鈍感男は空でカメラを

ギブミーアイデンティティ

第1話

 寒々しい木々が立ち並ぶ中、道端に一輪の鮮やかな花を見つけ、フィルムカメラで「カシャ」と音を立てた。立ち上がると、これまで一本道だった登山道が分岐していた。写真部の活動で山に来ていた時のこと。一言も喋らず撮影していたので、部員を置いて片方の道へ進んでしまった。歩みを進める度に、先程の様な花が増えていく。開けた所に辿り着くと、最初に空が目に入った。曇り気味だったのが、青々としていた。一面青であろう写真を撮り、顔を下ろすと今度は色とりどりの花が一面に咲き乱れていた。一本一本が誇り高くその顔を上に向けている。夢中になって撮りまくる。セットしていたフィルムが無くなった事に気づいた時、ようやく手が止まった。フィルムを交換していたら、後ろから声をかけられた。


「何をしているの?」


 とても穏やかな声。ふわふわとした感覚を覚える。振り向くと声の主が佇んでいた。白い瞳に白い肌、そして白い髪。神秘的な外見に、思わず目を奪われた。


「あなたを撮影してもいいですか?」


考えるより先に口が動いた。女性の顔が引きつった。いきなり不快だっただろう。しかし、彼女は快く撮影に応じてくれた。


 立っているだけの写真、花を見つめている写真、遠くを見つめる写真。他にもかなりの枚数を撮った。撮影し終えると、彼女はカメラにとても興味を持ち始め、「それが何なのか詳しく教えてほしい」と言われた。説明にかなり手こずってしまったが、彼女は納得した表情をして、「あなたはフィルムカメラの方が好きなのね」と言った。

「ああ、はい、そうなんです。……変ですよね?」

言われたらこう返そうと決めていた言葉を口にした。しかし、彼女の反応はいつもと違った。


「それが好きなのでしょう? 私はすごくいいと思うわ」


「…本当?」

「ええ」


「…ああ、そうですよね! やっぱりそう思いますよね⁉」

思わず叫んでしまった。共感してくれたのは、彼女が初めてだったから。


 俺はフィルムカメラが好きだ。何回も普通のカメラを使ってみたが、その気持ちは変わらなかった。フィルムカメラ特有の持った感触。フィルムを巻き上げている時。セットしてシャッターを切った時の「カシャ」という音。どんなものが撮れたのか現像するまで分からない、特別なワクワク感。これらの全ては、フィルムカメラじゃないと味わえない。


でも、今まで俺の気持ちに共感する人はいなかった。


 今から七年前、両親が誕生日プレゼントにフィルムカメラを買ってくれた。小学校では放課後に、中学校からは写真部に入り、毎日撮り続けた。部活中に同級生から「なんでフィルムカメラ使ってんの?」と聞かれ、良さを話した。


「セットとか面倒くさそう。撮った時の音とか別に気にしない。普通のやつの方がよくない?」


という乾いた反応が返ってきた。その時、俺はまともに他の部員と関わった事がほとんどないな、と思った。他の部員はいつも皆で喋りながら活動していた。


その後母親にも、


「フィルム代と現像代が勿体無い。普通のカメラにしてよ」

と言われた。


 母の顔にはわだかまりがあった。前々からこう思われていたのか。どうして気づかなかったのだろう。俺は、こんなに鈍感だったのか。


 それらの事を口に出してしまっていた。急いで彼女に謝ろうとした。


「好きという気持ちは変わらないのだから、それでもいいじゃない」


彼女は当然のように言った。


「この場所には私以外誰もいない。私もここから出られない。寂しかったわ。でも、この場所は本当に綺麗で、好き。そう考えたら寂しさは消えたわ」


 彼女の言葉にハッとした。周囲にどう思われても、俺はフィルムカメラが好きで、今も彼女を撮影したのだ。彼女に感謝を伝えた。体がこの景色に溶け込んでいく感覚がした。


 彼女に「そろそろ戻ります」と言うと、彼女は目を丸くさせた。

「持ってきたフィルムが無くなって、もう写真が撮れないんです。あと一緒に来ていた人達を放置してて、流石にまずいので…」

「…そうよね、分かったわ。本当に楽しかった、ありがとう」


彼女の美しさが際立つ笑顔だった。しかし寂しさを強く感じさせた。彼女の寂しさは、きっと消え切っていないんだ。


「俺、写真を現像して、またここに戻ってきます。写真を差し上げるので、待っていてください」


彼女の顔から寂しさが抜けた。「待っているわ」と彼女は呟いた。

 いつの間にか、山の麓で部員達といた。特に何かあった訳でもなさそうだった。俺は普通に山頂に到着し、下山していたみたいだ。


 そして今日、再び山に来た。道中の風景には目もくれず、先へと進んだ。しかし、異変に気付いた。あの花が元あった所にない。道も一本道のまま。歩みを進めると、普通に山頂に辿り着いてしまった。なんとなく分かっていたが、やはり俺の鈍い感覚は今確信した。あの場所、あの女性は、俺にとってのユートピアだったのだろう。

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