研修医、自己嫌悪する
病院の三階には、まあまあ広い売店がある。そこでは近隣にある個人経営の弁当屋やパン屋から仕入れた様々なお弁当が置かれていて、私は毎日違うものを購入している。
今日は何にしようかな、と棚の前を行ったり来たりしていると、たまたま隣にいた人と軽く体が触れてしまった。
「ごめんなさい」
「こちらこそ、ごめ――」
その若い女性のお腹は大きく膨らんでいた。臨月が近い妊婦さんだろうか。
あるいは。
私の戸惑いに気付いたのか、彼女は目を伏せ顔を背けた。
私は頭を軽く下げ、近くにあったお弁当を引っ掴みレジへと向かう。嫌な予感がしていた。
うつむいたまま足早に廊下を進み、休憩室に入ってようやく息をつく。そして、自分のあまり好きじゃない麻婆豆腐を買ってしまったことに気付く。
「井口に売ったろうかな。自分は昼抜きで」
「うちがどうしたって?」
ギョッとして振り向く。いつの間にやら後ろに立っていた井口は、いつもと同じ浮かない顔をしていた。
「新しい患者さんが入院して来たで。ヒロノも担当に入れてるから、昼食べたら挨拶して来よし」
「麻婆豆腐好き?」
「嫌いちゃうけど」
「じゃあ、その菓子パンと交換してくれん?」
きょとんとする井口。
結局、無理してなんとか自分で麻婆豆腐を完食し、病室へと向かう。個室のドアをノックすると、「はーい」と若い声が返ってきた。
「失礼します」
「あれ、さっきの先生じゃないですか」
ベッドの上で横になっていたのは、二時間前に売店で会った女性だった。布団の上からでも、お腹の膨らみが分かる。
思わず身じろぎする。私の動揺に気付いたのか、女性は暗い顔でうつむく。
そのお腹の中で眠っているのは、人間ではない。
フユゴモリ、という妖精の幼生である。
ブラインドの隙間から、白い光がさんさんと差し込む。何もかもに色がない、ここでは。
「研修医のヒロノと申します。担当の一人になりました。これから毎日、お顔を見せていただこうと思います」
はい、と彼女は堅い顔で返事をした。
「何か困っていることはありますか?」
「別に何にも」
自分でも、最悪な第一印象を与えてしまったと分かる。態度と言葉で、彼女を傷付けてしまったことを悔やんだ。自己嫌悪に沈みそうになったとき、
「ねえ、先生。賭けをしませんか?」
「は?」
「この病気の五年生存率って、50パーセントらしいですね。私がどっちの半分に入るか、賭けをしましょう」
そう言う彼女の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
【つづく】
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