5

 もう三日目にもなるのか、と目覚めたときに感じた。

 寝転がりながら、端末をチェックする。メールが入っていた。朝からこの部屋に人が来るらしい。眠りこけていて気づかなかった。私は時計を見て、慌てて寝床から這い出して、それなりの格好に着替えた。茅島さんは、まだ眠っていた。彼女を起こさないように、そっと抜け出すときは苦労した。

 ドアがノックされる。私は、開けて応答する。

「はい……」

「あれ、ふくみちゃんは?」

 現れたのは岩名地エリサ。二條ちあきのチームメイト。後ろには、戸ノ内りたが嫌そうに立っていたが、肝心の二條ちあきは見当たらない。

「まだ眠っています」私は、小声で答える。「なんの用ですか」

「起きたわよ……」

 部屋の奥から、茅島さんの声が聞こえた。私は振り返った。彼女は、ベッドから身体を起こそうとしていたが、まだどう見ても布団の中にいた。

「おはようございます」私が言う。

 岩名地と戸ノ内の二人を部屋に入れた。座る場所もないため、立ったままで彼女たちは用件を言う。

「なんか」岩名地は茅島さんを見ながら言う。寝起きの彼女の絡まる髪の毛を見て、お化けみたいね、なんて面白くもないような喩えを口にしていた。「今日はパーティがあるらしいから持ってきた人前用の格好をしてくるように、って医師の伝言」

「は」茅島さんは櫛で髪を梳かしながら鼻で笑う。眠そうに。「パーティだって。彩佳。殺人犯を探しながら参加しろって? 呑気ね」

「逆にパーティには乗客全員集まるから、私たちがそこにいないと怪しいんだってさ」岩名地は首を振りながら、言う。「峰崎がいるとしても、そんなパーティ中に不特定多数を襲うとは考えづらいでしょ。快楽殺人が好きってわけでもなさそうだし」

「全員殺すのが目的っていう仕事を請け負っているってことは?」

「それなら酸で船と脱出艇全てに穴でも開けるほうが確実」

「まあ、それもそうですね……」茅島さんは納得した。「二條さんもパーティに?」

「来るように伝えたけど、従うかどうかはわからないわ」岩名地は煮えきらない表情を浮かべた。「医師の命令だって言ってるのに、それが正しいとは思えないって言ってね。その正義感がちあきの良いところではあるけど。でもあの子、ドレスとか持ってなかったと思うのよね……」

 もともとドレスみたいな格好だろう。と私は思った。

「ところで、あんたたちは、ドレスとか持ってる?」

「ええ……」茅島さんは頷いた。当然、私もドレスという程のものではないが、何かのために買ったそれなりの服を持っている。結婚式なんかにもそれで出られるらしい。「ちょっと古いけれど、別に出て恥ずかしいものじゃないですよ」

「株主とか社員の家族がいるだけだから、そんなにきちんとしなくても良いわよ。大体のコミュニケーションとか話の裏付けは医師がやってくれるし。私たちは、その場にいるだけでいいの」

「えっと、何時からですか?」

「夜の七時。それまでは暇ってこと」

 要件は伝えた、と言って岩名地たちは部屋から去った。



 パーティが行われるのは、第何階層にある専用の会場だった。このフロアには、これとトイレくらいしかない。厨房も備え付けてあって、そこから運ばれてきた料理が長いテーブルに並べられていた。好きに取って食べろという形式だった。

 周囲は窓に囲まれていて、そこからは海と甲板が見えた。面白くもない景色だ。私はそこで、窓に見切りをつけて離れた。

 音楽が鳴っている。上品さを押し付けられているような、カビが生えたような古代の音楽だった。音楽に対して好みやこだわりなんて無いのだけれど、なんだか鼻につくようだった。

 茅島さんと医師たちは、会場の隅の方で固まっていた。私もそこに合流する。

「彩佳、食べ物は?」

 茅島さんが私を見て訊いた。

「あー、なんだか混んでて、後でいいかなって……」

「じゃあ後で一緒に行きましょう」

 茅島さんは真っ赤なドレスを身につけていた。裾の所がボロボロになっていたり年季を感じさせる物だったが、なんだか妙に似合っている。その格好をしているのを、一度だけ見たことがあるが、きっと同じドレスだ。あの時は穴が空いたり焦げたりしていたが、繕って直したのだろう。

 会場の中央に、客が集まって談笑している。これらが全員株主や社員なのだろう。何処となく、全員立ち振る舞いに余裕があって、絶対に私の馴染めない雰囲気があった。そんなのが、百人ぐらいいる。

 医師たちは料理を片手に佇んでいた。必要な挨拶は既に済ませたのだろうか。彼女たちも、普段着にするには絢爛過ぎる格好だった。嫌だと言っていたはずの二條ちあきもいたし、想像の通りにいつもと同じ格好だった。

「こういう場って……」臨床が口にする。彼女も着飾っていたが、着ていたスーツにやや毛が生えた程度のものだった。「どうやって過ごすか、わからないのよね」

「私もだよ」医師が呟く。「まあ天岸とか、施設を知っている人間への挨拶は済ませた。あとは群れてじっとしていれば、変に思われることはないさ」

「その考えって、暗いわよね……知らない人と談笑したほうが良いんでしょうけど」臨床は頭をかいた。「うちとイエシマの繋がりっていまいちよく知らないし」

「お前、私とそんなに年数は違わないだろう」医師は呆れた顔をする。

「はは。残念だけど先輩ほど仕事できないのよ」

「……機械化能力者のメンテナンスに入る業者はイエシマが派遣してくれるし、その他必要なパーツを流してくれるのもイエシマだ。施設を気に入ってくれている人が、何人か社内にいるんだよ。そういう繋がり故に、今回は断るなんて選択肢もなかったんだ」

「その社員の一人が天岸だったの?」

「そうだな。まあ、あの人はすぐに会社をやめたし、さっき話したときも施設のことなんか覚えてないなんて言ってたが……」

「適当なのね、天岸さんって」

「ぴったりだな、その言葉。本人に向かって言ってくれよ」

 どうでもいい話を聞きながら、私たちは精密女と美雪と話す。

 船旅の前には、豪華客船なんか興味もないなんて振る舞っていた精密女だが、見たこともないような服を揃えているし、料理を美雪に山盛りにもたせてそれをずっと食べていた。彼女の機能は脳波コントロール故に、エラーが生じることもあり、美雪がサポートする部分も多々ある。日常生活なんかではそれが顕著らしい。間違って人を殴りそうになるから、普段は過度な動きを制御するリミッターをかけていた。

「美味しいですね」精密女が食べながら言った。「これを食べられないなんて、峰崎はなんのために船に乗っているんでしょうね」

「じゃああんた、なるべく美味しそうに食べて峰崎をおびき出してよ」茅島さんが苦笑いをしながら言った。

「まあでも……」美雪が料理を持ちながら、めんどくさそうに口を開く。「客の中には、見た感じいないみたい。峰崎の身長と同じ人を目で測ってみたけど、あまり似たような身長の人もいなかった。同じ身長でも、顔つきが全然違ったし」

「あ! 待ってください」突然精密女が叫んだ。

「ど、どうしたのよ」

「トイレに行ってきます。美雪さん。食べておいてもいいですよ」

「なんだよそれ。両手で持ってるから無理なんだけど」

 そう言いながら、精密女はトイレに消えた。ふざけた人間だ、と毎回顔を合わせるたびに思うが、その両腕ほど頼れるものもない。嫌いになりきれない魅力が存在することが気に入らなかった。

「両腕が機械だと頭もあんなふうになるの?」美雪がぼやいた。「あ、ふくみ、あいつの落とし物だ。拾ってもらって良い?」

「どこよ」

 茅島さんが床を見回す。そこには、長方形の小さな包みたいな物が落ちていた。彼女はそれを拾って、美雪のポケットに入れた。

「ありがとう。歯磨きガムだってさ。あいつ、遠出のときは着替えなんて下着しか持ってきてないし、歯もガムで磨いた気になってるんだよ。ふくみからも注意してよ。死ぬほどズボラなんだから。あと、髪をドライヤーで乾かさないし。自然乾燥だよ? 私だったら信じられない」

「あの女、確かにそういう所あるわね……」茅島さんが腕を組む。「遠出するとなると、気分が浮かれるのか、変に緊張するのか……」

「あいつが緊張? するわけないよ」

 私たちの近くでは、戸ノ内りたと岩名地エリサがまた言い合っていた。医師も気にもとめていない。取るに足らない日常のことなのだろう。二條ちあきのことで言い争っているようだが、肝心の二條は何処にもいなかった。

「ふくみ」美雪が言う。「ふくみの耳で峰崎って探せないの?」

「無理でしょうね。親しく無いもの」茅島さんは首を振った。「彩佳や美雪の足音だったら判別もつくでしょうけど、峰崎のこと、よく知らないもの。足を改造してある機械化能力者だったら重量が変わるから当然歩き方も変わるけれど、峰崎は腕だったわよね。じゃあ無理よ」

「会話はどうですか?」いつの間にか戻って来ていた精密女が、茅島さんの背後から口を挟んだ。「イエシマ社の人間とは、話している内容が違うと思いますが」

「うーん、一応聞いてみてるのよね。でもおかしな会話はない。あったとしても、峰崎だと判定できるものでもない限りは意味がないわ。声質も判別してみたけど、そもそも私がさっきも言った通り、峰崎とは親しくないからそれも叶わない。なんか、こういうとあんまり役に立ってないわね、私って」

「最初に峰崎が襲ってきたとき」精密女が言う。「彼女の存在に真っ先に気づいて私にそれを利用するように指示したのはあなたでしたよ。あなたがいなければ、腕の一本ぐらい失っていたかもしれません。換えは効きますけど」

「そう言ってもらえると、うちの施設から逃げ出そうっていう考えも潰えるものよね」

 私は改めて、会場の中央に溜まっている人混みに注視する。

 百八人。それだけの人数がここにはいる、と医師か誰かが言っていた。これだけの人の中にも、峰崎はいないのだろうか。だとしたら、どこに隠れているのか。客室でひっそりと息を殺しているなら、今はむしろ、船内を歩き回れる唯一のチャンスなのかもしれない。

 だが何故か、私の心の心配が抜けきらなかった。何をそんなに恐れている。このシャンデリアの照明が、明るすぎることが逆に気に入らないのかもしれなかった。くしゃみも出そうだし、なんだか落ち着こうとする頭を、その光で生クリームみたいにかき乱されいる。

 この隙を狙って、なにか決定的な不意打ちを受けそうな気がする。

 爆弾は、調べた範囲では無かったし、何処に隠せるものでもない。あったとして、小型の個人が鞄に携帯できる程度のものだろう。予想される爆発の威力では、この船に穴を開けることも難しいだろう。この船はイエシマの技術を集めて、かなり頑丈に作ってあると調べたことがある。客を乗せている船が、そんな事故なんかを起こしたら、後処理のほうが船を作るコストよりも上回ることは、私の頭でも理解できた。

 彼女が超酸を使って、船に穴を開ける可能性は、考えていたが、今のところそれらしい不具合も聞こえてこない。第一、そんなことをすれば峰崎自身の命だって危ない。それでは、なんのためにこんな場所に逃げているのかわからないし、皆殺しにするつもりなら、初日にやっているはずだ。

「あの人……」

 茅島さんが呟いたので、私はどきりとして、彼女の視線の先を同じように見つめる。

 その方向、なんてことはない。ただ女が歩いていた。この会場で最もありふれた光景のひとつだった。なにか特別なことをしているわけでも、他と違う動きをしているわけでもなかった。だったら、茅島さんの耳だ。彼女の異常な聴力が、何かを捉えたらしい。

「ああ、中静さんですね」と精密女が説明する。「どんな人なのか知りませんが」

「え、あんた、名前覚えてんの?」

「まあ、前職の影響で、顔と名前を覚えるのは得意なんですよね、こう見えて。話したわけじゃないので、人格までは知りませんが」

「なんの仕事してたのよあんた……」

「それは秘密ですって、ずっと言ってますけど?」

「まあ良いわ……」茅島さんはじっとその女を見つめている。「中静さん、ね……」

 中静という女は、丈の長い真緑のドレスを着用していた。身体つきに妙ないやらしさを覚えるのは、その露出のせいだろうか。薄い栗みたいな色の髪の毛をふわりと振り乱していた。何処となく近寄りがたく、私はこちらを向いて落ちている画鋲みたいな女だと思って、それ以上見るのをやめた。

「あの人、歩き方に特徴があるの」茅島さんは、説明をする。「さっきも言ったけど、足が機械化されていたらそれだけでわかりやすいのよ」

「つまり……」疑問が解けたので私が言う。「中静さんは機械化能力者ってことですか」

「ええ、多分……。右足がそうでしょうね。左足は生。右を動かすときに重そうだし、接地したときの音も違う」

「イエシマ社の関係者なら、機械化能力者はざらにいるのでは?」と精密女。

「それはそうかもしれないけれど、少なくとも足を改造しているのは、この空間では彼女くらいよ。一応、何につながるかわからないから、覚えておいたほうが得でしょ」

「なら覚えます」精密女はじっと中静の方を見た。「右足。中静。右足。中静。右足。サイボーグ。右足。中静……」

 そうやって呪文みたいに唱えている精密女を尻目に、私たちに近づく見知った女がいた。

 ああ、あの女は。

「やあ、調子はどうかな、医師さん」

 天岸だった。彼女はへらへらと笑いながら、覚えてないと口にした医師に近づいて、なんの意味もない挨拶を発した。

 片手にはワイングラスを持っていたがすでに酔っているらしく、顔が赤かった。裸しか見たことはなかったが、露出が多めの黒い服が寒そうだった。その服のポケットに電子タバコを突き刺している。髪の毛は風呂のときと変わらずに、適当に纏めてあった。視力が悪いのか、無骨なメガネも掛けていたが、フレームが歪んでいるらしく、ずり落ちたりと落ち着かなかった。

 こういう場にいるのに、こんな挨拶も交わしているのに、なんだろう。何にも興味がないとでも言いたげな表情をぶら下げたまま、面倒くさそうに酒を飲んでいる風にしか見えなかった。

「天岸さん」医師の方も、営業としての笑顔は見せたが、天岸のことをそこまで好いているわけでもないようだった。「天岸さんもパーティに来るんですね。意外です」

「まあ、他のレストランとかが閉まってる以上、ここに来ないと腹が減ってしょうがないからさ……お酒も飲めるし」天岸が答えた。「全員出てるんだから、出ないわけにも行かないしね」

「あら。そういう社交性あったんですね」そうやって口を挟んだのは、意外なことに精密女だった。「どんな理由があっても、こんな所には来ないかと思ってましたけど」

「言うなあ、精密女。確かにめんどくさくてしょうがないけど、空腹には勝てないよ」

 それから精密女と天岸は、親しげに話し始めた。

「あいつらって……」美雪が私と茅島さんの側で呟く。「なに? 変人同士波長でも合うの?」

「もしかして、前職で同僚だったのかしら」茅島さんが言う。「精密女、もしかしたら研究職だったのよ」

「あの女が研究職?」美雪は吹き出しそうになっていた。「あのズボラさ、たしかに研究に没頭しすぎて生活力を失った人間なのかもしれないけど、あいつは機械化能力に対して、結構無知だよ。私より何も知らないんだよ。だからメンテナンスのときに困るんだから。簡単な範囲を自分でなんとかできるようになったのも、ごく最近なんだよ」

 そうやって文句を言う美雪の姿が、誰かと重なる。

 ああ。私はすぐ隣を見て納得をする。

 戸ノ内りたと岩名地エリサがまだ二條のことで言い争っていた。

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