3

 天岸は彩佳を見て、段々と自分の惨めさを感じていた。

 はじめは、何を考えてるんだこの女、と思っていた。なんだか暗い女だと感じたし、それ以上の興味はなかった。

 しかし話を聞いているうちに、この加賀谷彩佳が友人のために本気で天岸を刺せるような覚悟の決まった人間だと認識を改めた。

 その必死さが、天岸には足りないものだった。

 そうやって、自分が正しいと思うことに盲信的になれるものなんて、天岸には無い。

 何をするのが正しいだとか、そう言うものを押し付けられるのも嫌だった。けれど、一番気に入らなかったのは、そう言うものがさっぱりわからなかった自分なのかも知れない。

 惨めだ。こんな感情を抱えるなんて。

 彩佳は、友人のためになんでもする。

 じゃあ自分は? 自殺をしようと思っていたが、こうやって生きながらえている。御部善を巻き込むのも悪いと思っていた。

 なんでそんな考えになってるんだ。

 今までの、奴らの行いを見ろ。

 自殺を躊躇っていた理由もはっきりしている。

 自分の死が、船にいるイエシマの奴らの利益になるから。自分が死ぬと、あいつらの毒が治ってしまう。

 もうナノマシン増殖機も沈んだ。あいつらが助かる道理はない。

 そうだ。もう天岸の死を、イエシマの奴らの誰も利用しない。

 自分の死。

 自分の死の価値。

 そんなものを、誰かに決められるなんて、クソだと思う。

 生きていれば良いという常套句も嫌いだ。生きるなんて、もう面倒だと思っている。

 彩佳を見ていて、ようやく決まった。

 自分にとって、もっとも大切なことは――

「……天岸さん?」

 彩佳は、立ち上がった天岸を不思議そうに見上げる。

「ねえ、加賀谷さん。私、決まったよ。私のやるべきこと。私の、なすべきこと。人生の意味が」

「ちょっと、何するつもりですか」

「加賀谷さんは、まだ私に生きていればどうとでもなるなんて、口にする?」

「いえ……あのときは、一般論で言いました」彩佳は目を伏せる。

「なら、わかってくれるよね」天岸は微笑む。「だから、私のお願い、聞いて」

「待ってくださいよ! なにか、なにか手はあると思います! だから……待って!」

「良いんだよ、加賀谷さん」

 天岸は、彩佳を抱きしめた。なんの理由もなくそうした。落ち着ける意味合いが、そこにあるのかどうかも、何も考えていなかった。

 耳元で、彼女に告げる。

「死体の回収はお願い。流れ出た血液にナノマシンがいることはないと思うけど、流血が酷いときは、念の為に、血液も回収して」

「天岸さん! なんの……何の話なのか、わかりません……」

「わかってるくせに……」

 そして満足をして、峰崎の方へ向かった。彩佳は、床にへたりこんだ。

 一歩一歩、なんの躊躇いもなく歩く。

 峰崎は、倒れた二條を上から踏みつけていた。

「なんだよ、研究者」峰崎はつまらなそうに言う。「あんたもいたんだ。ねえ、あんたは茅島ふくみの居場所、知ってる?」

「天岸さん、何やってるんですか!」二條は怒る。こうやってのこのこ出てきたバカな研究者に対して。「隠れてろって言いましたよね」

「二條さん、ごめんね。でも、他に手は無いし、他の手段を取るつもりもない」

「バラすんですか、茅島ふくみの居場所!」

「仲間を売ろうっての?」峰崎は笑う。「面白いじゃん、あんた。その情報、いくらで買えばいいの?」

 まあ落ち着いて、と口にしながら天岸は近寄る。峰崎に対して、抱擁でもするような歩みだった。

 悔しげな二條の顔すら、よく確認できるくらいに、峰崎の近くまで寄った。

 にこにこ笑う殺し屋がそこにいる。

 そうして、峰崎の、

 顔面を急に殴る。

「痛!」

「くたばれ峰崎!」殴り続ける。「お前を殺す事が私の最後の手段だ!」

 殴った。

 殴った。

 もともと怪我で酷い状態にあった峰崎の顔面を、更に殴った。

 けれど、

 精密女にここまでされて逃げおおせた、しぶとい女は名ばかりではない。

「天岸! お前!」

 峰崎は、酸の出る腕を天岸に突き刺すように出す。

 危険な腕。この腕で、死んでいった人間はどのくらいになる。

 でも天岸は、それを待っていた。

 峰崎の危険な腕を、

 掴んで押さえつけた。

 腕が溶ける。

「ああ!」痛い。どうでもいい。痛い。興味がない。痛い。痛い。

 知るか。知ったことか。

 もう生きている意味なんて無い。

 自分が今、目指すべきは、何かを成し遂げてから身体で感じる、理想的な死だ。

「この女トチ狂ったのか!」

 峰崎は腕に力を込める。機械化した腕というのは、総じて力が違う。

 腕が、天岸の腹部に突き刺さる。

 激痛。

 いや、激痛すら感じない。

 身体の中に異物が入ってしまっているのに、

 重篤な出血をしているというのに、

 不思議なくらいどうでもよかった。

「これで……腕は使えないでしょ」

 覆いかぶさるように。

「何考えてんだこの女!」

 地面を蹴る音。

 立ち上がった女。

 二條。

 彼女は足を持ち上げて、

 峰崎の顔面に叩き落した。

 腹に刺さっている腕の抵抗力が抜ける。

 ついに、あのしぶとさを振りかざしていた峰崎は動かなくなった。

 同時に、天岸も倒れ込んだ。

 仰向け。天井が見える。か細いライト。

 ああ、痛い。

 死ぬつもりだったけど、なんだか、こうも絶対に助からないって確信するような怪我を負うと、自分が可哀想になってくる。

 馬鹿みたいに腹部が濡れている事がわかる。

 知識としては知っていたのに、人間の肉体から、こんなに血が出るのか。

 体内から、ナノマシンは出ないと思うが、ここで体外に流出したら全部終わりだな、と思う。

 で、こんな無茶をして、なにか得られたものはあったのか?

 この胸に、満足はあるのか?

 二條と彩佳が、天岸に駆け寄る。

「なんで……」二條が、よくわからない表情で、声を漏らした。「なんでこんなこと……早く、医務室に」

「良いんだよ……別に……もう助からないし、助かりたくない」天岸は、痛みのために面倒だったが喋る。「死にたかったから……最初から言ってたでしょ……」

「だからって……峰崎に殺されることなんてないでしょ」

「私がいないと……あなたは終わってたよ、二條さん……」天岸が息を吸う。「やっと見つけたの……私が、何をしたいか」

「天岸さん」彩佳。「あなたの言うとおりに、死体から、ナノマシンは回収します。けど、誰に使えば……?」

「ああ、そうか、言ってなかった……」天岸は、とにかく笑ってみる「ナノマシンは、施設の人だけに使って……イエシマに関係する乗客は、全員見殺しにして」

 天岸の言葉に二條は目を丸くしたが、彩佳は黙って頷いた。

「私の望みはね……私の生きる意味は、もう誰かを生かしたいとか、そんなポジティブな目的なんて興味がないの。私が、今最も正しいと思えて、命をかけて人生に意味を見出せる行為なんてひとつしかないの……。私が気に入らない奴らを、一人でも多く地獄に道連れにすることだよ……」

「それで……あなたは、満足できましたか?」

 彩佳の問いに、天岸は考えた。

 痛みで何も考えられない。

 自分の死。それで失われる命を数える。

 イエシマ、御部善。あいつらの所業を数える。生活を数える。愛する者の数を数える。

 それが全部、パーになる。

 ははは。

「最高の気分だよ、彩佳ちゃん」



 思い出す。

 自分にかつて存在していた友人のこと。

 自分はもう死ぬ。最後に、あの子に会っておけば良かったのか。

 こう言う決断を下した自分を、あの子は咎めるだろうか。

 まあいいか、どうでも。

 意味のなかった人生に、あいつらを全員死に追いやることで、急に価値が発生した。それで良い。それだけでもう満足だ。

 でも、日付を思い出す。

 ああ、もうすぐちょうど約束の日か。あれから、また会おうって約束をしてから何年経った。もう数えられない。あの子は、まだあの木の下で、毎年毎年待ってくれているのか。

 だとしたら、申し訳ないな。

「ねえ……彩佳ちゃん……最後にひとつ、お願い」

「…………なんですか」

「君たちは、これからES30ワードに行くでしょう…………木があるの、大木。野原に。……見ればわかる……三日後の昼間にそこに行って…………女がいるはずだから……私が死んだから……もう来ないで良いって伝えて……」

「その人の、名前は」

「頼城っていうの…………変な女だよ」

「はい…………わかりました」

 天岸は微笑んだ。

 心からの笑み。

 なるべく、この顔面の筋肉を維持したまま、

 死ねると良いのに。

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