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 甲板に出ると、人が集まっている様子が確認できた。

 この客船、「対」号の横に、小さな民間船が接触している。対号はいつの間に進行を停止させていたのか、微かに見える海の景色が少しも動いていなかった。さっさと陸地に辿り着かないといけないのに何をやっているんだろう。よくわからない民間船のために船を止めている理由なんて無いだろう。

 民間船には中年男性が数人乗っていた。対号の甲板で、いずれも困ったような顔を浮かべていた。その対応は畳家が行っており、この船の事態を少しも感じさせないくらいに、淡々とコミュニケーションと指示を出していた。

 畳家は、スタッフを送るから中をチェックさせてくれと告げ、民間船の船長は了承をする。

「エンジンの不調らしいな」近づいて、畳家たちの話を聞いていた医師が言う。「こんなタイミングで、こんな船に助けを求めるなんて、最高についてるな」

「先生」畳家は向坊みたいに、医師を本当の先生みたいに呼んだ。「そっちの状況は、どうですか?」

「なにも変わらんよ」医師は首を振った。「それより、この船にナノマシン増殖機が積んであると聞いたんだが」

「ええ、こちらの船長さんが、そう言っていました」

「ああ、そうだが……」民間船の船長は頷く。もう初老なんじゃないかと言うくらいの年齢に見えたが、身体は大きかった。

「私たちも、中を点検させて貰ってもいいかな」医師は畳家に訊いた。「畳家さん。こちらの状況は彼に伝えているか?」

「いえ、不要だと思って……」

「彼にだけ教えておいてくれ。エンジンは私が見てくる」

「わかるんですか?」

「わからなくても、わかる人間に訊くさ」

 加賀谷さん、行くぞ。と医師は私を引っ張って、甲板に掛かっている長い梯子のようなものに導いた。こんな不安定なところを通るなんて聞いていない。私はその場で座り込みたくなったが我慢して彼女に着いていった。

 梯子の先にはボートが浮かべてあって、そこから民間船内部に入れるようにタラップが掛けてあった。ボートに足をかけるのも、不安定で気分が悪くなった。こんな気温だ。海に落ちれば、あまり健康に良くはないだろう。というか、死ぬと思う。

 民間船には誰もいない。甲板に集まっていた数人の男性だけで、船員は揃っているようだった。私たちと、あとから来た船内スタッフ(顔見知りはいない)と船内を調べた。至って普通の船、という印象以上の感想は浮かばなかった。武器の類も、怪しいものも積んでいない。

 ナノマシン増殖機は、船の倉庫に積んであった。思ったよりも、大した大きさの物ではなかった。大きなリュックサックくらいのサイズ感だった。重たいだろうが、腕で持ち上げられるような気がした。外見は、よくわからない研究機械としか言えなかった。

「医師さん、これって?」私は訊いた。

「名前の通り、ナノマシンを増殖させる機械だ」医師は調べながら説明する。「増殖と言っても、ここには何も書き込まれていない汎用ナノマシンが大量に保存されているだけだが、一つのナノマシンの特徴や命令、そして仕事をそのままそれらにコピーして増やすことが出来る」

「じゃあそれって……」

「とにかく、これを使えば全員分のBナノマシンを増殖することは出来るってことだ」

「なら早く茅島さんを助けましょうよ!」私は機械を美味しいものでも見るような目で見た。

「落ち着け。君を冷静だって誉めたのを忘れたのか。今のところBナノマシンを持っているのは天岸だけだが、増殖には彼女からナノマシンを抽出しないといけない。しかし、そのためには体内の血を全て抜く必要があるんだ。説明、聞いていたか?」

「……いえ、はい。わかってました」私は深呼吸をする。「天岸さんが犠牲にならないといけないことは変わりないんですよね」

「ちょっと救える人数が増えただけだが、一応この機械のことは覚えておくか……。天岸がこの瞬間に病死でもした場合には使えるだろう。接続されているその小型端末で、そのプロセスが全て管理出来るみたいだな。使用自体は簡単だろう」

「なんとかこれでBナノマシンは作り出せないんですか?」

「無理だろうな。解析でもすれば話は別だが、それを行うにしても同じだ。天岸は死ぬ」

 機械を調べ終えた後、医師は溜息を吐いた。

「まあ、天岸の死で、船の全員が助かるという状況になっただけで、少しはマシだろう」医師はさらに倉庫を眺める。「結局のところ、犯人を探せば全てが解決するのは変わりない。最悪の場合は……天岸を殺すことになるだろうがな。幸い、あの人は自殺志望者だ。楽に殺してやるし、あんたの命で船の全員が救える、と持ちかければ断らないだろう」

「……そうですか」

「でもな、その話が施設の上層に知れると、私たちが今後どういう扱いになるかわからん。施設自体が解体されるという恐れもある。誰かを救うためとはいえ、人を喜んで犠牲にするような機械化能力者は危険思想を持っている、としてな……」

 そうなると、茅島さんも施設を追い出される。そこから自由というわけにはいかないだろう。勾留か、もしくは殺されてしまうのかもしれない。そのくらい、狂った機械化能力者に対して、世間は厳しくなっている。

「なるべくなら、避けたい話だよ」

 言いながら医師は倉庫の外に移動した。それから携帯端末を起動させ、電話を掛けた。

 向かった先はエンジンルーム。いわゆる機関室だった。医師は施設にいるであろうそういったメカに詳しい人間に電話を掛けて、エンジンの調子を報告して助言をもらっていた。私はその間、やることがないので、ぼーっとエンジンを見ていた。

「このまま動かすのは推奨されない、らしい」医師が電話を切ってから言う。「対号で牽引してES30まで連れて行くのが一番だろう。ちょうどこの船の行き先も米国らしいからな。まあ最も、その前に私たちの被害が酷いことになる恐れのほうが強いが……」

「なんのための船なんです、この船って」

「研究所の輸送船らしい。イエシマとは別の、医療機器などを扱っている会社だ。米国の会社だから、日本人に馴染みはないが、日本で生産した機械などを、こうやって船で運んでいるらしい」

 そうして用事が全て終わった私たちは船を出て、対号の甲板に戻った。帰りの梯子は怖かったが、目を瞑って息を止めて登った。

 甲板の畳家に状況を報告して、助言と指示を出してから、畳家の話も聞いた。彼女は頼んだ通りに、船長にこの船の状況を伝えていた。隣りにいた船長は、驚きはしたが、出来ることがあるなら何でも言ってくれと心強く口にした。

「船長さん」医師はその流れで尋ねる。「ナノマシン増殖機を使わせてほしいんですが」

「ああ、構わないが」船長は言いよどむ。「私らは、積み荷に対してはずぶの素人で、使い方などわからんが、あんたらはわかるのか?」

「機械に詳しい奴に任せます。ありがとうございます」医師は頭を下げる。「あの船のエンジンは……正直言ってかなり調子が良くないみたいです。経年劣化でしょう。こんな状況ですが、この対号で牽引して、米国に連れて行くという手はずでよろしいですか」

「ああ、助かるよ……」

「それから先生」と、畳家が手を上げて口を挟んだ。「先生が船に行っている間に、警察から連絡があって」

「……期待はしていないが、聞こう」

「陸はあいにく悪天候で、船もヘリコプターも、すぐに出すのは難しいとのことです。出せたとして……毒で死ぬような時間には間に合わない、みたいなことも言ってましたが、もしナノマシンに干渉する薬剤でもあれば、それを投与してなんとか持ちこたえさせて欲しいと」

「ふん……出来るならやってるさ」医師は舌打ちをする。「船にそういう薬剤は、あるのか?」

「いえ……怪我とか病気の治療薬くらいしかないですね。そういう薬剤なんて……専門の医療機関にしか無いと思いますけど」そして畳家が言いづらそうに訊いた。「あの、ナノマシン増殖機を使うってことは……天岸さんを?」

「殺すって? それは早計だよ」医師は苦笑いを浮かべる。「念のためだよ」

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