11

 暫くの間、倉庫でじっとしていた。

 峰崎が、こちらに感づいている様子は見受けられない。私たちが油断して出てくるのを待っているのかもしれないが、この寒さの船外でじっとしているのも堪えるだろう。

 精密女には連絡を入れた。「峰崎に襲われている プールサイド」という簡素なメールを送ると、了解を示すイラストが送られてきた。こんな時に日常会話みたいな受け答えをされると、なんだか決まりの悪さを感じてしまう。

 天岸は、倉庫の中を物色していた。飲食店のものだが、今はオフシーズンのため、食べ物の類は残されていないらしい。もっとも、勝手に食べ始めたら、私はまた彼女を殴っていただろう。

 大して広い倉庫ではない。私と天岸と、雑多なガラクタ、何も入ってない棚やダンボールが残されているだけで、すでに窮屈さを覚える。私はなるべく、入り口近くに座ってじっとしていた。明かりもなく、天岸が端末で照らすライトが、妙に眩しかった。

「なにもないのかよ。ケチだな」天岸が私に話しかけているのか、独り言を言っているのか、わからないが口を開いた。「いつまで隠れていれば良いんだろうね」

「……知らない」もうこの女に、敬語を使う気にはなれなかった。

「まあ、私もよくあんな輩に付け狙われたことあるけど、かなりしつこいからね」

「よくって……どんな生活してたんだよ」ボヤくように言う。

「えー、まあ……こんなのは日常茶飯事だったっていうか。よくあったよ、知らない人に襲われるなんて」

「……嘘なら喋らないで」

「嘘なんかついてどうするんだよ。本当だって。聞きたい? あれはね、御部善区に引っ越してから頻発し始めたんだけどさ」

「見つかるから喋るなって言ったんだけど」

 話も聞かずに、天岸は自分のことを話し始める。

 その内容は、知っていることと知らないことと、どうでもいいことと、かわいそうなことで構成されていた。

 天岸の話、その内容。子供の頃から、他人に口うるさく言われるのが辛かった。どうも自分は感情に乏しい人間だった。気まぐれで米国に渡って、そこのイエシマ社の支部に入って、毒ナノマシンを開発した。その実験で人を殺した。御部善区に引っ越すことになったが、そこで嫌がらせを受けた。命を狙われた。イエシマは、区民を黙らせるのに使えると思って、戦術兵器の設置と、その起動のキーを天岸に機能として備えた。それで命は狙われなくなったが、嫌がらせという面では加速した。殺した人間に謝れと言われた。イエシマの人間が贅沢をするなと言われた。笑うなと言われた。申し訳なくしろと言われた。タバコを吸うなと言われた。眠るなと言われた。自由な時間を持つなと言われた。死ぬなと言われた。希望を持つなと言われた。贖罪しろと言われた。

 つらつらと、そんなことを延々と話す天岸。

 何を感じているのかわからない表情。

 その上で、この女はかつていた親友の話をした。親友とは若い頃からの付き合いで、こんな自分にも仲良くしてくれた。ES30ワードに住んでいたが、日本人だった。今は連絡を取っていない。まだES30ワードに住んでいるのだろうか。研究者ではなかったが、自分の仕事の話をよく聞いてくれた。アドバイス等は期待していなかったが、一緒に頷いてくれるだけで良かった。会社を辞めて、御部善に引っ越す事になった日を最後に、一度も会っていない。それが十年ほど前のこと。ES30ワードに向かっているのは、なにも機能解除のためだけではない。

 ――親友。

 私は、そこでこの女に同情心を芽生えさせてしまった。

 かわいそうだ。素直にそう思った。

 どうしてそうやって……、

「………………なんで」私は呟くように言う。「そんな話、私に言うの」

「別に。気まぐれ」

 気まぐれで同情を誘うな。気まぐれで、親友の話をするな。その気持が、私にわからないわけ無いだろう。

 天岸が、倉庫の物色を再開すると同時だった。

 気分の悪くなる音を立てながら、不意に扉が開いた。

「やっと開いた」

 峰崎が、手を振りながら現れた。

「酸を使っても、時間は掛かるよね」



 二條ちあきは、足の痛みを覚えながら、それでも関係なしに歩いていた。

 医師の部屋を抜け出したのが、数十分前。とにかく峰崎を探さないといけないと感じて、彼女は足のことを意識から消して、巡回を始めた。

 容赦はなかった。乗客の部屋も、空き部屋もお構いなしに開けた。残りの部屋の数を数えるたびに憂鬱な気分になりそうだったが、二條はその感情も消した。

 峰崎を探し、毒の犯人も探そう。それが、この状況下で最も適切な手段でしかない。二條はどちらかと言えば、その適切な手段自体に陶酔している自分を認識したが、それも意識から消した。

 いくつかの乗客を調べた後だった。彼女を追う者がいた。

 部屋に置いて来たはずの、戸ノ内りただった。何の用事だろう。この戸ノ内は、特にさしたる用事も無いのに、二條のことを呼んだりする。

「ちあき! ねえ、ちょっと来て!」

「りた。どうしたの?」

 答えはしたが歩く足は止めない二條。

「畳家さんと、向坊さんが……喧嘩してて……」

「喧嘩?」どうして自分が、とまで口に出そうになったが飲み込んだ。「医師はなにしてるの?」

「船長の死体をずっと調べてる……ねえ、ちあき。あの二人止めてよ。精密女も、さっきどっか行っちゃって……。ほっとくわけにもいかないし」

「……なら、二人は何処?」確かに、放置するのは二條的に、適切な行動とも言えなかった。「私が行って、なんとかなるの?」

「操舵室だよ」

「りた。なんでそんな所に行ったの?」

「え。いや、ちあきを探してたら……」

 二條は戸ノ内に連れられて、操舵室へ向かった。

 そこには誰も居ないはずだったのに、畳家と向坊は、本当にそこで喧嘩をしていた。乗客の見える場所でないことだけは、褒めても良かった。

「いや、先輩は黙っててよ」向坊が一方的に、荘厳な態度を取り始めていた。さっきまでの彼女に対する印象とはまるで違っていた。船長が死んでから、彼女の中で何かが変わったらしい。「私の言った通りにして」

「そのふざけた口の効き方は許してあげるとしても」畳家は、腕を組んで計器にもたれかかっていた。「なんであなたが偉そうに纏め始めるわけ? 今は、そんな下らないイニシアチブなんて、どうだって良いでしょ。私が年長者で、現場も長いんだから、私が指示を出す。その方がみんな動きやすいわ」

「いや違う。船長が死んだ今、その代わりになる人間が必要なんだよ。それに適切なのが、生前から気にかけてもらっていた私ってこと。私は……船長の意志を継ぎたい。継がないといけない。先輩に、そんな意識ある? 船長が死んで、それで忘れ去っちゃうんじゃないの? そんなの船長が可哀想」

「可哀想? 勝手に決めないで。船長の意志なんて、あなたにわかるの?」

「ストップ、二人とも」

 二條は間に割って入った。向坊は舌打ちを漏らして二條を睨んだが、畳家の方はホッとしたように表情を崩した。

「畳家さんの言う通りよ、向坊さん」二條は畳家に背中を向け、向坊と向き合った。「今は、こんな下らない争いをしている状況じゃない。邪魔をするなら、どっかの部屋にでも籠もってて」

「……だって、船長が」

「死人を、自分の欲求を満たすための言い訳にしないで」

「…………もう良い」向坊は踵を返した。「私は、他のバイトの子たちと動くんで。先輩は一人で勝手にやってて」

「言われなくても」

「邪魔だけはしないで」

「あなたもよ、向坊」

 向坊が去っていく。それを見届けた後、申し訳無さそうな会釈をしてから、畳家も去った。操舵室に、二條と戸ノ内という船になんの関係もないふたりが残された。

「あの二人……」二條はつい漏らす。「注意したほうが良さそう。りた。気になったら、追いかけておいて」

「ええ、私?」戸ノ内は嫌そうな顔をしたが、それでも頷いた。「まあ、良いけど……。あー、あと高瀬さんも変だった。なんかね、ずっと調べ物して、上路さんにも話を聞いてるみたい」

「……はあ。厄介事が増えそうで気に入らない」

 二條は本音を口にした。足の痛みは、そんなことでは引かなかった。



 二條は、医師のいる部屋に様子を見に来る。

 船長と阿良の死体は、一度は医師の部屋に安置されていたものの、後に近くの空いている部屋に移動しても良い、と畳家が言ったので従った。客室のグレードはそれなりに高いのに、ここには死体が二つ眠っているだけだなんて、と二條は無常観のようなもの覚える。

 医師は何処から用意したのか、注射器を死体に刺していた。常備していたのだろうか、船を探せばあったのか、そこのところはわからなかった。

 それで一体何をしているのかは、歴然としている。死体から血液を抜いて、ペットボトルに移していた。

 ベッドに横たわった死体には、布団が被せられていた。それでも、背格好から船長の死体だとわかる。血を抜いたせいで、微かに見える腕の肌が、変質している。

「ちあき。あんまり見るもんじゃない」

 医師は二條を見ないで答える。その近くには、椅子に座った八頭司美雪が、気分が悪そうにじっとしていた。死体は見慣れているだろうに、こういう行為は好きではないらしい。

「ナノマシンですか?」二條は問う。「抜き出して、どうするんです? 増殖させたって、助かるのは天岸さん一人ですが」

「毒を撒く以外に、ナノマシン自体に命令が書いてある。何時間後に起動するか、とかをな。それを解析する。もしかすると、A毒の成分と解毒方法がわかるかもしれないが……まあ、そっちは期待するな」

「してません。引き続き犯人を探します」言いながら、二條は船長の死体から目を逸らせた。結局二條としても、見続けたいものではなかった。

「美雪。そっちの血液は終わったから、ナノマシンがいるか調べてくれ」

「ああ、うん……わかった」八頭司が嫌そうに頷く。言いながら、何かの医療器具のようなものを、赤黒い液体が満たされたペットボトルにかざしていった。「なんでこんなこと私が……」

「見つかったら教えてくれ。増殖機の端末を借りてきたから、これで解析できる。解析も頼めるか」

「まあ、血液を見てるよりは、得意だから良いけど……」

「では」二條は逃げるつもりで言う。「私は捜査とパトロールに戻ります」

「足は良いのか?」医師が訊く。

「良くないですけど、そんな場合ではありません」

「ああ……頼んだ」

 二條は部屋を出て、軽い吐き気を飲み込みながら、また歩き始めた。足が痛いのは相変わらずだった。帰って眠りたいという衝動も、彼女は理性で打ち消した。

 パーティ会場の近くに来ると、その異変に気づいた。

 乗客が数十人も集まっていた。パーティなんか、開かれていないっていうのに、何をしてるんだこいつらは。二條は憤りすら覚えながら、会場に足を踏み入れた。部屋にいろと指示してあるというのに。

 人だかりの中心には、一人の美女。

 広告モデルの、内生蔵ひろか。椅子に座って、取り囲んだ人物に何かを話していた。

 耳を傾ける価値があるのか、二條は聞き耳を立ててみた。

「犯人にもきっと、事情があるんです」

 内生蔵がしているのは、頭のおかしい発言だった。

「イエシマなんて、無くなってしまえば良いって思って……そのための一歩が、この事件なんです。どうか、犯人の好きにさせてあげましょう。きっと……犯人はイエシマに恨みがあるんです。その気持は、よくわかりますよね。私はそれを、可哀想だと思います。ですからみなさん……見守ってあげたほうが良いんです。みなさんだって、イエシマの人間だと思いますけど……これは、イエシマの怠慢が招いた必然的な復讐なんです」

 何を言ってるんだこの女。二條は聴衆に割って入った。

 こんな犯人に、同情すべき点なんてない。あったとしても、人が死んだ以上、考える必要すらない。

「間違ってるよ、内生蔵さん」二條は内生蔵と顔を突き合わせた。「何、その考え。こうして大勢の人が苦しんでるんだから、自分がおかしなこと言ってるってわからないの?」

「なんですか、あなた」内生蔵が、糞尿でも見たかのような顔になった。「イエシマのことを擁護する側の人?」

「違う。興味ないよ、大企業の行く末なんか。私が言ってるのは、犯罪者を担ぎ上げるなってことだよ。あなたみたいな人が治安を乱してる」

「その原因はイエシマだって言ってるんですよ」

「なにかイエシマに恨みが?」

「あなたには無い? 何も考えないで船に乗ってる人? かわいそう。イエシマが与えてくれたものを、何も疑いもせずに受け入れているのね……」

「言っている意味がわからない」腹が立ってきた、と二條は歯ぎしりをする。「とにかく、変に人を集めるのは辞めて、部屋に戻って。ほら、みなさんも」

 けれど、聴衆は微動だにしなかった。二條のことを異物扱いしていた。所属不明の謎の女よりも、この顔の良い広告モデルの言う事を無条件に信じるのは、仕方がないとはいえ二條の機嫌を損ねるのには十分だった。

 全員殴り倒してしまおうか。この非常事態だから許されるのかもしれない。

 会場入り口のほうから、更に足音。

 また信者が増えたのか、と二條は視線を向ける。

 現れたのは、友人を亡くしたばかりらしい女、中静さとりだった。

「ずっと聞いてた」中静は言う。「内生蔵……いや、バカ女……あんたの頭、おかしいわよ! 人が死んでるのよ! 富美が!」

 中静は、内生蔵めがけて突っ込んでくる。聴衆は、この女を危険人物と認識して、避け始める。彼女から内生蔵までの間には、人間は二條しかいない。

 これを見過ごすのも、二條的には許せなかった。彼女は中静を静止させる。

「やめて」二條は彼女の顔を睨む。「私が辞めさせるから、あなたは部屋に……」

「嫌! 許せない! 富美は死んだの! 犯人側に立つ人間は、犯人なのよ! 内生蔵このバカ女! 殺してやる! お前が犯人よ!」

 内生蔵は逃げる。中静は追う。

 二條は止める。

「やめてってば」

「お前も犯人よ! お前も!」

 彼女は屈む。

 その行動の意味。

 理解した時には遅い。

 茅島ふくみが、こいつは機械化能力者だと言っていた。

 彼女の右足が、外れる。

 その足首を持って、振りかざす中静。

 足から、幅の太い刃物がいつの間にか生え出ていた。

 斧。素直にそう感じた。

 あの重量。ひとたまりもないのに、避けるには間に合わない。

 二條は左腕を持ち上げて防ぐ。これは戸ノ内の物だ。壊せば彼女に謝る必要が生じる。

 斧は、二條の左腕の肘から先を切断する。

 それで弱まった威力。二條は一歩引く。

 軸足しか残されていない中静は、斧の重さでそのまま正面に倒れ込む。

 転がる中静。床に落ちる左腕。斧。

 二條は中静を蹴り飛ばす。

「良い加減にして。ただでさえややこしいって言うのに」

 中静はそれでも止まらない。

 片足で立ちあがろうとする。

 他の乗客がいなくなっていることが幸いだった。

 左腕を失った二條は、ここからどうやって中静を潰して、逃げるかを考える。

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