6

 向坊の提案は唐突だった。

 乗客の様子を、順番に見てまわっている時だった。毒の様子を確認して、それから種類を判別して(全員Aだったが)、部屋からなるべく出ないように、と注意をするだけの作業の途中で、向坊は思い出したかのように、「内生蔵さんの様子も確かめないと」と口にした。

 話を聞くと、彼女は内生蔵のファンらしく、彼女の同室が毒に侵されているのを、ずっと心配に思っていたという。このままでは、内生蔵の精神も参ってしまうかも知れなかった。だから、優先して見に行きたいと。

 そういう優先順位をつけるのは悪い、と医師は嗜めながらも、内生蔵の様子は気になると言った。偏見だが、内生蔵はこういう時に無駄に動き回りそうな人間だろう、と医師は彼女に対してそういう見立てをしていたからだった。

 内生蔵の部屋は、そう遠くない場所にあった。けれど廊下を歩くことに飽きていた私は、その距離が妙なほど遠く感じてしまった。窓もなく、こんな船に閉じ込められているという閉鎖感が、どうにも息苦しかった。

 向坊が内生蔵の部屋をノックする。

「内生蔵さん、スタッフです。先生を連れて来ました」

 しばらくして、中から返事があった。

『先生? 医療スタッフはさっき来たけれど』

「ナノマシンの専門だよ」医師が挟む。「その話は伝わっているだろう。医療スタッフとは違うところを診ようと思って見回りしているんだ」

『……どうぞ』

 内生蔵はドアを開ける。中から顔を見せた女の顔は、確かに異様なまでに整っていた。そこに、無駄な表情が何も乗っていない。計算で導き出されたような造形だった。多人数でゲームをしていた時も、きっとこの顔をしていたのだと思うと、なんだか不思議な気分だった。

 部屋の等級は、別に中静と同じだった。こんな大人気広告モデルとも言われるような女でもこういう部屋なのか、と少し夢が壊されるような気分になる。

 内生蔵は、悲しむでもなく、声を張るでもなく、恐らくはいつも通りに来客を招いて、ベッドの方を指差す。

「あそこです。名前は倉沢ゆき」内生蔵が言う。「私は、別に名乗らなくても良いですよね。名が轟いてるし」

 医師と天岸が、ベッドの女を調べる。意識はないが死んでもいない。ナノマシンを判別して、落胆めいた声を漏らす。もうさっきから何回も見たような光景だった。それを見るたびに、私は浪費した時間が、茅島さんの命がすり減る様子に見えて、胃痛を覚える。

 向坊は、ずっと椅子に座って端末を触っている内生蔵のことを、じっと見つめてうっとりとしていた。茅島さんが健康だったら、この女にちゃんと見せてやりたいと私は思った。

「この子とも話した」天岸がぼそりと、後悔みたいに呟いた。「研究職に憧れてるらしくて、誰から聞いたのか、私に話しかけて来たんだよね。私のファンなのかと思ったけど、研究職のことが知りたいだけみたいだったよ。結構勉強してるみたいで、イエシマのことも好きだって言ってた。あー、将来有望だって言うのに、惜しいよ。イエシマなんて、辞めといた方が良いと思うけど、って言ってあげたのに、それでも憧れですから、なんて答えられると……自分が惨めになるよね。私はもう、人生を手放そうって言うのに」

「内生蔵さん」

 医師が呼び止めると、モデル女はやや面倒そうに返事をした。

「はい?」

「倉沢さんが毒を盛られた経緯について、何か心当たりはあるか?」

「さあ。無いです」

 あっさりと、内生蔵は答えた。まるで、どうでも良い他人が倒れた時みたいな反応だった。同室だから、少なくとも知り合いだとは思うが。

「一緒にはいなかったのか?」

「ええ。別行動でぶらぶらしてました。ゆきが、プラネタリウムに行くって言ったけど、興味ないから、私」

「倉沢さんは友達じゃないのか?」

「友達ですよ。いつも一緒にいるのが友達っていう考え、古いですよ」

「……じゃあ君は、何か体調に変化も?」

「無いですね。心当たりも特に無いです」

 内生蔵を見ていた天岸は首を振る。彼女がBナノマシンを持っている可能性も無いという。

 内生蔵はその様子を確かめると、天岸に向かって口を開いた。

「あなたが元凶?」

「元凶だなんて」天岸はへらへらと首を振る。「私がナノマシンを撒いたみたいに」

「でも、元凶だって聞きました」内生蔵が頬杖をつく。「この毒を開発して、船に蔓延させているのは、天岸さんだって。開発しただけだって本人は言ってるけど、それは言い逃れがしたいだけだって」

「……誰がそこまで言ってた?」

「記者の、上路さんが。天岸さんが昔、実験中に人を殺してイエシマを追い出されて、それからは、イエシマを潰すために動いてる救世主だって」

 救世主。

 大袈裟な単語が過ぎる。天岸は、肩に勝手に乗せられそうなその単語を、暑苦しそうに眉を顰めて拒否する。

「やめてよ、そんなの。私は、イエシマに逆らおうとか、そこまで考えてない。イエシマの今後なんてどうでも良いよ、心の底から」天岸が吐き捨てた。「人を殺したって話まで知ってるわけ?」

「ええ。本当なんですか?」

「そう。本当」天岸は頷く。「でも気に入らないな。勝手にそう言うふうに祭り上げられるのは。ねえ先生。上路に文句を言いに行こうよ」

「心配しなくても、どうせいずれは向かいますよ」医師が腕を組んだ。

「そうだけど、気に入らなくて。私はもうすぐ死ぬ気だけど、死後まで他人に消費されたくないからさ……」

「私は」内生蔵が、表情を変えないままで言った。「その姿勢、格好いいと思いますけど」

「なんだよそれ」

「イエシマなんて、叩き潰した方がいいですよ。そうしましょう。応援しています」

 にこりともせず、綺麗な顔を保って、内生蔵はそんなことを口にし始める。彼女の頭の中では、どんな考えがあるのか、見ているだけでは推し量れない。

「君は……」医師が、少し畏怖を抱きながら、彼女に尋ねた。「イエシマに何か思うところが?」

「ええ。ただ嫌いなんです」

「なら、イエシマの船にどうして乗っているんだ」

「乗れと言われたので」

「誰に?」

「父に」内生蔵は珍しく、やや顔に怒りを浮かべる。「それ以上はプライベートのことなので話せませんけど、父がそう言いました」

「どうしてイエシマを嫌う?」

「父が原因です。それ以上は……」

「……わかったよ、理解はしたよ。君の怒りだけは」

 医師は、何か倉沢に異変があれば、すぐにスタッフに知らせてくれと内生蔵に告げてから、部屋を後にした。

 次に向かったのは、さっき名前の出ていた上路の部屋だった。偶然、内生蔵とは近いところに泊まっていた。

 上路の部屋は、内生蔵よりも上のグレードだった。医師のところほどでは無いが広い。設備は特に違いがないため、広い以外に等級で違いはあるのか不思議に思った。

 この部屋で毒にやられている乗客は、遠周という上路と同じ記者だった。同じ新聞社で働いている先輩と後輩という関係らしい。遠周に意識は無く、いつも通りの医師と天岸の調べが終わって、いつも通りの重いため息を生成しただけで終わった。

 医師は上路に話を聞いた。この女、パーティの時にいろいろと嗅ぎ回っていた女だった。

 上路昭恵。彼女はそう名乗る。短い髪をくるくると巻いていた。異常に活発そうで、私の苦手な人間だろうと思った。

「心当たりは無いですねえ」上路が話す。「船の施設は一通りふたりで見て回りました。プラネタリウムとか、娯楽施設も近くまで行ったけれど、仕事で乗っているわけだから、実際見てないですね。取材や記事のことしか考えてませんでしたね」

「ああ」精密女が急に口を挟んだ。「上路さんじっとしてませんでしたよね、ずっと。なんか騒がしいなと思ってましたけど」

「……ええ、そうですよ。どうでもいいでしょ、そんなこと」咎められたことを、上路は嫌な顔をする。それから医師に向かう。「先生。犯人像の見当は?」

「え? いやまだですが」

「そこの天岸さんが犯人という可能性は?」

 名前を出された天岸は、嫌な顔をする。この女は上路が気に入らないと言った割に、ずっと部屋の隅で私と同じようにじっとしていた。

「本人は、違うと言っています」

「へえ。天岸さん。イエシマ社に対して、なにか恨みはありますか?」上路は訊いた。「こんなイエシマ社の船で起こした、こんな大規模な犯行なんて、きっとイエシマ社に恨みがある人間が行ってるんですよ。天岸さんは?」

「別に……私はイエシマに対してなにも感じて無いよ」天岸は首を振った。「それより、勝手に私の噂を流してるの、あんた?」

「噂もクソも、そうにしか見えないんです。なら真実でしょう」上路は笑う。「イエシマには何かこう、一撃を加えるべきなんです。そうしないと、あの会社は胡座をかきまくって国民を苦しめるんです。あの増長は止めないといけないんです」

「あんたの思想誘導に私が利用されるの、嫌なんだけど」

「思想誘導なんかじゃない」上路は引き下がらなかった。「あなたのことを調べた。あなたはきっと、イエシマに恨みを抱いている。だから今回の事件を起こして、イエシマに復讐しようとした。きっとあなたは、イエシマに改造させられて、機械化能力者になったんですよ。実験で人を殺したのも、イエシマに文句があったからなんです。あなたは絶対に、イエシマを潰したいって思っているはずなんです」

「結論ありきで決めつけないでよ……」天岸は呆れた。「はあ。あんたみたいなクズ記者がいるとなると、うっかり死ぬのも考えものだよね」

「クズ? 私が?」上路が機嫌を悪くした。

「そこの遠周さんの取材は、もっとまともだったと思うけど。パーティの時に話したけどさ、変なレッテル貼りみたいなのは無かったよ」天岸は大きなため息を吐く。「あなたは飛んだクズ。同じ新聞社でどうしてここまで違うのか不思議だよまったく。このクズクズクズ」

「あんたが遠周を語るなよ!」上路は指をさして大声を出した。「あんたのせいでこの子が毒で苦しんでるんじゃないの! イエシマへの復讐に私たちを巻き込むな! 謝罪してよ!」

「は。何回でも言ってあげる。同僚にも劣る無価値なクズ女」

 上路が物を掴んで投げたのを、精密女がキャッチして防いだ。

「二人とも、無駄なエネルギー消費ですよ、こんなの」

「はは」天岸は笑いながら、背中を向けて部屋を出て行く。「どうせ死ぬんだよ。発散しない方が勿体無いでしょ」

「待て!」上路。「謝れ!」

「ふん。猿がなんか言ってる」

「謝れええ!」

 その後、上路が落ち着くまで、かなりの時間を要した。

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