第4話 バラ色学校生活?

 バラ色の学校生活が待っているのではないか。


 幸先の良さに、絢雲くくもはそう思った。


 先日の入学式では梦真むまという先輩の研究室で軽食をもらった上、燕飛えんひという先達に、


「入学は問題ない。君も、許可証を強奪した彼女も、自力でここまで来れる逸材はむしろ歓迎される」


 と言われたのだが、それが本当だったのだ。


 その日の夜、教科書など最低限必要な物が絢雲に与えられた個室に、もう届けられていた。魔導院は全個室で、不要な心配をする必要がないのも良い。食事は自炊か食堂になるが、選択肢があるだけ平和だ。


「おはよう、絢雲」


 魔導院での、初めての授業。初めての教室で、絢雲は自然と頬をゆるめていると、燕飛が隣に座った。


「おはよう、燕飛。昨日はありがとう」

「この人?」


 燕飛の後ろから、梦真とは違う、絹糸を束ねたような銀髪でポニーテイルの少年がひょっこり顔を出した。絢雲は、燕飛とどことなく面影が似ているような、と思考がかすめる。


「継雪」


 燕飛が、咎めるようにその名を呼んだ。銀髪ポニーテイルの少年は、燕飛を挟んだ隣に座った。


「初めまして。光雲継雪こううんつぐゆきだよ。昨日、僕の入学式に来ないと思ったら、君と喋ってたんだってねー」

「……初めまして」


 助けを求めて、つい燕飛を見る。彼は微苦笑をこぼすように、目をすがめた。


「これの護衛が、俺が留年した理由だ」

「あっ。呪い……」

「うん。そう。燕飛は一足先に入学して、魔導院のことを知る仕事をしていたんだよね。そして今年は僕のお守りをするべく、また一年生をやり直しているってわけ」


 絢雲は最初、燕飛との時間を奪われたことに怒られているのかと思ったが、継雪の話しぶりは高圧的な雰囲気とちぐはぐに感じる。


「自虐的に話すんだね」

「自虐的にもなるさ」


 指摘は事実だったようで、継雪は大きく頷いた。


「お互い王位継承権なんてないのに、生まれ方一つで、護衛する者と、される者に分かれるんだから、嫌になるよね」


 絢雲は、自分が知っている殿上人の話と継雪の話の間に、なにか違うものを感じ取った。しかし、それが何であるか分からないので、率直な感想を述べる。


「王とか貴族とかって、なんだか面倒なことばっかりしてる」


 燕飛は今度こそ、微苦笑の吐息をこぼした。


「上の家族が下の家族を守っていると思えば、そう不思議はないだろう」

「それなら分かる。ていうか、燕飛って王族だったんだ」


 道理で、顔が良いわけである。絢雲は、一人勝手に納得する。


「一代限りの王統だ」


 感情のこもっていない言葉だった。


「そういえば、君だけ緑のマントだけど、制服、間に合わなかったの?」


 ふいに継雪が、絢雲の格好を見て言った。絢雲以外、燕飛も継雪も、一年生は黒檀のローブを羽織り、留め具に青い石をはめ込んだブローチをつけている。


 絢雲は、ばつが悪い顔で身を縮こませた。


「届いてたけど、なんか、着るの嫌で……」


 出身地では生まれた階級によって、着られる服が限られてくる環境だったが、絢雲は昔からそうやって押しつけられることが嫌いで、今だって絢雲の生まれでは着用禁止の服を着ているのだ。


 届いた制服はそのことを彷彿とさせるので、義務となればなおさら着たくなかった。


「ますます、ここの教師に好かれるタイプだな」


 訳を聞いた燕飛は、ひとりごちた。



 その教師の一人が、予鈴とともに教壇に立った。


 第一印象は暗い、の一言だった。それから絢雲は、自分以上のボサボサ頭で、しかも鳥の巣ができているのを見つけて、ぎょっとした。焦げた鉄の鍋に鳥が巣を作っているような風体。鳥はいないが、髪の毛で作られた巣は間違いなく実物だ。服装も、生徒と同じ黒檀のローブに見えるが、かなり色褪せている。


「そこの後ろ三人以外、朱黒院しゅこくいんと両隣の二人以外だ、外周走ってこい。三周」


 開口一番、思わぬ言葉が放たれ、外周を言い渡された教室に戦慄が走る。


「両隣って、私と継雪だよね……?」


 絢雲はそっと隣を覗った。燕飛の名字は覚えている。朱黒院。朱黒院燕飛。それが彼の名前。その両隣は絢雲と継雪。


「なにをボサッとしてる。魔法使いも体力勝負だ。技術がねぇんだから代わりに体力の一つでもつけてろ」

「入学して、初めての授業ですよ!?」

「今日は薬学です! どのように技術がないとおっしゃるのですか!」


 しかも、まだ本鈴は鳴っていない。


「うるせぇ。俺に無駄な魔力マナを使わせるな」


 教師が低く声を発するや否や、横の空間が歪んだ。鉄扉が現れ、不穏な空気を醸し出す。


「ヒッ」


 明確な脅しに、不慣れな生徒たちは怯んだ。一人、また一人と席を立った。絢雲から離れた前の席にいたカレンが、立ち上がり絢雲を睨みつける。絢雲は、バーカ、と口パクを返す。自分が走らずに済んだ理由は分からないが、睨まれる筋合いもない。


 教師が追い立てたせいで、教室の生徒は三人を除いてあっという間にいなくなった。


 そうして本鈴が鳴り、さてこれからどうなることやら、と絢雲がため息をついていると、二人目の教師が現れて教室を一瞥し、先にいた教師に向かって叫んだ。


「おい、戸隠とがくし! 薬学は私だろう! なにを勝手に授業始めてやがる!」

「俺の授業だ。てめぇはとっとと失せな。クソ女」

「失せるのは貴様だ。文字も読めないクソ男が」


 絢雲は教師二人を観察した。戸隠という男教師は、文字が書かれた教科書を手にしていた。決定事項があり、それを破ったのが男なのだ。


 女教師は、男教師とは正反対で、明るい、というのが第一印象だった。日差しを遮る木の葉色の短い髪は、爽やかな空気を含むかのように、柔らかくうねっている。


 どちらが教師となって欲しいかといえば、断然、女教師と言える。しかし絢雲は、いがみ合う二人に落胆の色が隠せなかった。


「ねぇ、魔導院の教師って、みんな賢者なんだよね?」


 燕飛はうなずいた。


「戸隠教師は、性格の資質を問わないタイプだ」

「女の人は?」

「……あの二人は、犬猿の仲、みたいなもので。藻琴もこと教師はあれで人格者タイプだ」

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