて残ったドロドロの愛にまみれた彼女の瞳は俺をしばりつけて離さない。その目はまさに狩人。俺という絶好の獲物を逃すまいと立ちはだかる狂気の狩人だ。

 あぁ、母さん。俺はあなたよりも早くあちらへ行きそうです。

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