12

「……なんでそんなの持ってんの?」

 私の目の前には、倉庫の入り口。そして峰崎。

 私の手には、鞄から取り出した包丁。

「加賀谷さん……」天岸が後ろで囁く。「包丁なんて、鞄に入れるもんじゃないと思うけど……」

「今は気にしないで……」私は峰崎を睨む。「天岸さんは……逃げて下さい。私が、なんとかします」

「逃げろったって、あのバカが扉を塞いでるけど」

「でも……あなたが死んだら、茅島さんが……あなたの死体が残らないと、茅島さんが死ぬんです。なんとかします。逃げて下さい。まだ死んだらダメです」

 茅島さん。

 天岸を守る理由なんて、それ以外に無い。それだけなんだ。

 なんとかすると言っても、私は自分を犠牲にするつもりもない。

 精密女が来るまで、どうにか耐える。わかりやすい。

 問題は、私がなんの力もない一般人だと言うこと。包丁は研ぎ澄まされていた。調理に使うには、十分なほどだが、峰崎に通用するのかはわからない。機械化パーツを貫くのは不可能だろう。

「話は終わった?」峰崎が言う。「どっちから死ぬ? まあどっちでも一緒か。でも選んで良いよ」

「誰が選ぶか!」

 私は包丁を投げる。峰崎の顔を目掛けて。

 不意をつくしかない、と思った。これで良いところに突き刺されば、その隙に天岸を逃がそう。

 そうでない場合も考えていた。

 峰崎は、慌てて手で刃を受けた。

「危な……」

 突き刺さる。動揺していない。故に、機械部分だ。痛みもクソもない。

 私はそこに拳を握って、峰崎の顔を思い切り殴った。

「天岸!」

 叫んだ。天岸は私たちの脇を抜けて、倉庫の外へ逃げた。

 峰崎は、私をすぐさま殴り返した。

 痛……

 間髪入れないで、私の髪の毛を掴んで、壁に押し付けた。

 頭が揺れた。身動きができなくなった。

 見上げる。

 痛そうな顔を、何故か峰崎はしていた。

「……こっちはさ」

 彼女は包丁を抜く。鮮血が溢れ出ていた。

 機械の方じゃない。生身に突き刺さって、なおもこの女は痛がりもしないで、冷静に私を殴り返したのか。

「痛いんだよね……。機械化されてるほうは、こっちだよ」

 そっちだという手で、腹を殴られた。

 私は変な声を上げて、地面に倒れ込んだ。

 吐きそう……

 息をまともに吸うことも出来ない。

 不味い。

 私は、大いに失敗したのかもしれない。

 峰崎はその場で腰を下ろして、私に顔を近づける。

「茅島ふくみたちは何処?」

「……ど、毒だって、言ってるでしょ……眠ってるんだよ……」

「何処の客室かって訊いてるんだけど。調べるのめんどくさいじゃん。あんまり乗客に見られたくないし、あの腕を飛ばしてきた頭が白い女もうろうろしてるからさ」

「客室だって、どうして知ってるの……?」

「知らないよ。どうせ客室でしょ。何処? 腕を一本づつ溶かすよ」

 ぎゅっと、私は左腕の手首を掴まれる。機械化されている峰崎の手で。

「嫌…………」

「あっそう。腕じゃ物足りない? 何処が良い? 首? 顔? 駄目だな、すぐ死んじゃうし……拷問なら、酸を使わないっていうのもありかもね。じゃあ殴り殺してあげようか。それとも、首を絞めてあげようか? ねえ、どっちがいい? あ、包丁もあるね。これで、指を一本一本切断していくと、拷問としては効果的だと思うんだけど、どれが良い?」

 掴まれている手に、力が込められている。

 今に、

 酸が分泌されて、

 耐え難い激痛が私を……………………

 その時、

 峰崎が、急に吹き飛ばされた。

 何が起こった?

 私の手首を掴んでいた忌まわしい峰崎の手も、すでに離れていた。

 床に転がるもの。

 ドライヤー。どうしてこんな所に?

 どうでもいい、どうでもいいんだ。さっさと逃げよう。私は急いで立ち上がった、痛む腹部を我慢して倉庫から出る。

「彩佳さん。危なかったですね」

 外にいたのは、精密女だった。

「一番いいタイミングを狙ってたんですよ」

「あ、ありがとうございます……」

「ドライヤーは大浴場から盗んで来ました。一番投げやすいと思ったので。これでリベンジが出来ましたね」それから精密女は、目つきを変えて私を睨む。「ひとりでうろうろするのは止めるように言ってましたよね。天岸さんは?」

「逃しました。何処へ行ったかは……」

 倉庫。見える。峰崎は痛そうに身体を起こす。

「お前…………またお前か……精密女……!」

「彩佳さん」精密女。「逃げます。こっちへ」

「と、取り押さえないんですか?」期待していた答えと違う私は面食らう。

「無理ですね。あなたが邪魔なので」

「はっきり言わないで下さい」

「ではマイルドに。あなたを守りながらでは、難しいですね。まずは、あなたの安全が最優先です」

 峰崎は走ってくる。

 精密女は、私を背中の方に誘導して、

 それから何故か、その手で何も入っていないプールに、私を突き飛ばす。

 え?

 視界が反転する。落ちていく感覚。

 私は何で出来ているのか知らないプールの底に、叩きつけられた。

「な……なにすんだ……」

 身体は痛いが、私をとりあえず隠すにはいい場所なのかもしれない。そう思って、無理やり納得させる。

 私は精密女を見上げる。

 彼女は峰崎へ、歩いて向かう。

 手を伸ばす峰崎。

 その手首を掴んで、へし折る。

 嫌な音。

 だが、

「……機械じゃない」

 さっき包丁で付けた傷があった。

 峰崎はまた、本物の腕を犠牲にした。

「バカが!」

「あなた……」

 掴まれる、精密女の左腕。

 溶かされる。

 指先の動きが、明らかに悪くなる。

「ならこっちも折ります」

 精密女は右腕を持ち上げる。

 手の形は、手刀。

 思い切り振り下ろす。

 本当に、刀を振ったみたいな音がして、

 峰崎の酸を分泌する右腕は、

 手首から先を切断された。

「ああああ!」

 峰崎は叫んだ。痛みは無いはず、いや、精神面で追い詰められて、左腕の重篤な怪我を思い出したのか、そんな生理的な叫び声を上げた。

 手を失った右腕からは、酸がとめどなく漏れ出ていた。

 床が、溶けていっている。

 慌てて逃げる峰崎。

「待ちなさい」

 精密女は、自分の左手首を掴んだままの峰崎のパーツを引き剥がして、

 全力で投げた。

 しかし峰崎は逃げ続けた。投げた手首は、彼女の何処にも当たらなかった。

 忌まわしい殺し屋……峰崎はまた逃げおおせてしまった。

「クソ……風が強い海上では、コントロールが効きませんね」

 そうして、精密女は深刻そうに、自分の左腕を眺める。

 私はプールから這い出た。

 彼女の腕。

「関節に酸が入り込んでて、まともに動きませんね。美雪さんに怒られるのが怖い」

 そんな場合じゃないっていうのに、精密女はへらへらと余裕そうに笑うだけだった。

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