2・側にいろ 歌でも歌うから聞いて下さい

1

 こうして思うと、揺れもしない不気味な船だと感じる。

 船長の宗接が倒れはしたが、車にも搭載されいてるオートドライブのようなものが、この船にもあるらしい。だから運行に問題はないという。

 それでも船長が倒れた以上、イレギュラーには対応できないと畳家は話した。例えば正面にバカでかい障害物なんかがあった場合、舵取りが出来る免許は、船長しか有していない。自動で障害物を避けるシステムは、車に搭載されているものほど発達していないし、海上ではそれほど急に止まることも出来ない。

 途中で二條からメールが届き、峰崎を捕らえることが出来ず逃したことがわかった。医師は、私たちや他の乗客が峰崎に襲われる、という可能性があったため、私たちは意識のない茅島さん達を医師の部屋に運んだ。他の乗客も、それぞれ相部屋の人間が自室に運ぶ手はずになった。会場の床で、寝かせておくのも身体に障るし、なりふり構わなくなった峰崎が、無差別に人を襲う可能性があった。とにかく今は、集まっているのは危険だと判断された。

 私が茅島さんを背負い、精密女が日比野を、スタッフの向坊が岩名地を運んだ。天岸は、何故か自分の部屋に戻らないで、私たちに着いてきていた。部屋がこっちの方なのだろうか。

 医師の泊まっている豪華な部屋にたどり着いた時に、向坊のポケットに入っている装置が鳴った。

 なにかと思って、私たちはびっくりして彼女を見た。

「ああ、ごめんなさい」端末のアラームでも間違って鳴らした程度の顔しか、向坊は浮かべなかった。「ニコチン探知機が反応してます、えっと、先生はタバコを?」

 医師を本物の医師だと思っている向坊が、医師を先生と呼んだ。バツが悪そうに、医師は返事をする。

「そうだが」

「あ、えっと、ごめんなさい。私、タバコアレルギーで……」向坊は岩名地をどうしようか逡巡しながら答える。「こういう部屋は全部、畳家先輩に掃除を任せてるんですよ。間違って入ったら、身体が酷いことになりますから、こうやって探知機も持ってるんです」

「二人で馬鹿みたいに吸ったからな……」医師は言う。「なら、岩名地はそこへ寝かせておいて、君は他の乗客の手助けに行ってくれ。岩名地は、あとで精密が運ぶ」

「すみません、迷惑かけます……」

 そう言って、岩名地をそっと床に寝かせて、向坊はお辞儀をして去った。

 私たちは医師の部屋に入って、三人を寝かせた。茅島さんと岩名地がベッド、日比野がソファだった。医師は天岸にも横になるように勧めたが、彼女は拒否した。

「何処で寝ろって? スペース無いでしょ」

「そうじゃなくて……」医師は唇を噛む。「自分の部屋に戻らないんですか?」

「危険な殺人鬼が入り込んでるんでしょ? 嫌」天岸は首を振った。「それに、このナノマシンに詳しいのは私だけだよ?」

「それはそうですが、体調は……」

「まだ大丈夫だよ。ここから悪化するまでに猶予がある」

 医師は、ベッドで寝かされている茅島さんたちを見回してから、電気でも燈すみたいに、タバコに火をつけた。私はそれを、窓の近くに座って見ていた。美雪と精密女は椅子に腰掛けていた。天岸は床に座った。戸ノ内は、不安そうにその辺りをぐるぐると歩きながら、ずっと考え事をしていた。

「ちあきの報告では」医師が口を開く。「『峰崎は、怪我を負ったが怖気付いて逃げた。狙いは精密女とふくみ、それと美雪だけに絞るだと思う』と、ちあきからのメールには、それだけ書いてある。ちあきが今どういう状態なのかはわからんが、メールを打ち込める程度には健康だ」

「何を優先します?」精密女が訊いた。「峰崎の確保?」

「この事態が、あいつの仕業だとは思えんな。つまり、あいつを捕まえたところで、乗客は回復しない。このナノマシンはあいつの機能ではないと推測されるが、峰崎を拷問したところで、吐くとも思えん。知らない可能性だってある」

「じゃあ、ナノマシンの犯人優先?」美雪が尋ねる。「そいつを見つけられれば、とりあえず、乗客は回復できるよね。峰崎は、どうせ捕まえておかないといけないけど」

「そうかもな……」医師は、天岸に向き直った。「死までの時間は?」

「個人差もあるけど、大体……A毒だと十二時間と数十分程度で死ぬ」

 私は時計を見る。二十一時。翌朝の九時までに、ナノマシンをどうにかしないと死ぬ。

「B毒も、そこまでの違いはないよ……十二時間、まあ自分の様子を見るに、もうちょっと耐え切れるかもしれないけど、多分同じような時間に死ぬ。悪化するまでだと……十一時間ぐらいは保つかな」

「解毒方法は、他にないんですか?」

「無いよ。いやまあ、それなりの医療施設に行って、体内のナノマシンをマイクロレーザーで破壊するとかやれば、そりゃ治りもするけれど、現実問題として、それほどの設備のある病院は、これから向かうES30ワードにもあるなんて話は、聞いたこと無いね」

「日本に戻ろうにも、タイムリミットに間に合わんな……」医師は眉をひそめた。「客船に、それほどのノット数を期待できん。出港して二、三日掛かっているから、ちょうど今は太平洋の真ん中ってところか。十二時間で戻れるとも思えんが、米国にも十二時間以内にたどり着くのは厳しい」

「うーん、救助を待つにしても……」美雪が、コンピューターを触りながら言う。「あいにく、本土の天気も良くないみたい。これって、日本の船だよね。救助隊が来るなら日本からだけど……悪天候のなか六時間以内にここへたどり着いて、これだけの人数を運び出すのも……」

「難しいな……参ったよ」医師は、降参するように両手を上げた。その対策を考えるのが、あんたの仕事だろう、と私は口から吐きそうになった。「犯人探しと峰崎確保を同時に行うしか無いのか」

 扉が急に開かれて、人が入ってきた。私は驚いたが、誰なのかと首を回して確認する。

「遅れました」

 峰崎を取り逃がした二條ちあきだった。

「ちあきちゃん!」戸ノ内が喜んで彼女の手を取りに行く。「何処も怪我してない? 大丈夫?」

 二條の歩き方が、明らかにおかしかったが、本人は何も言わないで入り口付近に立った。

 医師は、現状とナノマシンに対する説明を二條にして、二條からは峰崎がどうなったのかを訊いた。メールで書かれた以上の情報が、彼女の口からは漏れ出てこなかった。

「私はこの状況……」二條が口を開く。「乗客を助けるのが先決だと思います。そのために、ナノマシンを撒いた犯人を探すのが、最優先だと思います」

 意外だ。峰崎のことしか頭にないような女だと思っていた。

「あ、ちょっと補足」

 急に天岸が手を挙げる。この女が口を開けば、嫌な事実しか出てこないことから、私は耳を塞ぎたくなった。

「補足? まだなにか?」医師が返事をする。

「私の機能のこと」

 そういえば、自分の機能だったナノマシンを売ったのだと言っていた。気がする。つまり彼女は、現在の機能は不明だが、機械化能力者だった。

「私の機能は、まあ……機能と言えるのかわからないんだけどね。その説明をしないといけないと思って」

「……初めに訊きますけど」医師はタバコを口から右手で外して、右手を腰のあたりに気だるそうに下ろした。「良い機能ですか?」

「はは。機能は良い悪いで判断できるもんじゃないけどさ」

 天岸が、笑う。

「明らかに、悪い機能だよ」

 ――。

「私の意識ではどうしようも出来ない、操れない、もはや私の機能じゃないとしか言いようがない機能だよ。医師、御部善区って知ってる? 日本の」

「ええ……確か、この船の目的地、ES30ワードの姉妹都市でしたっけ?」

「そう。イエシマの手が入っている都市だけど、数十年前に区長が変わってから、はっきり言ってしまえば、どうしようもないクズばかりが住んでる区だよ。イエシマとか、国とか、なんでも目につく権力者は悪だ、って決めつけてるだけの盲だよ」

 恨みが籠もったような言葉を、天岸は吐いた。

「そこにはね、戦術兵器が仕掛けられてるんだよ。電磁波で、区にいる全員の脳を焼ける代物なんだってさ。御部善区の奴らが、どうしようもないから、イエシマがそんなものを設置せざるを得なかったんだけど」

「……その話が、天岸さんの機能にどう繋がるんですか?」

「え? わからない?」

 にこにこと、天岸。

「私の機能は、自分の命がトリガーになって動く、その戦術兵器だよ」

 平然と、彼女は言った。

 意味がよくわからなかったが、なにかとんでもないことを口にしたような。

「それは……まさか」

「そうそう。私が死ぬと、その戦術兵器が作動して、御部善区の人が全員死ぬ」

 飲み込む。

 ようやく、そう語る彼女の双肩に、彼女以外の人間の影が見え始めた。

 ああ、それは、つまりこの女を殺して、その犠牲で茅島さんを生かす、なんて最終的な方法を、そう気軽に取れなくなったということだ。

「…………どうして、あなたにそんな機能が?」医師は、胃痛がしているのか、腹を押さえながら訊いた。

「抑止力だよ」天岸は表情を変えない。「私ね、御部善区で嫌がらせを受けていたんだよ。まあ、イエシマや国を、敵としか思っていない連中だしね……。私に限りない嫌がらせをしてきたのを、イエシマが利用したってこと。私を殺せばお前たちも死ぬ。そういう状況を作って、区の連中を大人しくさせようとしたんだよ」

「そんなメチャクチャな方法が通じるんですか?」

「通じてないよ」天岸は真顔になった。「死なない程度の嫌がらせなら、別になんてことはないし。そうでもしないと、あいつらはストレスが溜まって、耐えきれないんだろうね。可哀想な連中だ」

「……そう、ですか」

「まあ……だからさ、私を殺すのは、私としてはどうでもいいけど、私だけの命じゃないってことは、覚えておいてね」天岸はまた微笑んだ。私の考えを見透かしたように、私の方を、一瞬だけちらりと覗いて。「A毒に侵されている人の中で、生かすことでもっとも展望のある人になら、この命と御部善の人間の命を捧げたって良いんだけど」

「展望なんて、まだわかりませんよ」医師が止める。「犯人をとにかく探せば良いんでしょう。犯人には、両方のナノマシンがある。天岸さんと乗客、その両方に反対のナノマシンを注入させれば、全部元通りですよ」

「口で言うのは簡単だね」

「わかってますよ、そんなことは」

 医師は天井を仰ぐ。

「でも最も理想的な結果のために、任務は組まれるんですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る