7
おおよその乗客の様子を見終えた結果、結論は「B毒はいないし、死までの猶予も長くは無い」だった。
私たちは食事処に来ていた。誰もいないし、そもそも営業なんかしていなかったが、座って休憩するのにちょうど良かった。そこまで大きくはない、朝食向けのダイナーのような場所だった。似たような装飾の椅子とテーブルが、数組揃えてある。
タバコを吸い始めた医師に嫌な顔を向けながら、向坊は距離を取って座った。私も彼女の側に腰掛けることにした。他人のタバコで、健康を害するのも納得出来る話でも無い。
「もう……」向坊は一息をついて私に話しかける。「あの人たち、私がタバコアレルギーだって言ってるのに、関係なしに吸うんですね……」
「まあ……先生もわがままな人間ですから……」
「あなたは? 先生の知り合いってことは、医者見習い?」
「いや、そういうわけでは……」
医師、天岸が黙ってタバコを吸っているところ(精密女は近くで見守っていた)に合流する人物がいた。
あのふざけたシスター、高瀬レイラだった。あれから、ふらふらと暇を潰すために放浪していたのだろうか。医師たちを見かけると、嬉しそうにタバコを咥えながら話しかけに行った。
「やあ天岸さんと、先生?」片手を上げて、挨拶をしながら高瀬が言う。「天岸さん、死ぬ準備出来た?」
「やめてくださいよ高瀬さん」医師が嫌な顔を浮かべる。「そんな話、タバコが不味くなる」
「美味しいって思って吸ってるんだ。へえ。私なんてもう惰性で吸ってるよ」
「あ、私も」天岸が同意する。「そんな感じ。もう惰性ってのはわかるな」
「だよねー。美味しいとか、もうそんなんじゃ無いよね。吸わないとただ我慢出来ないって言うだけで」
「ふん……」医師が何が面白いのか微笑む。「私は美味いと思ってるよ。あなたたちは味覚細胞が減ってるんじゃないんですか?」
「でもさ」天岸が、煙を吐きながら言った。「そういう、美味いと感じてる人の方が依存症になりやすかったりして」
「もう依存症みたいなあなたに言われたくないですね」
「あはは。言えてる」
喫煙組はひとしきり雑談を交わしてから、現実逃避から戻ってくるみたいに、直面している事件についての話題に戻した。
「こう見ると」天岸が憂鬱そうに言う。「A毒を持ってる乗客の友人……だいたいクソみたいな奴らばかりだよね。なんか、御部善区の人間性と大差ないっていうか。多分、毒で伏せってる本人だって、結局大差ないでしょう」
「なんてことを言いますか」医師。
「そうだよそうだよ」高瀬も同意する。「イエシマ社の人間バカにしてるってことだよその言い草。あんたいくら辞めたからって、悪口は良くないな」
「悪口もクソもない。事実だよ。乗客の友人は、その大半が自分たち優先にして欲しいって何処かで思ってる。例外は、内生蔵さんくらい? あの子は、なんか興味ないみたいだったし。でも中静も上路も、それから浅坂とか、他の数え切れないくらいいる、よく覚えてない乗客たちも、信じられないくらい終わってる性格だったよね」
私も、それには同意してしまう。部屋を見て回っているときに、自分たちを優先にしろと訴えてきた乗客は、かなりの数に上った。その理由は様々だし、役職や個々のいる理由もそれぞれ違うのだけれど、自分の同室は優先されるべきだから早くしろというわがままを、平気で口にした。
そのうえ、上路の流した天岸の噂を鵜呑みにして、天岸を糾弾し始める者も少なくなかった。天岸の態度が悪いのは、私も頷きたいのだけれど、それにしたって、天岸で溜まった鬱憤を発散しているようにしか見えなかった。毒に倒れている乗客の中でも、意識のある者でさえ、天岸をけなす人間だっていた。
天岸が、そんな考えになるのも頷ける。自分が死んで、救われるのがそんな奴らだとすればなおさらだろう。
「ひょっとして」高瀬が言う。「死ぬのが怖くなったから、そんなこと言ってる? 救う価値がないから生きるしか無いな、なんて考えになってる? 駄目だよ、あんたはみんなを救わないと。ね、先生? 先生の同僚だって苦しんでるんでしょ? 可愛そうだよ」
「怖いとかじゃないよ」天岸はうんざりした顔を浮かべる。「別に、まだ生きてる意味ないとしか思ってないよ。乗客に……ちょっと文句を言いたくなっただけ。御部善区でも、文句言わないで生活してたのに、不思議だね」
「それはね天岸さん」高瀬が諭す。「自分の命で、御部善区全員を道連れに出来るっていう意識があったからだよ。これはペナルティとかじゃない。強力な力だよ。だから余裕でいられたんだ。この力があれば、いざというとき、こいつらを虫みたいにひねり潰せるから、何を言われても気にならないな、っていう心境だったんだよ。でも駄目だよ天岸さん。あんたはイエシマの人間たちを、救わないといけないの。彼女たちは、こんな事態で、機が動転しているだけなんだよ。ほら、なるべく楽に殺してあげるからさ、覚悟が決まったら言ってね?」
「高瀬さん」医師が声を出す。「その結論はまだ出す時じゃないって言ったでしょう。うちの職員がなんとかしますよ。待っていれば、警察や救急も来ますし」
「何言ってんのよ、先生。毒の回りと、いまこの船がどのあたりにいるかを考えてみてよ。間に合うわけ無いでしょ」
「わかっていますが、こういう時は、誰かが気休めを言わないといけないんですよ」医師は煙を吐く。「犯人さえ捕まえれば解決するんです。犯人が撒いたナノマシンを回収して、増殖させて、それをただ打ち込んでいけば良い」
「本当にいるの? そんな犯人」高瀬は訊いた。「乗船前に毒を撒き散らす仕掛けをされてたら、どうしようもないでしょ」
「私たちの部屋割が決まったのは、出港のほんの直前なんですよ。私たちにも被害が出ている以上、その仕掛けは無理だと思いますが」
「乗っていないと無理ってことか……じゃあ、全力で隠れるよね、そうなると」
「高瀬さん、犯人に心当たりは?」
「無いってば。私、一人部屋だから、毒に倒れている同室の人間もいないから、毒についてまだよくわかってないんだよ。方法もわかってないんじゃ、なんとも言えないよ」
「方法は、現在調査中ですね。結局、その線から犯人を絞るの方が適切みたいですね」
「そう言えば、峰崎とかいう殺人鬼は?」高瀬が言う。「なんかそれ専門の警察関係の人達が乗り込んでた対処してたって聞いたけど」
「怪我をしているようですが、逃走中です。まあそれは専門の人に任せましょう。高瀬さんも、あまりうろつくのは危険ですから部屋に戻ってください」
「ああ、私は大丈夫だよ。身を守る術なら心得てるから」
「……それでも、面倒になるんで、タバコを吸い終わったら戻ってください」
「しょうがないね、ここは先生に従おうかな」高瀬は吸う。「警察関係者が守ってくれるなら、別にわざわざ抵抗することもないし」
気がつくと、近くからタバコ臭さがした。
いつの間にか、天岸が私たちの近くに座っていた。
「あー」天岸は私たちに、暇を潰すみたいに話しかけた。「高瀬さん、なんか強引でさ、あんまり話したくないんだよね」
「談笑してましたよね」向坊は、ハンカチで口を押さえて、天岸から距離を取った。「空気も読めないで楽しそうに」
「タバコを吸ってると、喫煙者が全員同じ趣味の人に見えてくるんだよ、覚えておいた方がいいよ」
「……私がタバコアレルギーなの忘れました?」
「ああ、ごめん、忘れてたよ」
天岸は身体を持ち上げるように立ち上がって、言う。
「ちょっと頭を冷やしてくるかな。クズみたいな乗客相手にして疲れたよ」
「待って下さいよ、危ないですって……」
「峰崎って奴、施設の調査員たちを回復させたくないなら、私だけは狙わないと思うけど」
「殺人鬼がそんなきちんと考えてるわけないですよ」
「そう」
頷いた天岸だったが、足を止めなかった。向坊は「身勝手すぎるでしょ、あの女」と言って歯軋りを立てるばかりで追いかけはしなかった。
私は、無意識のうちに立ち上がっていた。
「加賀谷さん、追うの?」向坊が訊いた。
「……まあ、気になることがあるんで」
私は、他人とはなるべく死ぬまで極力関わりたくないと思っているのに、そんな考えと今の行動は矛盾する。
天岸は、エレベーターを通った。階層を見ると、甲板に通じている所だった。私はエレベーターを待って乗り込んだ。
天岸は甲板に吹く、涼むには冷たすぎる夜風を感じた後に、追ってきた私の方を振り返った
「まさか、君だったなんて。加賀谷さん」天岸も意外そうな顔をしていた。暗くて、あまり見えなかったけれど。「来るなら、向坊さんとか精密女だと思ってた」
「……あなたが死ぬしか、方法は無いんですか?」
何故かそんな言葉が、私の口から意識もしないで漏れて出た。そもそも、どうしてこんな女と二人きりになろうと思ったのか。訊きたいことは、もっと別にあったはずだ。
「犯人を見つける以外だと、今の所は無いよね」天岸は甲板の手摺りに片手を乗せて、それから真っ黒い海を眺める。「陸まで行けば、たかがナノマシン一機だよ。なんとでも出来る。ただこんな限定状況で使われては、手も足も出ないよ。犯人は、この機能を理解してるんじゃないかな」
「どうして死にたいんですか?」これは訊きたいことにやや近い質問だった。
「だから言ったじゃん。もう良いんだよ、疲れた。何も成せない、人に糾弾される、どうするのが正しいのか、そんなことを考えるのも、もう疲れたんだよ」
その表情を真横から眺める。
やっぱり、引っかかる。確信なんてない。あるのは、ただなんとなくそう思うだけ、という勘だった。
「それ……」私は訊きたいことを口にする。「本当に、天岸さんは死にたいんですか?」
沈黙。
彼女が口を開いたのは、十秒も後になってからだった。
「死にたいって言ってるじゃん」その声色には、遊びも冗談も介在させない、ナイフを突きつける程度の真剣さがあった。「なんで疑われないといけないの?」
「……別に、なんとなく、そう思ったんです。本当は、死にたいわけじゃないって」
「本当だよ」天岸は視線を私から逸らす。「面倒な子に付き纏われちゃったな。生きてる意味がもう無いから、死ぬの」
「……じゃあ、今ここで、唐突に殺されても、文句ないんですね」
天岸は、私を観察する。自分を殺せるようなものを、何も持っていないことを確認する。
「…………無い。無いはず。無いはずなのに」天岸が、舌打ちをする。「時々考えるんだよ。意味もなく、生きてきたのか、とか。本当に何もなさないまま死ぬのか、とか。そんな下らないことを……私が嫌ったはずの、世間が言いそうな……世間が崇めていそうな……綺麗事を」
「…………そうですか」
ああ、この女。
「いいのにさ、そんなこと。何もなせないで死ぬことなんて、気にしてないはずなのに……どうしてこんなに気になるのかな。もう自分のことで、誰かに影響なんか与えたくないのに、なんで無になるのが、こんなに気分が悪いんだろうね。加賀谷さん、あなたは、死についてどう思う?」
この女がどう思っているかなんて、どうだって良いけれど、
この女の考えを聞くと、彼女を殺してしまうことに、抵抗が生じる。
その点で、私はまだまだ人間だった。感じるべき罪悪、感じるべき倫理をまだ抱えていた。
そんな話を聞かなければ良かった、と思えば良いのか、聞いて良かったと思えば良いのか、わからなくなった。
「死は……」私は、聞かれたことに対して答える。「どうせ訪れる、逃れられないものですよ」
「そうだね。じゃあ今すぐ死んだほうが楽だと思うけど、なんで生きてるの?」
「私は……好きな人と、一緒に死ぬのが目的です。それまでの間……生きている時間を、なるべく彼女と過ごして……死の瞬間にそれを振り返って……気持ちよくなりながら死にたいだけです。今すぐに死ぬと、その思い出が、私を気持ちよくさせるのに総量が足りないと思います」
「うん。変わった考えだね」天岸は顔を伏せる。「いいな。目的があるんだ。私は、そんなもの、あったことがない。疲れた。人と関わるのが辛い。だから……死のうと思うんだよ」
「……自ら死ぬくらいなら、生きていれば、出来ることはあるんじゃないかと。目的だって、見つけられるんじゃないんですか」
「あはははは。それさ、模範的な回答だよね」
私の、言うべきだと思った精一杯の綺麗事を笑い飛ばして、天岸は手摺から、そして私から離れる。
「そういう答えが、私は一番嫌いなんだよ」
ひらひらと手を振って、私に背を向ける天岸。
「安心してよ。出来ることがなくなったら、私が死ねばいいだけなんだから」
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