元敵国に嫁いだお飾りの皇太子妃は、初恋の彼に想いを馳せる
花雨 宮琵
第1話 突然の婚約解消
アングレア王国、
「ヘレナ!! このとおりだ。私たちの婚約を解消してほしい」
「……『折り入って話がある』って、もしかして、このことだったの?」
「謝って済むことではないと思っているが……本当に、すまない。俺にできることは、何でもする」
「国王陛下や王妃様の許可は得ているの?」
「昨日、話をしてきた」
「――だったら、私から言うことは何もない」
「……許してくれるのか!?」
「許すも何も、私が拒否したところで、婚約の解消は確定事項なんでしょう?」
「ヘレナ……何と言ってよいのか」
「そこは『ごめんなさい。ありがとう』でしょ。それで? どうして結婚式の3か月前になって突然こんなことを言い出すわけ?」
「くっ……
「はぁ――!? 妊娠させちゃったの?」
「……」
「信じられない」
「本当にごめん」
「誰に対する謝罪よ!?」
「ヘレナ」
「それだけ?」
「ヘレナと、アン夫人」
「それに、ヴィクトリア様と彼女のご両親、国王陛下に王妃様、私たちの挙式準備を進めてくれていた関係者各位、ひいては使用人の――」
「そのとおりだ。面目ない」
「どれだけ自分が影響力のある立場にいるかが、身に染みて分かったでしょう?」
「あぁ」
「それにしても――お祖母様が聞いたら、激昂しそうだわ。寿命が縮んだりしたら、ランスロットのせいだからね!?」
「本当にすまない。アン夫人には、直接謝罪に向かわせてほしい」
「慰謝料はた――っぷりいただきますからね? 高い授業料だと思って個人資産から払いなさい」
「……わかった」
「それで? ヴィクトリア様はどちらに? どうせ近くで待機させているんでしょう?」
「向こうで待たせている」
「あ、そう。じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
「っヘレナ!? 彼女は何も悪くないんだ。手荒な真似は――」
「他人の婚約者を寝取った女が、何も悪くないはずないでしょう! 馬鹿なの!?」
私――ヘレナ・ラッスルの16歳の誕生日に、婚約者である第一王子のランスロットに王宮へ呼ばれ告げられたのは、婚約解消のお願いだった。
たしかに、婚姻の3か月前になっても彼を異性として見ることはできなかったけれど、それでも、裏切られることはないと思うくらいには、彼のことを信頼していた。
密かにヴィクトリア嬢のことを慕っていることは知っていたから、婚姻後、折をみて側妃として迎えれば良いかと思っていたのに。
なのに、あのバカ王子!!
バンッと乱暴に扉を開けると、一瞬、私を見て狼狽えるような表情をしたヴィクトリア嬢が立っていた。
ヴィクトリア・コールネイ。
由緒ある侯爵家の令嬢にして防衛大臣が溺愛する一人娘。
陶器のような白い肌に、折れそうなほどに華奢な身体。
王国人にしては背が高く、全身に程よい筋肉がついている私とは正反対の、小柄で庇護欲をそそる外見をした彼女は、どこからどう見ても深窓の令嬢。
彼女のような箱入り娘が、王国の第一王子であり、3か月後に筆頭公爵家の令嬢である私との結婚が決まっているランスロットを寝取ろうとなんてするかしら? 並大抵の神経の持ち主じゃ、できないわ。
――きな臭いわね。
「っヘレナ様。この度は、私のせいで、本当に申し訳ございません」
「何とも薄っぺらい謝罪ね。貴女のその貧弱な胸元くらい、薄っぺらいわ」
「っ」
「ヘレナ!? それとこれは関係ないだろう?」
「大いにあるわよ! その身体で殿下を籠絡したのでしょう? で? 今、何か月目なのかしら?」
「……2か月目です」
「ふ――ん。じゃぁ、これからサイズアップが期待できそうね?」
「ヘレナ、さっきから何の話をしているんだよ」
「ウェディング・ドレス。もう出来上がっているのよ。別のものが良いなんて贅沢、許さないわよ? 支出元が王家にしろ侯爵家にしろ、国民の税金であることに変わりはないんだから」
「……話が見えないよ」
「私とヴィクトリア様は背丈も違うけれど、胸のボリュームが圧倒的に違うのよ! でもまぁ、妊娠したらサイズアップすると聞くし、長さだけお直しすればよさそうね」
「……ヘレナ、それって――」
「愛し合っているんでしょう? 陛下も、コールネイ侯爵も、みな貴方たちの婚姻に賛成なのでしょう? だったら、良いじゃない。花嫁が変わるだけよ」
「ですが、ヘレナ様は……」
「あのねぇ。私の心配するくらいなら、こんな式の直前に寝取るような真似、しないでくれる?」
「も、申し訳ございませんっ」
「ヘレナのことは、俺が責任をもって何とかするから」
「へぇ――。ランスロットが責任をもって私の将来を何とかしてくれるんだ。どういうふうに? あてでもあるの?」
「いや、それは、今から……そうだ、ヘレナの理想って、筋骨隆々の騎士系だったよな?」
「……なんで知ってるのよ」
「よく言ってたじゃないか。昔、助けてくれたヒーローに憧れてるって」
「……変に記憶力がいいんだから」
そう。
今から6年程前。アングレア王国とネウステリア帝国とが激しく戦っていた頃。
国境沿いの領地を治めているサーフォーク公爵の一人娘だった私は、
孤児院を訪問していた時、戦の混乱に乗じてやってきた賊に攫われて、他の子どもたちと一緒に両手両足を縛られた格好で小さな小屋に閉じ込められたのだ。
大声を出して抵抗すると、脅しのために皆の前でヒュッと剣を一振りされ、額に冷たい感覚が走ったのと同時に、意識を手放した。
「……か?」
「大丈夫か?」
目覚めると、敵国である帝国軍の赤いマントを身に纏った優しい瞳をした青年がいて、私の背中を支えて水を飲ませようとしてくれた。
私はそれを、咄嗟に吐き出した。
「大丈夫だ。毒は入ってない」
その青年は自ら水を口に含むとゴクリと飲んでみせた。それを確認してから私は、ゆっくりと水を口に含んだ。
「利口な子だ。……手当はしたが、応急措置にすぎない。傷が残らないようにきちんと医者に見せるんだ。いいね?」
「大丈夫だ。無事に家へ帰してやるから。もう少しの辛抱だ。頑張れ」
そう言ってずっと私を励まし続けてくれた。
あの時助けてくれた帝国軍の青年は誰だったのか。
探したくても、低音で静かに響く声と、ごつごつとした剣だこのある
ただ彼が、祖母と同じ、美しい帝国語を話す人だったことだけが、やけに記憶に残っている。
20代半ばとおぼしきその青年に、私は恋をした。
当時の私は10歳そこそこだったから、早熟だったのだろう。
次に目が覚めた時には、お屋敷の自室に寝かされていた。
全てが夢の中の出来事だったような気がしたのに、額に残る傷が現実の出来事だと物語っていた。
ランスロットと婚約してからも、私はずっと、あの時助けてくれた青年が大きくなった私を迎えに来てくれることを夢見てきた。
そして今、この瞬間、これまでで一番、彼が現れて私を助け出してくれることを願っているかもしれない。
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