3・ヒートウェイブだから我慢した

1

 状況が最悪だ、と言うので私含めて、施設の全員が医師の部屋に集められた。

 医師はもちろんだし、美雪も精密女もいた。ベッドには相変わらず茅島さんと岩名地。どこをうろうろしていたのか、予備の腕すらいつの間にか失っていた二條。戸ノ内は今、両腕が無く、ぼーっと床に座っていた。

 倉沢が自殺した事実が、まだ私の頭の中をぐるぐると回っていた。あの死体の様子は、すぐに忘れられるものではない。別に、死体なんて見慣れているはずなのに、やっぱり実際に突きつけられると平気にはなれないらしい。

 私が去った後に医師が倉沢を調べたら、死因は首を吊ったことによる自殺で間違いはないと言った。この状況だと、自ら命を断つって言うのが、むしろ甘美な誘いなんじゃないかって思えてしまう。

 珍しく疲れたような顔をして、精密女は言った。

「状況はまあ、最悪です。自殺者まで出たって言うんですから、後に続いて何人かが同じような選択をしたっておかしくありません」

「そんなことはわかっている」医師が答えた。相変わらずタバコを吸い続けていた。「仕方がない、と言いたくはないが、どうにも今回は、捜査に邪魔な要素が多すぎる。そもそも私たちの目的はなんだ? 峰崎を取り押さえることだろう。なのになんでこんな毒事件を追いかけているのか、不思議でしょうがないね」

「申し訳ありません」二條が頭を下げた。「私が至らないばかりに」

「いや、そう言う意味じゃない……」医師は慌てる。「すまん。苛立っているんだ」

「そうですよ、ちあきさん」精密女が口を挟んだ。「私だって捕まえるまでは無理でしたよ。腕もお陰でこんなことに……」

「あの……」私が口を開いた。三人は私を見た。緊張を覚えながら訊いた。「えっと、茅島さんの様子に変わりは……?」

「まあ……そうだな」医師は気が重そうに言う。「特に酷くはなっていない。が、決して改善しているわけではない。このまま放っておけば死ぬことは変わっていない」

「そうですか……」

 岩名地も同様だという。それを聞いた戸ノ内が、ふうんとだけ言葉を漏らしたのが気になった。この二人があまり仲良く無いっていうのは、様子を見ていればわかった。

 それから事件の話になって、私たちは知り得たことを共有した。美雪は従業員二人が変だったから止めたことと、向坊が機械化能力者であること、そして向坊の機能のことを言った。

 二條も、中静の機能のことと止めたことを説明した。あと、ナノマシン増殖機が沈んだことを口にした。私以外の全員はそのことを知っているようだが、私は初耳だった。一緒にいた精密女も、どうしてそのことを私に教えてくれなかったんだろう。

 これでは、天岸を殺したところで、ナノマシンを増やすことができない。犯人を探さなくてもなんとかなるというネガティブな策は潰えてしまった。そういった後ろ盾を失うと、急に不安になってくる。

 犯人を探すしかないのか……。

 当初の目的に沿って、それだけに専念するには、さっきも医師が口にしたように、邪魔な要素が多すぎるし、こっちは茅島さんがいないも同然だった。二條は茅島さんほど評価されている人間のようだけれど、どうにも信用できなかった。

 精密女は、私と一緒にいたときのことを話した。峰崎に痛手を追わせたが、こっちも酷い目にあったことと、天岸はどこかへふらふらと消えたことも付け加えた。あれだけの怪我をした峰崎は、これ以降大人しくなるだろうとも推測できた。流石に両手を失って、出来る人殺しがあるとは思えなかった。酸を出す機能は生きているが、そのコントロールも既に効かないだろう。峰崎はついに、私たちの問題から一旦消去できた。

 私は、プラネタリウムが怪しいんじゃないかと伝えると、案外医師の食いつきが良かった。

「プラネタリウムか……」

 情報は上がっていた。プラネタリウムに客として行っていないと口にした人間は、今までに二人見かけている。

 内生蔵と上路だ。この二人以外にもいるだろうけれど、とりあえず二人が犯行が可能だったかどうかを考えるのは、今後のとっかかりとして良いと思った。

 客としてプラネタリウムに行っていないと言うことは、つまり客が天井の偽星を見上げている間に、客に何かを施せた可能性がある。あそこは、別に上映中に厳密な警備をしているわけでもないし、船のシステム上、金銭を要求するわけでも無い。

 堂々と客としてプラネタリウムへ行き、そこでナノマシンを注入すると言う方法には問題がある。席の番号が発生することだ。勝手に席を立つと、管理室に報告が行く。体調管理と娯楽としての脳波測定機能の一環らしい。おそらくだが、そんなミスを犯人がしているはずがない。

 内生蔵は同室の倉沢が自殺した。その理由のひとつは、内生蔵が自分に毒を盛ったのがわかったこと。その理由は遺書には書いていないが、友人だと言う倉沢は、何かを知っている。

 上路は、イエシマに関与した人間が、全員死ねば良いと思っているくらいに、過激な考えを持っていた。毒を撒くという動機がある。

 しかし双方、疑わしいとは思うけれど、それでも確定的とは言えない。もしかすれば、他に同じ条件の該当者がいるかもしれないけれど、そんな人間を探している時間もなかった。

「精密」考え込んでから、医師が言った。「内生蔵と上路を見かけたら連れて来てくれ。もう証拠だとか、そんな段階を踏んでいる場合じゃ無い」

「じゃあ拷問でもするんですか?」精密女は平然と言った。「でも本当に犯人なのかどうかはわかりませんよ。腕でも折って、機械化能力者かどうか確かめますか」

「そうするのが手っ取り早いか……。違った場合は全部私が責任を持つよ」

「わかりました。じゃあそれで」

「ちあきは天岸さんの護衛を頼む。美雪と加賀谷さんは、今まで通り情報を集めてくれ」

「はい……」美雪は医師に返事をしながら、私に向かって頷く。

「それと、りた」医師は付け加えて、暇そうにしていた戸ノ内に話す。「お前の腕の機能を使えば、ナノマシンを少量だが複製できるはずだ。それのセットアップは?」

「……使うんですか?」戸ノ内がどことなく不服そうに言う。「毒を、私の腕に取り込むってことですよね」

「害はないと説明したはずだ。美雪、沈んだ船から借りていた、増殖機の端末はまだ持っているな? それを使って、りたの腕でナノマシンを複製できるようにしていてくれ。ちあきは、すまないが、今のうちだけ、りたに腕を返却してくれ」

 美雪と二條は頷いたのに、戸ノ内は渋った。

「……それって、犯人が見つからなかったら、ってことですよね。そんな消極的で、許されるんですか。天岸さんだって、殺さないといけないんんじゃないですか。それは、誰がやるんですか」

「私が」精密女は手を挙げる。「その時になったら、私がやりますから、気にしないで下さい。そういうのは得意ですから」

「だそうだ」医師はそれを見て、ほっとしたような、苦いものでも口に含んだような顔をする。「保険だよ、りた。誰も生かせないよりは、誰かを選んだほうが良いじゃないか」

「……誰を生かすかっていう判断は、医師が?」

「そうだ」

「その判断が、正しいって言う保証は?」

「無いよ。施設の人間に優先的に打てるという保証もない。その時になるまでに、優先順位は決めておく。私に任せてくれ」

 戸ノ内はまだ納得できないらしく、嫌そうな顔を続けていたが、口答えはしなくなった。

 話題が落ち着いたのかと思ったのに、精密女が蒸し返した。

「でも医師。私は施設の人間を最優先にするべきだと思いますよ。だって、天岸さんも、毒を貰った連中も、その友人も、イエシマの奴らだって……はっきり言ってしまえば、ろくでもない連中ですよね」

「そうだ。ろくでもない。だが、それと社会的実績とは別だよ。イエシマも、クズの一枚岩ではないからこそ、ここまでの大企業になってるんだ。とんでもない歴史的な発明をした人間が、もしかしたら、船に乗っているのかもしれないし、そういう人間に比べれば、私たちなんて、勝手に犯罪者を制圧している意味不明な連中だろう」

 私は当初の疑問を思い出す。

 そんな方法で、茅島さんを生かしてもいいのだろうか。

 彼女の人生に、変な重荷を背負わせたくない。死んでしまうよりは、そうやって生きているほうがずっとマシだというのが、一般的な価値観なんだろうけど、それはそれとして、他人の命がずっとのしかかっている人生だって、十分閉鎖的だと私は思った。

 それに天岸……。

 彼女には、どことなく生きていて欲しいと感じる。

 峰崎に死体を溶かされるから守っただけではない。なにか、この女から救われなさを感じてしまう。

 死にたがっているなんて、きっと素直な感情じゃない。

 もっと屈折したなにかを彼女が抱えているのは、私の気の所為じゃない。

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