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「犯人は、船に乗っているのか」

 電子タバコを何十分も吸い続けている医師が、天岸と二條と、それから精密女とで相談をしていた。

「私は、乗ってると思うけど」天岸が言う。この女もタバコを吸っている。「だって、全員が、多少の前後はあるけど、同じような時間に症状が現れたわけでしょ? じゃあ体内に入った時間は、全員そう離れていない。そうすると、ナノマシンは船内で仕込まれた可能性の方が高くない?」

「体内に入ってからどのくらいで発症するんです?」

「さあ……」詳しいと言ったくせに、天岸は首を振る。「設定によって違うよ。毒は積んでるけど、モノは医療用の汎用ナノマシンだから、体内に入ってから活動するまでの時間は、それぞれ設定出来るんだよね。病院じゃ、最大でも二十四時間ぐらいしか使わないけど、時間設定自体は、どれこまで長く設定できるのかは、私はわからないね」

「船外で注入された説はないんですか?」精密女が訊いた。

「全員、住んでる場所もバラバラだろう」医師が答える。「そいつらを探し出して毎回何らかの方法でナノマシンを注入して、さらにそこから計算してこの時間に発症するようにするなんて、バカみたいな手間だ」

「でも、全員イエシマの関係者ですよね。乗客は、何処かで集まっていた可能性は否定できないのでは」

「ふくみやエリサや臨床はどう説明する」

「彼女達は船内で狙われたとするならどうですか」精密女は指を立てた。「峰崎が頼んだんですよ。あいつの仕事で狙う必要があるから」

「なら、お前が元気なのは説明がつかないぞ」

「チャンスがなかったとか?」

「根拠が薄いな……」医師は、煮えきらない顔をする。「精密。ならお前は、ナノマシンを投与された乗客の共通点を探してくれ。彼女らが一度集まっているのなら、お前の説も現実味を帯びてくる」

「ええ、任せてください」

 話を聞きながら、二條ちあきは足に包帯を巻いていた。この船の医療スタッフだという女が、彼女の面倒を見ていた。医師が二條を見るなり連絡をして、医療スタッフにすぐ来てくれるように手配をしていた。

 乗客の運搬が一段落したのか、向坊もマスクをしながら部屋の外に立って、私たちの話を聞いていた。現状どうしようもないナノマシンに対して、下らない治療を施すよりも、犯人を探すと考えている私たちの方が、彼女の興味を引いたらしい。

「彩佳……」隣の美雪が私に声をかけてくる。「大丈夫?」

 こういう時に、いつも心配してくれるのは彼女だった。私が、茅島さんのことしか頭にないってことを、彼女は理解しているんだろう。それに、よほど悪い顔色をしていたらしい。

「私なんて、どうだって良い」正直に私は答える。「茅島さんがこんな目に遭ってるのに、何も出来ない私なんて、いなくたって一緒だよ」

「そりゃ、私だって助けたいけどさ……」美雪はベッドの方をちらりと見た。「天岸さんを殺してふくみを救うのも、悪い考えだって正直思わなくて……でもそうすると、Aに罹った人と、御部善区の人の命が、全部ふくみに乗るっていうのも……なんか可哀想な気がして」

「こんなところで死ぬのも、同じくらい可哀想だと思うけど」私は言った。「それに……結構イエシマの中でも、重要な人が乗ってたりしたら、治療法があったとしても、絶対その人が優先されるじゃん」

「……そうなったら、それしか無いってなったら……」美雪は次の言葉を継ごうとして、首を振る。「……まだ早いよ、そんな判断。助かる道があるかもしれないし。私は、エリサさんを見捨てることも、臨床を見捨てることも、まだ考えたくないよ」

「私は、茅島さんが……その二人のどちらかのために見捨てられる未来を、こうやって今から悲観することしか出来ない」

 顔を伏せる。

 何も見たくなくなった。茅島さんの様子を、確認しに行くことすら怖くてできなかった。

 聞こえる。

「なんで……」向坊が扉の向こうから、天岸の方に話していた。「なんでそんな危険な機能を売り払ったんですか」

「そりゃまあ……お金とか、いろいろだよ」

「お金でそんな危険なものを市場に流すんですか? バカじゃないの!」向坊は怒った。その怒りも当然だろう。天岸の態度は、いつもふざけているようにしか見えない。

「機能パーツを分解して、リサイクルしてくれるっていう業者に頼んだはずなんだけど、まさか私だってこんな、売ったままの機能が、そのまま私の前に現れるなんて、想定できるわけ無いじゃないの」天岸は、言い訳じみたことを言う。「危険な機能だっていうのはわかってたから、業者に頼んだのにさ。これじゃあ意味ないね。何が下取りだよまったく」

「あなたが安々と売り払わなければ、こんな事になってないんじゃないですか!」

「しょうがないだろう。売るしか無いんだから。良い? 機械化パーツっていうのは破壊するにも金がかかるんだよ。会社はそんな費用を出してくれないし。研究しろって言ったのは会社なのに。危険だから、私だって破壊で済ませたかったさ」

「そんな言い訳……」向坊は天岸をじっと睨んだ。「いくらでも出来ますよ。そうやって、責任から逃れようとしてるの、ダサいですよ」

「あーはいはい。よく言われる」

「あなたのこと、好きになれません、私」向坊は、視線をそらせた。「なんでこの船に、あなたみたいな人が乗ってるんだ」

「気になりますね」医師は向坊の言葉を受けて、天岸に尋ねた。「そういえば、どうしてこの船に? 単なる旅行ではないでしょう。もう社員でもないのに、どういう経緯です」

「えー、訊く? それ」

 言いづらそうに、天岸はそっぽを向いた。明らかに、何かがそこに隠れているような反応だった。

「言わなくて良い?」

「犯人、それに峰崎となにか繋がるかもしれません。話してください」

「……はあ。わかった。でも、軽蔑しないでよ」

 どんな理由なんだ、と思って私は聞き耳を立てた。

「死のうと思ってさ」

 ――。

「自殺……ですか?」数秒後に、医師が訊いた。「ES30ワードまで行って?」

「そうだよ」天岸は、日常会話と同じ程度の頷きをした。「あそこには、イエシマの支社がある。というか、私が働いていたのは、そのES30ワードだったんだけど、そこでこの機能を解除して貰おうと思った。御部善区の人間たちが如何にクズだろうと、変に私の都合に巻き込むのは違うと思って。で、最後に元社員特権を使って、船の最高級スイートルームを満喫してるってわけ。その最中に、こんなことになるなんて、思いもしなかったけど」

「自殺の理由は、なんですか」

 ケロリとしてなんの重圧も感じなさそうな女と、自殺という言葉が指し示す意味が、上手く結びつかなかった。

「まあ話せば長いんだけど」天岸はタバコを吸う。「私はそもそも、ES30ワードのイエシマ社で様々な機能を研究してて……、でもその過程で、犠牲者も何人か出してさ。それでも会社が庇ってくれた。けれど限界が来て、ES30ワードを追い出されたんだよ。住民の反感と、組織のけじめってやつで。その後の私は、御部善区に住むことになったんだけど、区民は私が何を犯してきたのかわかってたんだよ。それが、そもそもの嫌がらせの原因。見かねたイエシマが、私を守るためという名目で、私を犠牲にして会社を守った。そのための機能なんだよね」

 一服。煙を、ふうっと吐く天岸。

「人を死なせたし、罪滅ぼしとか贖罪? とかそういうのも考えたけど、あんまりそれで報われる人もいないし、私も苦労するだけだし、もう疲れちゃったから、死のうと思った。それだけの話しだよ。悪人としてこのまま死ねば、御部善の奴らも多少のストレス発散が出来るんじゃないかな、なんて」

 自殺。

 私だって考えたことはあるのに、他人がそう考えているその理由を聞いても、なんだか馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。

「もう生きる理由がなくてさ。米国でこっそり死んで、何も残さないまま、出来るだけ虚無になりたいんだよ。疲れちゃったし、趣味もないし、病気にでもならないかと思ってタバコを吸ってるんだけど、なんにも変わらないし。死ぬなら、まあ御部善よりは、ES30かなと思って」

「……本当に、死ぬつもりで?」医師が、おそるおそる尋ねる。「立派な研究者だったんじゃないんですか?」

「立派じゃない。何も成してない。研究者として挙げた功績はなにもない。むしろ犠牲者を出しただけ。汚点だよ。私を生かすのに、その経歴は役に立たないんだよ」

「生きていれば、犠牲者への償いも出来るのでは」

「なにそれ。あはは。それが、人間として正しい行い? その助言も、人間としての正しさ?」

「そういうわけでは……」

「私はね」天岸は、タバコの火を消す。「何をすればいいとか、何を成せばいいとか、何が正しいとか、間違ってるとか……そういうのに、疲れたんだよ。どうでもいい。この世から消えたい以外の感情がないんだよね」

 その顔は、

 私の目から見て、どうしても満足している人間の顔じゃなかった。

 言っていることとその表情に、ちぐはぐさがあるような。

「……まあ、どうやって死ぬかはあなたの勝手ですけどね」医師は首を振って、頭を切り替えた。「機械化パーツを売ったのは、ES30ワードですよね。買い取った人間に、なにか心当たりはありますか?」

「さあ。わからない。さっきも言ったけど、業者に分解を任せたはずなのに、勝手に売りに出されたみたいなんだよ。買った人間が誰かなんて私は知らないな。売られていた、というのも憶測でしか無いけど、間違いはないよ」

「その理由は?」

「この機能が一点ものだから。私が開発して、実験用に生産したものだけしかないんだよ。市場に、同じ機能が生産されて出回っているとは考えづらいな。研究チームも、私しかいないし、パクりようもないよ。研究資料だって、全部破棄したし。私の報告を受けていた会社の上層の奴らならわからないけど、この船には乗ってないね」

「なら、犯人に心当たりは無いってことですか……」

「そういうこと」天岸は苦笑いをした。「ごめんね、何も知らなくて」

「峰崎については?」

「さあ。知らない。殺し屋でしょ? 面識なんかあるわけ無いよ。私を殺すために派遣されたのかもしれないって可能性についても聞きたい?」

「それも心当たりが?」

「無いんだよねー。まったく」天岸は何が面白いのか笑った。「っていうか、私のことが嫌いな人間って多すぎて、誰に恨まれてるとか、そんなのもうわからないんだよね。だから、そういう怨恨の線から言っても、私に心当たりはないよ」

 へらへらと笑う天岸。

 私は、この女にどんな感情を向ければ良いのか、よくわからなくなっていた。原因はお前だ、と罵るのが一番健康にいいのか、訳の分からない理由で煮えきらない死を考えている同情すべき人間なのか、単に気の合わない嫌いな人間だと割り切るのか、そのどれが最適なのだろう。

 でも、とりあえず今すぐにこの手で殺すのは、正解ではない気がした。

 向坊の端末が鳴った。ニコチン探知機がまた反応しているのかと思っていたが、違った。電話に応答した彼女は、話を聞いてひとしきり頷いたあとに電話を切って、医師を呼びつけた。

「先生。畳家先輩から連絡があって……」

「……どうした?」医師は返事をしながら、もう勘弁してくれとでも言いたげな表情を隠し切ることは出来ていなかった。

「近くで救難信号を出している船がいて、それがうちの進行ルート上だったので、さっき接触してみたんですけど、その船にとんでもないものが積んであるらしくて」

「なんだ?」

「えっと……ナノマシンの増殖機らしいです」

 それを聞いた医師は顔色を変えた。

「ほう。増殖機か。使えそうだな。畳家さんにはすぐ向かうと伝えてくれ。この船に、船の整備に詳しい人間はいるのか?」

「いません。船長がそうだったんですが……」向坊は思い出して悲しくなった。「畳家先輩なら、ある程度コミュニケーションも、船の簡単な操作も出来るんで、その辺りは今全部任せてるんです。えっと、甲板の方に出てもらえれば、いると思います」

「甲板だな。わかった。案内はしなくてもいいよ」

 医師は私たちを見回してから、何故か私に声をかける。

「加賀谷さん。ちょっと着いてきてくれるか?」

「え? 私……?」護衛にもなりませんけど、と口にしたくなった。

「まあ良いから」

 私と医師は部屋を出て、廊下を歩いた。この女と二人で歩くなんて、想像もしな方ことだが、その理由を程なくして医師は説明する。

「君は冷静だと思ったからな」

「……そうでしょうか」

「美雪は若いから判断力としてはいまいち。精密女は、今はあの部屋の護衛に置いておきたい。ちあきが怪我をしてるしな。戸ノ内に戦闘力は無いし、なによりちあきのことしか考えていない。ちあきもちあきで、頭が硬すぎる」

 冷静。

 何を勘違いしているんだ、この女は。

 悲しいから、何も感じたくないだけだ。

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