6
私は茅島さんと会場内を歩くことにした。
峰崎がいないか見回るという名目もあったが、せっかくなのでこの会場を見飽きてしまおうという魂胆だった。
そこに何故か、臨床が着いてくると言い始めた。医師と精密女が天岸と話し込んでいるから、暇なのかもしれない。私は、よく知らないこの女が私たちの近くをウロウロとしていることに対して、羽虫が耳元を通るような異様なストレスを覚えてしまう。
三人で会場を、適当にうろついた。あまり人の塊には関わらないようにしたが、それでもひときわ目を引く集団が、会場の隅の方にいた。
その集まりは、他の連中とは違って、どちらかといえば馬鹿騒ぎのようなことをしていた。大きくてなんの配慮もない高笑いが、遠くからでも聞こえた。見ると、中央に立っている女を取り囲うように数人が集まっていた。何をしているのかは、ここからではよくわからない。
「騒がしいわね……」茅島さんが愚痴のようにそう漏らした。「なにやってるの、あれ」
「拡張現実ゲームじゃない?」臨床が答えた。「端末で出来るやつ。あの真ん中の子が取り仕切って遊ぶタイプだと思うけど……ってあの子、え? 内生蔵ひろか?」
急に臨床が名前を呼びながら狼狽え始めた。なにかの犯罪者なのかと思って私は警戒してその中央の女を睨んだが、茅島さんが答えを口にした。
「ああ、えっと、広告モデルだっけ。有名な」
「そうそう。企業の広告看板に優先的に肉体を晒す人。その中でもイエシマ社はもちろんだけど、他にも色々な企業からオファーが来てて……街で見かける看板の二割は彼女の顔とまで言われるくらいだよ」臨床は長々と説明しながら顔を覆い隠して逡巡する。「ああ、どうしよう。ファンってわけじゃないけど、なんか緊張する」
内生蔵ひろか。大きめの帽子を被っていても、目立つ容姿だということは伝わってきた。その帽子にはサングラスも付随していたけれど、本人は使うつもりもなく隠れるつもりも無いようだった。こういう場だと言うのに、高そうなパーティ服も身に着けていなかった。その顔は確かに美しいと思うが、私は茅島さんの相貌の方が好みだった。臨床は、茅島さんみたいな美麗な人間と毎日顔を突き合わせているというのに、なんで内生蔵なんかに慌てる必要があるんだろう。
内生蔵はゲームを監督するみたいに、それぞれ周囲の人に指示を出して、時々バカみたいな高笑いを発していた。真面目にやっているのか、そうでないのかの判断はつかなかった。
「変わった人ね」茅島さんがそう漏らした。「あんまり見たことないタイプ」
「……なんかでも、バカそうですよ」私は思ったままを口にした。「顔は、大人しそうな感じですけど」
「もう。彩佳、バカなんて言わないの」
「……ごめんなさい」
私の様子を見て、茅島さんは微笑む。
臨床は、どうしようか悩んでおきながら、結局内生蔵を見たいらしく、集団の方を背伸びして見つめていたが、やがて「げ」とカエルが踏まれたみたいな声を出して、背伸びをやめた。
「上路昭恵がいる」
「誰?」
「記者だ。何訊かれるかわからないから、退散したほうが良いよ。あいつ、施設のことに興味あるみたい」
あの集団の中にいるらしいが、誰のことを言っているのかはわからなかった。
「へえ。なにか訊かれたの?」
「私と医師の関係とか、本名とか。別に私の本名なんてどうでもいいから教えたけど、さすがに医師のは、勝手に教えたくなくて、逃げてきた」
「あんたの本名ってそんな簡単に教えて良いわけ……?」茅島さんが呆れた顔をした。
「臨床って自分で言いづらいんだもん。あ、ふくみちゃんも日比野で良いよ。それが本名だから」
「……呼ぶ機会があればね」
一通り歩き回っていると、追ってきた精密女が私たちを呼ぶ。
「臨床さん。動きが」
「動き?」臨床こと日比野というらしい女は首を傾げた。「えっと、ああ。峰崎?」
「はい。峰崎かどうかは判別できませんが、医師の端末に、知らないアドレスからメールが」
「なにそれ。迷惑メールじゃないの」
「医師のアドレスなんて、詐欺集団に漏れるとは思えませんけど」
峰崎という単語を聞き、私は過度な緊張感を覚えた。頭のネジを、間違ったドライバーで締め続けているような決まりの悪さがある。
茅島さんの態度は、別にいつもと変わらなかった。余裕を保ったまま、どうやってこの状況で下らない冗談を口にするのかを、ずっと考えているみたいだった。
戻ると、医師が私たちに端末の画面を見せた。
そこには簡素な文面でこう書かれていた。
「機関室」
茅島さんは、声に出してそう読んだ。本当に、それだけの文章が記載されていた。
何処をどう読んだら峰崎からのメッセージだと受け取れるのか、私は考えた。正確には峰崎でない理由を探した。見当たらない。峰崎だと言い切ることも出来ない。
「どういうこと?」茅島さんは医師の顔を見て訊いた。
「恐らく、送信者は峰崎だろう」医師は断定する。「あいつの犯罪組織に私のアドレスを漏らしておいた。普段は、下らない詐欺もやっていると聞く。施設の普段の仕事の積み重ねがあって、まあ何処に存在するどういう組織なのかは、多少見当もついていたのが幸いだったが。ともかく、このアドレスが私に繋がるとわかっているのは、峰崎とその組織くらいだからな」
「機関室……」茅島さんは首を捻る。「来いってこと? でも鍵は開いてないんじゃないの。スタッフも近寄らないって」
「さあな。超酸で鍵を壊せばなんとでもなる。自分が呼び出すとなったら、機関室が都合がいい場所なんだろう」医師は頭をかく。「しかし、何を考えているかわからん。罠に決まっているだろうが、放置するわけにもいかんしな……自棄を起こされると船を沈めかねん」
「狙いはきっと私ですよ」そう名乗り出たのは精密女だった。「この間、捕まえ損ねたときに、随分と痛めつけたのは私ですから、きっと恨んでると思います。次点でふくみさんですね。美雪さんは、そこまで直接関与していませんが、峰崎も認知しています。二條ちあきさんたちのことは、知りもしないかと」
「当然ながら、物理的な制圧が可能なメンバーしかないか……」医師は呟く。「ふくみと精密女は二人一緒になって、機関室を調べてくれ。ちあきとりた、この二人は峰崎に気づかれないように、ふくみ達を見守ってくれ。残りは、ここで待機だ。臨床は、ふくみと通信を繋いで、状況を把握して、逐一私に報告してくれ」
待機。バイトの私なんかに、出来ることはない。
けれど、いざそう告げられると、胸を割いてしまいそうになる。
「さて……そうなると、船長に事情を説明したほうが良いだろうな」医師は私たちを見回した。具体的には、私と美雪と岩名地エリサだった。「美雪は狙われる可能性が無いわけではないし、加賀谷さんは素人だ。エリサも殴り合いになったら子供にも負けるだろう。とりあえず私と一緒に来てくれないか」
そう言って、医師はスタッフの一人に声をかけた。スタッフは畳家と名乗った。というか、制服に名札が付いていた。当たり前だが、私より少し年上くらいの女性だった。
「すまないが、船長のところまで案内してもらえるかな。話があるんだ」
「え、話、ですか……」畳家はなにか不味いことをしたんじゃないかという表情を浮かべてから、渋々頷いた。「じゃあ、船長室までご案内します……」
畳家が移動する。
医師はそれに着いていくので、私は従わざるを得なかった。
茅島さんが離れていく。
「彩佳」
彼女が私の名前を呼ぶ。透き通っているのに、少し低めのその声質が私は好きだった。
「気をつけてね」
「茅島さんこそ、気をつけて……」
私は、なるべく小さな声でそう口にした。
耳が良い彼女にだけ、聞こえるように。
船長室は会場から離れていた。エレベーターで上り、デッキに出て船内に入ってから、階段をまた昇った。その道順は、目的地にたどり着く頃にはもう曖昧になっていた。
船長室は操舵室の連結してあった。私たちが外から入ったところが船長室で、その奥が操舵室らしいと、説明されるまでもなく、見れば理解できた。船長室の内部は簡素で、私の泊まっている部屋よりも何も物が無いようだった。少し大きめのベッドと小さなテーブル、そして冷蔵庫くらいしかそこにはない。
私たちが立ち入ると、ベッドに座ってくつろいでいた船長は、驚いてまず、畳家の顔を見る。船長も当然に女の人で、想像よりも若かったが、きっとこの中の誰よりも歳上なのだろうと思った。きっちりとした制服が、見ているだけで胃痛を覚えるくらいに、厳格な雰囲気を漂わせていた。
畳家が説明をすると、船長は立ち上がって私たちに挨拶をする。騒ぎを聞きつけたのか、奥の操舵室からもう一人女の船員が現れて、操舵室と船長室の境目に両手を合わせて立った。
「船長の宗接です」船長は背筋を伸ばして、名乗る。「えっと、どうされましたか」
「私は警察関係者の日比野というものです」医師は日比野の名前を勝手に名乗った。流れるように嘘の肩書も添えて。「端的に言いますと、この船に犯罪者が搭乗しているとの情報を仕入れ、その調査のためにここに同席しているんですけど」
「ああ……出港前に、本部から聞きましたが、どんな人物が乗り込んでいるのかまでは……」
「平たく言えば、殺し屋みたいなもんです」
医師は峰崎について、宗接船長に説明する。何故かそこに割って入って、興味深そうに話に加わる天岸。いつの間に着いてきていたのか、全く気づかなかった。
さらに医師は、船長と込み入った話があるからと、この場にいる畳家ともう一人のスタッフに事情を説明しておくように、美雪と岩名地に頼んだ。
私たちは、船長たちの邪魔をしないように操舵室に入った。想像の通りの部屋だった。舵取りがあって、窓からは前方の海がよく見えて、手元にはよくわからない計器が無数に、フジツボみたいに所々に設置してあった。
私たちは自己紹介をして、医師に倣って警察関係者だと口からでまかせを吐いた。
「私は、スタッフの畳家智音です」
畳家は中堅くらいの船員で、主に清掃業務を担当していると言った。バイトで乗り込んでいる船員に対して、適切に指示を出すのも彼女の仕事だった。スーツみたいな制服を着ていた。頭の色は自由らしく、何処か赤っぽい。長さはやや短い。元から優しそうな表情をしていて、話しているだけで甘やかされているような気さえしてくる、氷砂糖みたいな印象の女だった。年齢は、私よりも少し上くらいだろう。
「向坊かなみ、です。清掃スタッフです……」
初めに操舵室にいた向坊は、畳家の部下に当たる人物だった。まだ新人で、年齢は私と同じ二十一歳だった。本業は学生なのだろうか。ずっと緊張をしているのか硬い表情を崩さなかった。こちらも髪の毛の色は自由らしく、ほとんど白っぽいとも言えるほどの長い金髪を結ばないで垂らしていた。生真面目さが、こうして見ているだけで伝わってくる。きっと仲良くはなれないタイプだと思った。
岩名地は年長者らしく、この二人に事情を説明した。事情と言っても、突っ込んだ話ではなく、上辺だけの、主に峰崎が潜り込んだ経緯や、どれだけ危険で狂った人物なのかという話に終止した。岩名地はその情報を、同じ他の船内スタッフにもやんわりと流すようにと付け加えた。
「……殺し屋って」向坊の顔が、恐怖に染まっていった。脂汗までかいていた。「なんで……なんでそんな奴がこの船に乗ってるんですか?」
「おそらく想像だけど、オフシーズンで動いているクルーズ船が他になかったからだってさ」岩名地は言う。「今の時期に米国に渡るには、こういう船に忍び込むのが最も安全だと峰崎は判断したんでしょう」
「じゃあ大人しくしておけばいいのに!」向坊が呼吸を荒らげた。「本当に、あなたたちに任せておけば安全だっていうの?」
「ええ。それは安心してよ。ただ、もしものときに乗客を何処かに避難させないといけないって指示が、多分船長から出ると思う。その時に、あなたは落ち着いて対処して。あなたがおかしくなっていたら、乗客がやばいやつが乗ってるんだって感じ取っちゃうから。それで起きるパニックのほうがどうしようもないわよ」
「平常心……平常心……はあ。無理です」向坊が食い下がった。「ただのバイトが、どうしてそんなことまで?」
「向坊さん、落ち着いてよ」畳家が嗜める。内心はどうかは知らないが、流石にバイトを纏めている立場だけあってか、こういう状況でもそんな言葉が出てくる。「この人たちに任せておけば安心って言ったんだから、頼ればいいのよ。私たちが慌てる必要なんてない。何かあれば、賠償は全て警察にやらせれば良いの。普段ロクに仕事もしないんだから、そのくらいのことはしてくれないと困るわ」
「でも、死んだら終わりですよ、先輩……」向坊は泣きそうな顔をする。意外に表情は細かく変わる人間だった。「そこまでの命賭ける仕事だなんて、私は……聞いていませんよ……そりゃ、責任持って、ここにいるんですけど……」
「仕事の最中に殺し屋の登場なんて、普通予想出来ないわよ、文句言わないで」畳家が腕を組む。「私たちにとって最も正しいことは、お客様の安全。それ以外に何かある?」
「じゃあ死ねっていうんですか?」
「そこまでは言って無い。でも出来る限りをすると、被害は減るわよ」
「…………そうか。そうですね、なら、私が頑張らないと」
立ち直ったのかそうで無いのか、よくわからない声色で向坊は頷く。その様子を見ていると、心配にもなってくる。
「安心して下さいよ」岩名地が微笑んで言う。「うちの子たちは、まあそれなりに優秀だから。峰崎はただ一人。大人しく当行する方が……」
あれ――。
と急に岩名地は口にして。
何の前触れもなく床に倒れ込んだ。
突然すぎた。なにか、冗談でやっているのではないか、とも思った。
美雪も、他の二人も、助け起こすという選択肢の前に、状況把握に頭のリソースを割いていた。
何が、起きた?
私はまず、岩名地が誰かに殴り倒されたのだと思った。見下ろす。彼女の様子。頭から、血は出ていない。痙攣しているようだ。小刻みに震えてる。
「岩名地さん!」ようやく美雪が動き始めて、彼女の身体を揺する。「ど、どうしたんですか!」
「あ、な……なんか……」岩名地は声を発した。意思疎通は出来るらしい。「身体が……変…………」
「向坊!」畳家。「医療スタッフを呼んで!」
「はい!」機敏に、向坊は操舵室にある、船内連絡用の端末を操作して何処かに繋げる。
「岩名地さん……」美雪は呼びかけている。「身体が変って……」
「…………痺れて………………怠い……」
私も屈んで、彼女の様子を見る。外傷はない。いや、倒れ込んだ時に身体を打ち付けた部分は傷になっている。目の焦点は合っていない。口は半開き。痙攣。なんだ。何が起きた。峰崎がなにか、彼女に施したのだろうか。
そこまで考えてから首をふる。いや、峰崎の機能は超酸を分泌するだけに過ぎない。一人の人間が、複数の機能を持つことはあるが、施設が調べた限りでは、峰崎はそこまでの機械化を施していないという。
「おい! エリサ! ちょっとこっちに……」
船長室の方から医師が顔をのぞかせ、倒れた岩名地と私たちを見やると、途端に頭を抱えて呟く。
「嘘だろ……こっちもか……」
「医師」美雪が向く。「こっちもって、どういう……」
「急に倒れたんだ……」舌打ちを漏らす医師。「宗接船長と、天岸さんが……」
ふたりも。
「なにが……何があったんですか……?」美雪は、歯を食いしばった。
「た、大変です……!」
そう割り込んだのは、医療スタッフに連絡を入れていたはずの、向坊。通話を切っていた。
「どうした」医師。
「パーティ会場で、突然人が次々に倒れ始めたって……」
「なんだって……?」
会場。大量の人。
茅島さんは?
「ねえ」私は身体を起こして、言う。「茅島さんは無事……?」
「えっと、それは、わかりませんけど……でも全員じゃなくて、半数くらいは、無事みたいですけど……それでも大変なことになってるのは確かで……」
「向坊」畳家が彼女の腕を取る。「会場に行きましょう。私たちも、手伝うの」
「は、はい……」
「クソ……!」医師がその辺りの機器を蹴る。「何が起きてる。考えられる可能性はなんだ。外傷はないな?」
「うん……」美雪は頷く。
「突然倒れたんだな」
「うん」
「船長と天岸さんもそうだ。痙攣してるな?」
「そうだけど……」
「……これだけの人数……考えられるのは……」
「……細菌兵器、かな」
そうやって、かすれそうに声を発したのは、
隣の部屋で倒れているはずの天岸だった。
ふらつきながら、こちらへ歩いてきた。
「天岸さん、大丈夫なんですか?」医師は尋ねた。「心当たりが?」
「ええ……細菌兵器で間違いない。というか……」
天岸は、言いづらそうに唇を噛みながら、ぼそりと呟くように言う。
「これはきっと、昔……私が売り払ったはずの機能だからね」
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