バビロニカの巡回3

 私は何故、自分の過去を思い返しているのか。

 組織に拾われた時や、仕事のこと。人を殺したこと。それ以前のこと。飽きるほど反芻した事柄が、まだ私の頭の中を巡っている。

 きっと、死ぬからだ。走馬灯というやつか。死に際に思い出す過去のことを、走馬灯に喩えているらしいが、本物の走馬灯なんてもう誰も見たことがないのに、まだ死に際の甘美な思い出を走馬灯に喩えるのは、滑稽で単純だと思った。

 ここは、船の倉庫。寝そべっているから平衡感覚はわからないが、なんだか傾いているような気がする。均等に穴を空けたはずなのに、うまく沈まないもんだ。

 まだ死ぬまでに時間はある。それが酷く退屈だった。急に予定が空いた日みたいに空虚だった。

 顔が痛い。あの女に蹴られたから。機械の腕からは、もう酸は流れ出ていない。もう貯金が無くなったらしい。もう買うこともないと思うが、それはそれで私らしさを失ったまま死ぬみたいで寂しかった。

 人の気配がする。

 なんだ。あの両腕が機械剥き出しのサイボーグ女か、左腕を飛ばしてくる女、それか耳が異常に良い女、それら以外の誰かが、私を捕まえに戻って来たのか。

 愚かだな、もう船も沈むっていうのに。

 私は目を開ける。

 そこには知らない女がいた。

「……誰よ、あんた」私は訊く。敵意も警戒心も、なにも湧いて来なかった。

「……内生蔵です」女は名乗った。乗客だろうが、私は乗客の名前なんて殆ど知らない。もちろん、顔も知らない。「あなた、殺し屋?」

「そうだけど、もう死ぬと思う。動きたくない」

「ねえ、救命ボート、あるんだけど、乗って」

「はあ? 何言ってんの。乗らないよ」

「お願い。あなたが必要なの」内生蔵は両手を合わせた。「あなたのことは、施設とかいう人たちの会話を聞いてて知ったの。ここにいるっていうのも、それで知った」

「だから何なんだよ」

「ねえ、殺して欲しい人がいるの。船を沈めてくれたのもあなたなんでしょ? 毒を撒いたのもあなた?」

「毒は違う。スタッフの畳家だよ。あいつ、あんたたちにへらへらしておきながら、裏では裏切ってたんだよ」

「ううん。恨んでない。感謝してる」内生蔵は不思議なことを言う。「私、イエシマ社員の娘だから、イエシマのことが嫌いなの」

「……殺して欲しいってのは」

「私の父親。イエシマの、偉い人なの」

「……金なんか用意できないでしょ、あんた」

「でもあなたを助けられると思う」

 ふん。鼻で笑いそうになったが、この女はイエシマのコネクションを使えると言うことか。そうなると、実現可能な事は、思うよりもずっと多いだろう。

 だからどうしたって言うんだ。

「もう廃業だよ、殺し屋は。二度も失敗した人間、組織も生かしておくわけないし。ここで死ぬって決めた。あんたみたいなお嬢様は、さっさと逃げたほうが良いよ」

「じゃあ……私が雇う。殺しに必要なものがあれば、私が買ってあげる」内生蔵とかいう女は、引き下がらなかった。よほど、日常に戻りたくないのだろうか。「私……広告モデルをやってるから、収入はある。住むところがないなら、家で匿う。だから、お願い……父を殺して」

 …………。

 なにが、この女をそこまでさせているのか。

 このまま死のうと思っていたのに、この女に興味が出たと言うよりは、こんな船の状態で私に固執する、この女のバカさ加減に呆れて、私はついに身体を起こしてしまう。

「あんた……そんなに父親が嫌いなら、なにかされてるってこと? どっか相談に行ったほうが良いよ、殺すとか、そんな手段に出る前に」

「……父親は……強権的」内生蔵が話し始める。時間の余裕は無いっていうのに。「モデルの仕事も、将来的にはやめろって言われてるんです。イエシマの仕事を継げと、言ってくるんです。私の全てを、決めつけてくるんです。ひとつひとつの言動が癪に障るんです。休日は何もしないクズです。何もしないくせに、モデルで人気の出ている私を見て、教育を間違えたとか呟くんです。小言が多いです。酒ばかり飲んでいます。イエシマのことしか考えていません。もう、嫌なんです。この旅行も、あの父親の顔を立ててこの船に乗っただけなんです。私を機械化能力者にしたのもあの男です。もう……全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部………………嫌になりました。お願いします。私を助けて」

「……………………私なんかに縋ると、後悔しかないよ」

「それでも良い。もう、殺し屋と知り合える機会なんて、無いからお願いしてるの」

 ……まだ、

 生きろってことか。

 人を殺すのが、私の天啓だったし、それが間違っているなんて思いたくもない。

 天岸は、笑顔で乗客を見捨て、御部善区の住人を壊滅させた。

 それと私の仕事、何も違いはないじゃないか。

「言っとくけど、まず治療しないと話にならない。米国で、人目につかない闇医者とか、機械技師とか知ってる?」

「私、米国は詳しいの。そういうコネクションもある」

「じゃあ、まずこの機械腕と、包丁で裂けた生の腕を治療しなきゃね……」私は、もう使うことはないと思っていた足を使って、立ち上がった。「救命ボートは何処?」

 米国か……。

 半ば、その地を踏めることはないんじゃないかって思っていた。

 現実になるなんて、人生って不思議。



 翌日、イエシマからの捜索隊に拾われて米国に着いた私は、まず両腕を治療した。

 左手は、こんな状態でも大した怪我ではないらしく、傷口を縫って、治療薬を塗って、そして包帯でも巻いていれば、あとは無理しない程度に自由にして良いと言われた。

 右手は機械化用のパーツを改造して、酸の分泌が速やかに行えるようにしていれば、別になんでもよかった。内生蔵が呼んできた技師が優秀だったのか、治療を受けてその日には元通りになった。ついでに、私の使っている特殊な酸も、内生蔵がイエシマの分社から盗んできた。私はほぼ、完治していた。

 内生蔵の米国の住まいは都市部にあった。それなりの一軒家だった。別荘のようなものだと彼女は説明した。ES30ワードから、さほど離れていない。組織の連中に尾行されていないか、背後を確認しながらここへ向かったが、まだ感づかれていないらしい。

 まず初めにやったことは、内生蔵の依頼だった。父親が、丁度良くこの家に顔を見せるので、そこを酸で殺してほしいと言った。死体処理業者とも連絡がついているし、会社には急に行方をくらませたことにすると、内生蔵が説明した。そのカバーストーリーは、急造で考えたような感じすらしたが、まあ後処理のことは、私の仕事の範疇ではない。

 いざ父親が来ると、あっけなく目的が達成された。一瞬にして、内生蔵の父親は単なる肉塊になった。上手く行けば、この程度の手際で人を殺せるのに、どうして船では上手く行かなかったのか、私は不思議になってしまった。

 その後は死体を処理して、会社に説明をして、内生蔵が帰ってきたのは夜になってからだった。私はその間、内生蔵の家でじっとしていた。

 帰って来た彼女は、いままでに見たことがないくらいに、幸せそうな笑顔を浮かべていた。人を殺すことが、人の幸せに繋がることもあるなんて、理解していなかったわけではないけど、ここまで嬉しそうな人間を見るのは初めてだった。

 彼女の笑顔を見ていたい、なんて感じるのは普通の人間の、普通の感情なのだろうか。

 その夜は、内生蔵とくだらない話をして、彼女を知っていった。思ったよりも、ずっと普通の、可愛らしい女だった。彼女は、父親がいなくなった世界で、自分がやりたいことを私に聞かせてくれた。

 広告モデルとして、米国の大都市の、一番大きなディスプレイに、自分の姿を写したい。それが彼女の、素朴で巨大な夢だった。

 なら……私はその夢を素直に応援しよう。

 彼女が、イエシマから、殺し屋を雇ったことを怪しまれでもしたら、この腕で守ってやっても良い。くだらない人間が、彼女の価値を理解しないようだった、この腕で脅しても良い。

 そうやって生きるのも、悪くはない。普通の人生ではないけれど、でも、私に出来る範囲では、もっともマトモな生き方なんじゃないかって思った。

「峰崎さん、もう殺し屋なんかやめて、ここで暮らそうよ」

 そう彼女が言ってくれた事もあった。そのくらい、彼女とは、何故か波長というものが、妙なレベルで合致する瞬間があった。

「危険よ、殺し屋なんて……峰崎さんが一番わかってると思うけど……でも、こうやって、溶け込んで暮らしていくことも出来てるじゃん。ねえ、私なら、稼ぎは十分にある。側にいて、私を守ってくれたって良いでしょ?」

 満更でもないな、と思う。

 殺ししか向いていなかった自分に、こんな生き方があるなんて。

 今までの、人を殺して回る生活は間違っていたとすら思う。

 彼女との生活は楽しかった。そのまま二日間は、自分でも驚くほど平穏に過ぎていった。

 なにが人殺しだ。もうあんな血生臭い世界に、身を置かなくて良いのか。

 普通に生きるって、なんて清潔なんだろう。

 それから、米国に来て三日。

 急に、物騒な手紙が届いた。

 ――峰崎。畳家を始末してください。報酬:あなたの失敗を許します。 畳家の居場所は……

 これは、組織からの指令。

 私は見捨てられていなかったが、これを逃せば、確実に消されることはわかった。

 畳家を殺す。組織が何故その判断に至ったのかは、よくわからない。知ったところで、理解も出来ないだろう。

 従おう。畳家の機能はたかが知れている。毒ナノマシンを散布するだけだ。しかも、確実に体内に入れないと、その効力は無い。

 ――せっかく普通の人生を味わったのに、どうして人殺しに戻る?

 内生蔵の顔。

 嬉しそうな、内生蔵の顔。

 このまま指令を無視すれば、彼女だって巻き込んでしまう。世に存在する犯罪組織と言うやつが、よくやる常套手段だった。大切なものを奪おうとすれば、どんなやつでも動くだろうという人間の心理に則っている段取りだった。

 とにかく、やろう。指令をこなして、それからまたこっそり違う場所に二人で逃げよう。うちの組織は、大した規模ではない。日本と米国の隅に間借りしているだけの、弱小組織だ。もっと辺鄙な……欧州や北欧、中東なんかに逃げれば、追ってくるネットワークなんかない。

 でも、内生蔵の仕事は……夢は……

 いや、後で説明すれば良い。命のほうが大切だろう。安全な地で、広告モデルの撮影ができれば、それで良いんだ。

 畳家はES30ワードのアパートに潜んでいた。ボロいアパートだから、侵入するのは簡単だった。

 小細工も面倒だった。私は畳家の部屋をノックした。

 顔をのぞかせた畳家は、私の顔を見て驚く。

「み………………峰崎……?」

「はあい。組織があんたを殺せって言うんで」

「な……」

 畳家は下がる。両手を私に向けて。

「どうして! 私は……ちゃんと天岸を殺したじゃないの! 組織もそれを望んでたんでしょ! 私も、だから、計画を立てて! どうしてよ! ちゃんとやったじゃない!」

「さあ。知らない。私が船を沈めたからじゃないの」

 そういう勝手な派手さは、組織の嫌うところであると、私は理解していた。

 まあ、だから私は船を沈めたんだけど。

「お前のせいか! お前…………なんてことを! 私のせいにして! お前!」

「まあ仕事だからさ、こっちも好きでやってるんじゃないんだよね」

 右腕を降る。

 酸が飛ぶ。

 畳家の目に入る。

 叫ぶ畳家。

 そこに、顔に、右腕を伸ばす。

 たったそれだけで、あれだけの人間を死に追いやった、畳家は死んだ。

 ああ、

 呆気ない。

 可哀想。

 いや、何も感じない。いつも通りだった。

 そのいつも通りが、妙に引っかかる。

 私は…………

 内生蔵を応援したいんじゃないのか。

 何をやってるんだ。

「何を……………………私は、何を………………」

 こんなこと…………

 何も感じないことが、急激に気持ち悪さに変わっていった。

 どうして私はこうなんだ。

 どうして。

 どうしてこんな生き方しかできないんだ。

 なんで内生蔵みたいに、清潔に生きられないんだ。

 結局……。

 そうだ、結局のところ、これしか無いんだ。

 私は結局、こうやって生きていくのが、最も適切なんだ。

 ……行こう。

 もう、内生蔵のところにも、戻るのも悪い。私のような人間が、彼女の側にいてはいけないし、組織の人間に、彼女との深い関わりを知られたくもなかった。

 組織は抜けよう。逃げるのが良い。

 フリーランスの殺し屋に戻るのが良い。他の組織に顔を見せておけば、仕事くらいは回してくれるかもしれない。

 これからも、仕事で人を殺していこう。

 これが、私の正しいと思った生き方だった。

 その正しさを、誰が疑えるっていうんだ。

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