研修医と、賭け

 フユゴモリは、人間の腹腔内に子を産み付ける。子は数年をかけて成長し、寄生された人の腹を破って外に出ると、海へと飛び去ってゆくと言われている。彼らの体は透明であり、人間には視認することができない。昔から、腹腔内の子を手術で取り出したり、駆虫薬を投与するという試みが何度も行われて来たが、全て失敗に終わった。寄生された人はフユゴモリに内臓を圧迫されて様々な症状を呈し、腹を破られることは致死的となり得る。今の最先端医療でも、救命できるのは患者の半数だ。寄生を防ぐ手立てもない。


「ねえ、先生って恋人いるんですか?」

 彼女の病室に通い始めてから二週間、そんなことを聞かれた。賭けをしようと言ったときと同じ、不敵な笑みだった。

 彼女からは、場合によっては失礼とも取れるような言葉ばかりを投げつけられる。けれど、不快にはならなかった。私にぶつけることで少しでも楽になれるのなら、本望だった。初期研修医である私にできることなんて、話し相手になることぐらいしかない。

「いませんよ。恋人いない歴イコール年齢なので」

「女の医者ってプライド高くて、男に嫌われるって言われますもんね。先生なんて化粧もしてないし、やぼったくて芋臭いし。子どもの頃から勉強しかやってこなかった青春ゾンビなんでしょ」

 そう言う女性の笑顔に、私に対する嘲笑ではなく不安や自己嫌悪を感じ取ったのは、勘違いなのだろうか。私は微笑んでみせる。

「そもそも私、レズビアンですから」

 女性の表情が凍った。笑みが消え、戸惑ったような声で

「そんなこと、私に打ち明けて良いんですか?」

と呟いた。

「あなたに嘘はつきたくないですからね」

「そう……」

 それっきり彼女が黙ってしまったので、私は頭を下げて病室を出た。

 レズビアンであることを打ち明けると、良くない反応をされることは良くある。けれど、正直な所、どうでも良かった。同性愛者であることは、この国では何ら社会的な障害となり得ない。それよりもむしろ――

 私には別に、絶対に隠さないといけないことがある、そのことの方が精神的な負担だった。


 翌日、彼女の病室のドアをノックすると、いつもとは違う暗い声が返って来た。

 ベッド上で上半身を起こした彼女の顔を、黒髪が隠している。泣いているのだろうか、と思った。

「あの、ご体調はいか――」

 彼女がぱっと顔を上げる。表情を読み取れない青ざめた顔。

「ねえ、先生。私、あとどれくらいで死ぬの? 嘘はつかないんでしょ」

 何も言えなかった。

 彼女だって分かっている。インターネットだけじゃなくて専門職や論文にも手を伸ばして、自分の病気について調べ尽くしているのだ。

 誰にも分からない。彼女があとどれだけ生きられるのか。

 私が答えを持っていないことを知っていて、きいている。

 だから、答えなかった。

「質問を変えます。先生はこの前の賭け、どっちにかけるの?」

「あなたが五年後も生きていることに賭けます」

 彼女が、笑った。そのつり上がった唇の上を、涙がすっと流れた。

「……賭けになりませんね」


 病院の裏にある小さな庭には、鯉の泳ぐ池と季節ごとに違う花が植えられる花壇がある。

 池の際に立って、揺れる水面をぼんやりと眺めながら煙草を吸っていると、背後で足音が鳴った。井口だろう、と思う。

「あの患者さんの退院後フォローの外来、明日で最後なんや。ヒロノ、同席するか?」

「なんで私が」

「感謝してたで。あの先生のおかげで生きられたって。会いたがってた」

「私は何もしてない。会いたくもありません」

 嘘を、ついた。

 会ってしまったら、本当に自分に何かができたのだと勘違いしてしまいそうで、それが嫌だった。


【つづく】

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