14
中静は片足を失った状態でも、腕と取り外した足を支えにして立ち上がった。
その様子を驚異だと感じるよりも先に、二條は哀れだと思った。どうしてこんなになってまで、誰かに怒りをぶつけないといけないんだろう。
「もう諦めたら?」二條は語りかける。一定の距離を保ちながら。「その機能、不意を打たないと意味ない。片足で誰を殺せるって言うの?」
さっき中静を蹴った時に、二條は自分の足の痛みを思い出した。こちらとしても、長い間こんな女に付き合ってはいられなかった。
切断されて、落ちた自分の左腕を視界の隅に置く。
こんな短期間に、腕を二本も失うなんて、馬鹿げている。
「殺す……黙れ……」中静はそう吐き捨てるように言う。「富美が……富美がそう望んでる……」
「阿良さんは、もういないんだけど」
二條の言葉が気に障ったのか、中静は、恥も外聞もなく泣き喚いた。
「でも…………富美は………どうしたら富美のために…………助けて、富美……」
「それは私に向けること?」
「富美…………」
中静は襲う気力を失って、萎れたようにまた床に伏せた。
掴んでいた自分の片足が、音を立てて転がる。
二條はため息を漏らす。どうして、こんな異分子ばかりが発生していくのか。純粋に、毒事件を捜査できれば、そう難しい問題には見えないと言うのに。
とにかくさほど労せずして、中静は大人しくなった。ここは儲けたと考える。
乗客の一人が、会場に走って戻って来た。
二條は危険だから消えろと言おうとしたが、乗客は二條を呼んだ。
「あの……大変なことが起きてて……!」
「なに?」多分自分を警察関係者だと思っているのだろう。無碍にするのもどうかと思い、二條は返事をする。
「船が……あの、トラブルがあった民間船なんですけど、それが……」
「どうしたの?」
「急に傾いて……沈んだって」
「は?」
沈んだ? 沈没したって言うのか?
「増殖機は?」二條は乗客の肩を掴んだ。
「え? よくわかりませんけど、積荷は全部沈んだって……乗組員は、こちらに避難してて無事みたいですが……」
何が原因だ? 二條は急いで会場を去り、甲板に出て様子を確認する。
騒ぎ。男性がいたので捕まえた。沈んだ船の乗組員だ。
「あなた。何があったんです?」
「急に船底に穴が空いた!」男は狼狽えていた。「誰がこんなことを……」
「見張ってたんですか?」
「寒いから、そんなことはしないよ……特に食料や価値のあるものは、あの増殖機しか積んで無かったから、留守にしていても良いかと思って……」
確かに、こちらの普通の乗客が、ナノマシン増殖機に興味を示すはずがない。
船底。
穴。
酸か。
「峰崎!」
怒りで床を殴る二條。
普通の生の右腕だった。拳の先から出血するが、そんな痛みなんてどうだって良いくらいに二條は憤る。
やられた。
原因はなんだ。この船のことを意識していなかった自分か? あの内生蔵が起こした騒ぎは陽動だったのか? なら内生蔵は共犯なのか?
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
自分が悪い。この状況で変なミスなんて許されない筈なのに、それを防げなかった自分が悪い。
ナノマシンを増幅できなくなった以上、状況は戻った。天岸一人の命で、救えるのは一人だけ。
いや……。落ち着け。そもそも、二條は天岸を犠牲にすると言う考えを持っていない。
当初から、やるべきことは何も変わっていない。
犯人を探す。それで良い。まず深呼吸だ。吸って、吐いた。
二條は、急に冷静さが満ち溢れた身体を起き上がらせて、乗組員に礼を言ってから、その場を去った。自分でも驚くくらい、さっきまでの憤りがどうでも良くなっていた。
甲板から船内へ入ろうとした二條を、後ろから止める女がいた。
「待って、ちあき……」
「……りた」
「騒ぎがあったから、ちあきが来ると思って……」戸ノ内が言う。「ちあき、また腕、無くしたの?」
「うん……」苦い思い出だった。忘れ去りたかったが利き腕が無いという状態を忘れるのは難しい。「中静に、切断されて」
「じゃあ、これつけて」
戸ノ内は自分の右腕を二條に向ける。無くしたのは左腕だが、右腕が接続出来ないというわけでは無い。無いよりは明らかにマシだった。
「そうするとりた……腕が無い」二條は言いながら、戸ノ内の腕を自分の左腕にした。「医師には、私が連絡する」
二條は、両腕を失った状態でもにこにこして立っている戸ノ内を尻目に、医師に電話を掛ける。
「医師」通話が始まると、相手の言葉も待たないで二條は要件を伝える。「ナノマシン増殖機が海に沈んだ」
医師はそのまま大きなため息をついてから、何も言わなくなった。
二條は心労を心配して、そのまま電話を切る。
さっさと犯人を見つけよう。中静も黙った。向坊もきっと、八頭司美雪がどうにかしている。後は、内生蔵と、謎の女高瀬も気になる。
そこまで数えて、二條はさらに積み重なった不安分子に胃を痛めた。
私たちは食事処で怪我の様子を見ていた。
私は全身の打撲、および殴られた際の顔の怪我。精密女は左腕の深刻な故障。そして天岸は健康そのものだった。
どうしてこの死にたがっていた女が綺麗で、私たちが満身創痍なのか。不満を覚えるが、私も茅島さんのためにこの女を逃した。文句も言えない。
精密女が何処かから持って来た包帯や治療薬を使って、私は比較的重い傷の手当てをした。椅子に座っていると、落ち着くような、もう眠って忘れてしまいたいような衝動を、抑えるのには苦労した。
天岸は、さっき私が拾って返したタバコを咥えながら、じっと私を見ていた。
「なんですか」私は不機嫌に答えた。
「いや、さっきはありがとうね」天岸は、珍しいくらい素直に、そんなことを口にする。「おかげで助かったよ。君の必死さは、胸に響くね」
「やめて下さいよ、気持ち悪い。茅島さんを助けたいだけです。そもそも、あなたを刺そうとして包丁を持ってたんですから」
「あはは。そうだと思った。あの子、君にとってそんなに大事なんだね」
「私の全てです」
「ふん……」
天岸にも親友がいたという話を思い出す。私はこの女の気持ちを、嫌な現実味を持って理解したが、私が茅島さんを失いたく無いっていう感情は、この女にどのくらい伝わっているのだろうか。
「君に正論を吐かれるより、刺される方が納得出来るよ。君の本心は、正論なんかよりもそっちだろうから」
「……本当は、刺したくなんか無いですよ。でもそうするしか無いって言うなら、罪だろうが被ります」
「親友が死ぬよりはマシって?」
「そうです。それだけですよ」
「君は健気だね」
バカにされているような気もして、彼女をじっと見る。
天岸は、タバコの煙に包まれながら、どこか慈しむような目を私に向けていた。
「さて、戻りますか」精密女は言う。「左腕がこんな状態で、また峰崎に会いたくは無いです。まあ、あいつももうまともな状態では無いですが」
峰崎は、もはや両腕を失ったも同然だった。安全に米国に逃げたいのなら、これ以上騒ぎを起こすのも危険だろう。峰崎に対する注意の度合いを、下げても良いのかもしれない。
「……精密女さん。犯人の捜査は?」私は気になっていたので尋ねる。
「ちあきさんが行っていますが」精密女は立ち上がって歩き始める。私と天岸は、その背中を追った。「乗客が落ち着きを失っているので、その対処などで全く進んでいないと言うのが現状ですね」
「……そうですか」
「まあ、船長の死体から採取したナノマシンの解析が始まったようなので、もしかしたらそれが手がかりになるかもしれません。気を落とさないで」
そうは言われても、茅島さんが苦しんでいる現状で、どう楽観視しろって言うんだ。
私たちは医師の部屋を目指した。茅島さんの様子もずっと気になっていた私が断る理由もなかった。一人の部屋に帰るのも寂しかった。天岸とふたりきりで一緒にいるのも、嫌だった。
一般客室が多くある廊下を通っているときに、ドアが全開になっている部屋が目に入った。
「不用心ですね」精密女が不思議に思って扉の中を覗く。「峰崎以外にも犯人がいるっていうのに」
「ここって……」私は部屋番号を見て思い出す。「誰の部屋でしたっけ。内生蔵さん?」
「そうですね、確か」精密女は中へ声をかける。「内生蔵さん、いないんですか? 倉沢さん、起きてますか?」
「倉沢さんって」天岸が言う。「結構重い症状だった気がするから、起きてるとは思えないけど……」
「それって、最悪の場合も?」
「考えられるね」
精密女は、躊躇いもなく中へ入っていった。私たちもそれに続く。
「倉沢さん」精密女はベッドを覗き込みに行く。
が、そこには誰も居ない。それはそれで、異常な事態だった。
見回す。バスルーム。天岸が確認したが、人の気配はない。クローゼット。服しかない。
部屋が寒い。そよ風と呼ぶには、きつすぎる海からの風が、開かれた窓からなだれ込んでいたからだった。
どうして窓なんて、開け放しているんだろう。
その意味を、深く考えないで、外を覗き込んだ私がバカだったのだろうか。
バルコニーになっている。
そこの手摺に、
「彩佳さん! 見ないで!」
くくりつけられたシーツ。
精密女が止めたっていうのに、私はシーツの先を、覗き込んでしまう。
ぶらりと、
風に揺れる、
「きゃああ!」悲鳴を私は上げ、腰を抜かした。
シーツの先は、亡骸となった首筋に。
そこで首を吊って、死んでいたのは、
倉沢ゆき…………
「彩佳さん!」
精密女は、右腕で私を抱きしめて、引き離す。
室内へ戻される。心臓が鳴っている。
何を見た。
私が見たものは……。
「大丈夫、ですか」
耳元で、精密女が囁くが、頭に入ってこない。
首。
人間の首って、
引っ張って、全ての骨と骨が伸ばされると、あそこまで長くなるのか…………
想像してしまった。イメージが消えない。気分が悪い。
「……なんか、ダメそうです…………」
なんとか別のことを考えたくて、精密女の胸に顔を埋めた。彼女は私の肩にその無骨な手を置いた。異常なほど、その温度は冷たく感じた。
「これ……」部屋を探っていた天岸が、何かを見つけたらしい。「遺書、か。紙に書いてある。アナログで文字を書いてる」
「倉沢さんのですか?」精密女が、そのままの体勢で訊いた。
「うん……そっか。自殺するときには、遺書は必要なんだっけ。私、意識したこと無かったな」
「何が書いてます?」
「えっと……要約するから、待ってて」
倉沢の遺書を一通り読んだあと天岸は、しばらく考えた後、簡潔にした内容を私たちに教えてくれる。
倉沢は内生蔵から嫌がらせをされていると確信していた。以前から、仲良くしてもらっていると思いこんでいた倉沢だったが、ここ最近の彼女はあまり友達だとも思えなかった。
わざと彼女は、自分の着替え汚して倉沢のものを持っていったり、いくつかの化粧品も無断で使用したり、端末を勝手に触ったり、汚いからという理由で歯ブラシを勝手に使ったりした。それでいて、あまり感謝をされることもない。着替えも倉沢が洗ったり新しく買ってきたりしているのに、お礼の一つも言わないのはどうかと思った。
そうしている内に、内生蔵の秘密を知ってしまう倉沢。内生蔵は機械化能力者だった。人と話しているのを、盗み聞きした時に知った。「私たち機械化能力者」がどうとか言っていたから、そこは間違いないだろう。
彼女の機能はわからない。会話の中で、出て来てこなかった。だが、倉沢は内生蔵がその機能を使って、自分に毒を盛ったのだと判断した。日頃の嫌がらせは、そのための布石だった。毒が含まれているとわかっていたから、彼女は倉沢の私物を勝手に持ち出して、自分で使い、毒の含まれている着替えなんかを倉沢に押し付けた。
それが原因で、自分はこんな思いをしている。
内生蔵に、自分は裏切られていた。
変な嫌がらせを許す気にもなれなかったが、仲のいい友人だったのに、その裏切りは、倉沢を絶望させるには十分だった。
だから倉沢は、どうせ助かるはずもなく、助かったところでそんな態度を取られた内生蔵のことを直視したくなくて、あっけないほど簡単に死を選んだ。
それが彼女の遺書の内容。
こんなことで死ぬ必要は、私は感じない。
けれど、毒という体調が、彼女の精神を必要以上に追い詰めているのは確かだった。
倉沢ゆきに、私は思いを馳せる。仲良くもない相手の死を、深く悲しんだって意味ないっていうのに。
ギギギ、と扉が開く。
「面白い話してるじゃない」
不良シスターの高瀬レイラが、扉から首を伸ばして、私たちの様子を覗き込んでいた。天岸は高瀬を認めると、苦虫を噛んだみたいな顔をした。
精密女は、端的に倉沢ゆきが自殺したことを二人に伝えた。
高瀬は、それを聞いて深く頷いてから口を開く。
「あー、あの内生蔵って女、怪しいと思ってたんだよね」高瀬は楽しそうに笑う。「親がイエシマの人間らしいんだよあの女。で、教育方針が厳しいから、イエシマに逆恨みしてるんだって。イエシマなんか、滅びてしまえば良いって。さっきも、犯人の味方をしてイエシマを潰してくれると思い込んでた、とかなんかで、パーティ会場で騒ぎ起こしててさ、マジで頭がおかしい人間なんだよ、あの女」
「それ、確かなんです?」天岸が恐る恐る訊く。
「本当だよ、本当。上路っていい加減な記者、いるでしょ? 彼女が内生蔵の取材してたのを盗み見たから、間違いない。っていうか、本人に問いただして引き出したんだよ。上路も反イエシマのことしか頭にない奴だから、内生蔵にはシンパシーを覚えて応援したくなるんだろうね。私にゃ信じられないわ」
高瀬は部屋の中に入って、バルコニーに出て、死体を見下ろした。急に聞こえ始めた波の音が耳障りだった。
「……これは、自殺で良いわけ?」
「おそらくそうですねえ……」天岸は肯定した。「彼女のものらしき遺書がありますから……。内生蔵がどこにも居ないことが気になるけど」
「なら、あとで探しておくよ」高瀬は快く返事をする。「イエシマを嫌う人間は、たいてい危険人物だから、注意したほうが良いでしょ」
「……お願いします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます