第6話 教師の喧嘩は命懸け

 そして翌日。


 絢雲は茉莉花まつりかカレンと睨み合っていた。


 血臭と野次馬のざわめきが、魔導院の中庭からさざ波のように広がっていく。


「あなたはまた、反省もせず、人を殺したのね……ッ」


 紫めいたピンク色の双眸を剣呑に尖らせて、絢雲の正体など知っていると言わんばかりに、カレンが唾棄する。


「私は殺してない。お前たちが勝手に言い立ててるだけ」


 そんな彼女を、うっとうしいと絢雲も吐き捨てた。しかしその顔色は悪かった。


 言いがかりから逃れたくて、でも呪われているのというのなら、解呪を望んで魔導院へやってきたのだ。……入学許可証をもらった時、光明が差したと思ったのに。


 カレンは憎しみと、相手を小馬鹿にする感情が、綯い交ぜにしたような表情で絢雲を見下げた。


藻琴もこと教師、あなたの貧乏舌でも美味しく感じられる食事を作って、それで薬学の担当になったそうよね。あなたに親切をして、そして亡くなったのよ! これで何回目だと思っているの!?」


「だからそれは、お前たちが勝手に言ってることでしょ!? 私は何もしてない! お前たちがそう思うから全部そう見えているだけ! 人を勝手に死神扱いしないで!」


 絢雲は苛立ちのまま、無意識に魔法を使った。ぴくりと指先が動き、細くて見えない糸が鎌首をもたげるように揺らめく。


 カレンも無意識にそれを感じ取って身構えた。その時。


「なにをやってやがる!」


 戸隠とがくし教師の声が響いた。両者の肩がはねる。絢雲への叱責と思われたが、それはすぐに違うと判明した。


「いつまでやがんだ! 藻琴、てめぇ、俺への当てつけか!?」

「……?」

「……うるせぇなぁ」


 むくりと、死んでいたはずの教師が起き上がった。


「ヒッ!?」


 近くにいた一年生が悲鳴を上げる。


 絢雲も驚いた。人々の注意が教師に移ると同時に、人垣から引っ張り出される。


「静かに。こっちだ」

「燕飛、なに、あれ」


 腕を引かれながら、絢雲は衝撃から抜け出せないまま喘いで言った。


「よくある喧嘩だ。言っただろう、命懸けだって」

「ほ、本当に、死んでた!」

「教師は魔導院では死なない。生徒はその限りではないから、気をつけておけ」


 どうやって通っているのか、人気のない入り組んだ細道を抜けていく。


「わ、わたし、呪い……!」

ドツボにはまるぞ。君の呪いは君自身も理解しているはずだ」


 着いた先は梦真むまの研究室だった。院生の彼は自室の他に研究室を持つことを許され、魔導院の隅の方に構えていた。他の生徒から聞かれたくない話をするのに、もってこいの場所である。


「邪魔する」

「お、お邪魔、します……」


 家主は居た。

「災難だったみたいだね」

 と言って、読書に戻っている。


「さい、なん……。燕飛、わたし……!」


 梦真が口を開いた。


「落ち着きなよ。君のそれ、要は気の持ちようでしょ。思い込むほど厄介になる分、解呪はした方がいいけど、取り立てて神経質になる必要もない。だから君も、入学に踏み切れた」

「そうだけど……」


 言い当てられて口籠る。しかしカレンが大事にしたせいで、絢雲の話は知れ渡ったはずだ。


 この呪いは人の数だけ強固になる、厄介な性質がある。だが梦真が言うように、個人の気の持ちようで、呪いの実現性は落ちた。


 それでも呪いは外的要因によって発動する。絢雲にとって、コバエを振り払う動作が伴うような、人間の業を煮詰めた鬱陶しい呪いだ。


「そんなどうでも良いようなこと、気にしないでおきなよ」


 継雪も話を聞きつけたのか、絢雲の後から姿を現した。


「継雪、王族なんでしょ。燕飛に守られてるのに」

「形だけね」


「守られておいて?」

「そういうことになるね」


 継雪の声は柔らかながら、頑なだった。絢雲も癇に障って彼に詰め寄りそうになったが、話の対象であるはずの燕飛が紅茶を差し出してきて気が削がれる。


「梦真、コーヒーがなかったが」

「実験してる植物が発芽したと思ったら、コーヒーの類を全部食べられた」


「コーヒーだけか?」

「コーヒーだけ。かろうじて別に保管していた分は無事だったが。また一から栽培だ」


「その植物は?」

「燃やした。目当ての物がここにはもうない、と分かると外に出ようとした」

「また典型的な」


 燕飛と梦真は絢雲に起きたことなど、もう忘れているかのように喋っていた。絢雲は自分の身に起きたことが、夢だったのではないかとさえ思えてくる。


 夢ではなくとも、絢雲が思うよりずっと気にする必要がないのかもしれない。


 なにが本当に大事かなんて、分かりようもないが。


 さっきまで言い合っていた継雪は、淹れられた紅茶を優雅に飲んでいる。


「君にかかってる呪いって、今のところ僕らにとっては燕飛の負担が軽くなるものなんだよね。解呪は手伝ってもいいけど、そう悲嘆にかられて居なくなられたら、燕飛にまた負担が増えて困るんだよね」


「……そういう、利害」

「気休めかもしれないけど、少なくとも君のためではないよね」


 継雪は冷たく言い放つ口振りだったが、それすら絢雲のためでもあるように聞こえた。


 そのために絢雲は視線を落とす。


「うん。……かもね」


 言って、立ち上がる。燕飛に、ここで一呼吸置かせてもらったと分かる。その分、外に出るのは怖いが、今の流れでなければ一人で立ち上がる機会を逸しそうだった。


「あの。ありがとう」

「送ろうか。授業は同じだし」


 燕飛が振り返る。絢雲は首を横に振った。


「ううん。いい。お邪魔しました」


 そう言って外へ出て、眼前に藻琴教師がいた。絢雲は飛び上がった。


「ももも、藻琴教師!?」


「やあ、さっきはすまなかったね。呪いをかけられてるんだって? ――ふん。なるほど。自然発生的な呪いだな。君自身の不運は呪いにかかってしまったことくらいなのではないか?

 もしなにかあっても、後は全部呪いのせいにしておきなさい。この手の呪いは怨念が溜まりやすい場所にいたとか、環境が悪いことが多いからな。君のせいではない」


 春の日射しを連想させる爽やかな緑色の髪が、藻琴の雰囲気をより明るく見せているようだった。


 絢雲は彼女の圧に押されて一歩下がった。


「あの」

「うん? ああ、つまりだな、ここでは呪いの被害が実際にどうなのかなど気にせず、学院生活を謳歌したまえ、ということだ。ここは魔法と魔術を統べる魔導院。望めば望むだけ、解呪の術はきっと見つかる」

「……?」


 絢雲は一瞬眉をひそめた。教師の言葉が、意味深な台詞に聞こえる。それを分かっているのか、教師はふっ、と微笑んだ。


「私は歓迎する。しかし、せっかくだ。細かいことはそこの王族に聞くといい」


 ではな。と、話すだけ話して教師はいなくなった。


 帰るに帰れなくなった絢雲は、困惑しながら振り返る。正面からは梦真が見えて、カップに口をつけて本を読んでいた。継雪は端にいるのがなんとなく分かる。燕飛だけと目が合った。どうする? と聞かれているように思えた。


「さっきの藻琴教師はアフターケアに来たのだろうが、ああ言ったあたり、目をつけられたと言っても良いだろうな」


「説明、もらえるわけ……?」

「望む分だけ」


 燕飛は頷く。


 絢雲は今日もまた、朝からまともに授業を受けらないだろうことを悟った。

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