4
二日目も、何事もなく終わった。
夜になっていた。美雪は行きたがっていたクラブへ向かい、精密女はバーで酒を飲み始めていた。二條はまだその辺りをぶらぶらしているのだろう。その付添の二人も、たぶん何処かで時間を潰しているはずだった。
こうなると、峰崎が潜んでいることが、私も疑わしくなってくる。茅島さんは「あいつだってバカじゃないんだし、私の耳のことは知ってるから急に襲ってきても無駄だってことはわかってるはずよ」と言った。きっとこのまま息を潜めて、米国へ逃げることが潜伏目的なのだろうか。
私たちは医師の部屋へ来ていた。オーナールーム等を除くと、最高級の客室と言われる、無駄に贅沢さをひけらかしたその部屋は、私たちの自室と同じ第九階層にあった。並べた生首みたいに、気取った部屋が廊下には立ち並んでいるのを、私は自室から出るたびに見せつけられている。
部屋の中で、医師ともう一人が酒を飲んでタバコを吸っていた。確か、医師の同僚だか後輩だかを名乗っていた。名前は臨床工学技士と言ったが、医療関係の免許は持っていないらしい。カムフラージュのためだと説明されたこともあった。もう少し短い名前を選べばいいのに、と私は文句を言いそうになった。
「ふくみ。調子はどうだ」医師がくつろぎながら言う。
「さっぱりよ」茅島さんは首を振った。「上手く隠れているのかしら。客室をひとつひとつ調べる許可を貰わないと、どうしようもないかも」
広い部屋だった。窓もあったし、そこから真っ暗な海が見えた。医師たちはふたつある小型のソファに座っているし、もう一つ大きめのソファも壁際に置いてあった。飾りのためだけに生産された絵画も飾ってあるし、ベッドも二つあった。大きいテーブルも、入り口の近くにある。風呂場もちらりと見えたが、バスタブがあった。私たちのところは、簡素なシャワーしか無いというのに。
煙たい部屋だった。部屋の主の女二人によって、身体の芯まで浸かるような量の電子タバコがふかされていた。換気はされているはずだが、その匂いが消えるわけでもない。船はそれを許しているのだろうか。
「それも申請はしているが、事を荒立てたくないと言われてな」医師が煙を吐きながら言う。「大っぴらに客室全部調べるなんて、峰崎が乗っていると喧伝するようなものだろう。乗客が混乱し始める方が手に負えんぞ」
「じゃあ、どうするわけ?」
「乗員付き添いの上でなら良いと言われたが、その乗員が今のところ、どうにも時間が作れないと言われてな。なにせ人員不足だ。乗員も大した数はいない。明日か明後日かぐらいになれば、少し余裕もできるようだが……。それまで峰崎が大人しくしていれば良いがな」
「単なる渡米が目的なら良いけれど」
「警察が厄介に思ってうちに回して来た依頼だ。それだけで終わるとは思わない方が良いだろう」医師は酒を一口飲んだ。隣の臨床はその様子を眺めていた。「米国の警察にも知らせてある。向こうでも検問が敷かれるだろうが、いかれた機械化能力者に対して、有効な対抗処置でないことは確かだ。峰崎のバックにいる組織も、そのくらいのことは想定済みだろうしな……」
やっぱりここで峰崎を見つけて取り押さえるのが一番良いのか。そのことに直面すると、途端に気が滅入ってくる。
茅島さんに何かあったら……。
彼女の横顔を見つめた。別に、特別な人間というわけでもないというのに、どうして茅島さんが、そんな危険な殺し屋を見つけ出さないといけないんだろう。
息が詰まる。タバコの匂いのせいじゃない。彼女の髪に触れたくもなったが、我慢した。
「明日も同じような方針で良いの?」茅島さんが尋ねる。
「ああ……他に手が打てん。機関部や倉庫を調べる許可は貰えるだろうが、恐らく何も出ないだろう。客室と違って、あそこの施錠は完璧だ。乗員すら近づかん。港にいる専門のメカニック以外に、誰も立ち入ることはない。仮に、あいつの機能で鍵をこじ開けたとしても、それが『この中に潜んでいる』という証拠になるから、自殺行為も良いところさ」
「そう……」茅島さんは顎に手を当てる。「ならやっぱり、どこかの客室かしらね……」
「でもさ」急にさっきまで黙っていた女、臨床が口を開いた。「まだ二日ほどだけど、ふくみちゃんでも見つけられてないし、ちあきちゃんでも同じ。だったら、峰崎に協力者がいるんじゃない?」
「そうだな……」医師が頷く。「怪しまれない協力者の部屋で大人しくしていれば、当面は安全だろう。既に客の入っている部屋を、私たちが調べる許可は簡単に下りそうもない」
「なら手も足も出ないじゃない。船は、乗客に知られたくないんでしょ? 部屋を調べさせてくれなんて、乗客の危険を煽るようなもんよ」
タバコを噛むように医師は考え込んでから、茅島さんを見る。
「ふくみ。私が許可する。変則的な手段を使っても良いから、協力者を特定させて報告してくれ。ちあきのチームにも、そう伝えておく。お前の耳なら、多少は客室の中身もわかるだろう」
「盗聴しろってこと? 責任重大ねえ」茅島さんは眉をへの字に曲げた。「仮にいたとして、協力者を報告したあとは?」
「その後は、どんな方法を使ってでも中を調べるさ。峰崎さえ押さえられれば良い」
「はは。悪いわね、あんたも」
協力者……。
あんな危険人物に協力する人間が船内にいるなんて、信じたくはないが、可能性としてありえない話でもなかった。
もしかすれば、すでに私たちは、その協力者に監視をされている可能性だってある。
「それから、まあ仕事とは関係ない話なんだが」医師は急に切り出す。「天岸という女に会ったか?」
医師はそう言って、端末で写真を表示させた。
そこには女が、棒立ちで写っている。なんの写真だろう。記念撮影にしては、なんの喜びも、そこからは感じ取れなかった。女の格好は、茶色い髪の毛、メガネ。そして気怠げな表情に、白衣と、黒いシャツ。飾り気もクソもない。
見覚えはない。見たとしても、印象に残り辛いと思った。
「さあ。知らないわ。彩佳も、知らないわよね」
「はい……」
「天岸眞子と言うんだ」医師は名前を言う。「かつてはイエシマの研究員だったんだが、既に退職している。だと言うのに、この船に乗っていると聞いてな。まあ、見かけたら挨拶をしておいてくれ」
「あら、知り合い?」
「まあ、少しだけな……」医師はそう呟く。「社交辞令以上の意味はない」
医師への報告を終えて、私たちは自分の部屋へ戻り、ルームサービスで夕食を摂った。レストランでも良かったが、あまりそればかりを食べていると飽きた時に困る気がした。
それから着替えを持って、大浴場に浸かりに行った。シャワーは既に一日目にして飽きた。
大浴場までに距離はあった。またこの道のりを、引き返さないといけないのかと思うと、私は項垂れてしまうような気分になった。
脱衣所には誰もいなかった。距離と時間の問題だろう。夜も比較的遅めの時間だった。
私は衣類を脱ぐ。汗はかいてないのに、なんだか皮膚に服が張り付いているみたいで、脱ぐのが億劫だった。
全裸の茅島さんを前にして、変な緊張を覚えながら、私たちは浴槽のタイルに足の裏をつけた。濡れていて、滑って頭を打ってしまう想像をする。
「初めてだらけね、この船」茅島さんが、湯気の合間に見える巨大なバスタブを見つめて、そう呟く。「記憶がないってのも、新鮮に思えて良いかも」
「何言ってるんですか。私だってこんなお風呂、初めてですよ」
浴場は私たちの部屋の五倍以上も広い。そこにシャワー台がいくつかとサウナルーム、岩盤浴、なんだかよくわからない設備まで揃っていた。
茅島さんは、その臀部にまで届くんじゃないかって言うくらいの長い髪を頭の上にくるくると纏めながら湯船に向かった。私の髪はそこまで長くないから、何もしなかった。そんな髪型の茅島さんを見るのは珍しかった。
湯船には、予想に反して、既に浸かっている人物がひとりだけいた。あまり存在感のない人間だなと思っていると、茅島さんが何を思ったか、その女に声をかけた。
「ひょっとして、天岸眞子さん?」
さっき医師に挨拶を頼まれた女の名だった。そう言われて、私はその女をしげしげと眺めてしまった。メガネこそ掛けていなかったが、よく眺めてみれば確かに、医師の見せてくれた写真の人物と似ている気がした。ボサボサの茶色い髪の毛を、めんどくさそうに髪留めで留めて肩まで湯に浸かっていた。写真で見たような、気怠げな表情も健在だった。
天岸は、こちらに視線を向けて、返事をする。
「なに? あ、わかった。私のファンでしょ」
「いえ……」茅島さんが湯に浸かりながら、首を振った。私も隣に座った。「医師という名で機械化能力者犯罪対策の施設に所属している人間の、部下にあたる者です」
「医師?」天岸は顎に手を当てて天井を見つめた。「いたかな、そんなの……まあ良いや。そいつの部下? 要件は? 握手?」
「単に挨拶をしろと言われまして」茅島さんは私もまとめて自分の名前を名乗った。「覚えてないんですか? 医師のこと」
「まあ色々変な繋がりはあるからね……そういう施設があるのはまあ、なんとなく覚えてるけど……まあ良いや、どうでも」
そうやってあくびを漏らす天岸を見て、変な女だ。私はそう感じる。
「じゃあ君たちも機械化能力者なんだ」
「私だけです」茅島さんが答えた。「この子は普通の人です。施設の調査員は、他に五人来てますけど」
「あー、昼間に話したかな。何人か。うん。今思い出した」けらけらと、天岸は笑った。「イエシマが……確か機能義手とかのメンテナンスを担当してたっけ。まあそんな施設、山ほどあるから、私がその医師って人を覚えてなくても無理ないでしょ? それに、イエシマはもう辞めたからさ」
そう言うと天岸は、じろじろと茅島さんに近づいて、顔や身体を眺め始める。
不躾だ、と思った。
「な、なんですか」
「君、機能は?」
「耳ですけど……」
「聴覚かー。聞いたことあるよ、そういうパーツの話は。上手く適合していれば、すごい能力になるってね」
「ちょっと耳が良いくらいですよ」
「耳が良くたって、それを処理できる頭が無いと意味ないんだよ」
そこまで言うと急に興味を無くしたように、彼女は茅島さんから離れて行く。
「……君は、友人?」彼女は今度は私に話を振る。
「まあ、はい……」私は急だったので驚いて答える。「えっと……天岸さんは、旅行ですか?」
「イエシマ社を辞めた人間が、旅行で今この船に乗ってると思う?」
「……それは、わかりませんけど」
「はは、そうだよ。ただの旅行。ES30ワードに用事があって。イエシマの元研究員っていう伝手で、無理矢理乗せてもらってるだけ」
そんなことを言いながら、天岸はどこか暗い顔をして、呟く。
「そう……ただの旅行なんだよ」
部屋に戻って、大して長くもない映画を観た。最近、茅島さんが古めの映画を観ることにハマっているらしく、よく私の前でセリフを真似て話したりする。演技がなにか任務に使えるのだろうと勝手に勘繰っていたが、本当にただの趣味らしい。私も付き合ってよく一緒に観たりもするから、一般的なレベルよりは多少詳しくもなっていた。
狭い部屋なのは、ずっと実感している。ダブルベッドが大きすぎるのだろうか。窓がないことから、閉鎖的な気分になるのが原因なのだろうか。何よりテレビが部屋の天井近いところに吊り下げられているのが、少し観辛い。寝転がって観るのが適切なのだろうが、なんとなくそうする気にはなれなかった。
首が痛いなどと言いながら、茅島さんは真剣に映画を観ている。記憶がないと言うことは、そういう外的な媒体を使ってその穴を補う必要があるのかも知れない。
観終えると、適当な感想を言い合って、それから時計を確かめてから、揺れのしないこの空間が、本当に船なのかどうかを疑いながら眠る準備をする。
茅島さんは先に歯を磨いた。コップには、私と茅島さんの歯ブラシが立てかけてあった。船のスタッフが用意してくれる。ベッドのシーツも同じだし、ゴミ箱の中身だって取り去ってくれていた。
峰崎……。この船にいると言うのなら何処で何をしているのか。早々に見つかってくれないと、こっちは平和ボケなんかをしてしまいそうだった。
いや。見つかれば、きっと茅島さんが危ない目に遭う。私は何も出来ない。見つからなければ良いと言う気持ちも、私は同時に抱えていた。
二人で、決して広くはないベッドに入って、眠る。ダブルベッドの部屋しか取れなかった、と医師が言っていた。まあ、そのことに文句を言うつもりもない。茅島さんは、私の家なんかに泊まりに来た時は、私と同じベッドで眠る。
電気も消して、手が触れ合いそうな距離。
「……彩佳」
「……どうしました?」
「寒いわ」
「……そうですね」
「抱きしめて、良い?」
「丁度私も……寒かったんです」
ぎゅっと、
こちらに身体を向けた彼女の背中に腕を回した。
力を込めてしまう。
その折れそうなか細い四肢で、
その長い髪で、
その切れ長の瞳で、
なんだって、危険に晒されなきゃいけないんだろう。
もう納得したはずのその疑問を、私はまだ成長しきれない大人みたいに、何回も思い出して、そして何回も憤っている。新鮮に。
茅島さんは、私の腕の中にすっぽりと収まる形で落ち着いた。
「彩佳……暖かい。好きよ」
そうやって、耳元で囁くみたいな、優しい声を出す彼女。
不安。
私の全てが消え去ってしまうような漠然とした不安を、眠る前に感じてしまうと、しばらく歯止めなんて効かないって言うのに、どんどん頭は嫌なことを考え始める。
彼女の死も宇宙の真理も、こんな時に考えるべきじゃない。
目が冴えてしまって。
「……茅島さん」
「……どうしたの?」
「……一緒に死んでくれるって約束は覚えていますか?」
私を一人にしないって約束は覚えていますか。
「ええ……」
「茅島さんが、峰崎に殺されるなんてこと、ないですよね」
「さあ……武闘派の精密女もいるし、二條もいるけど、油断は出来ないでしょうね」
「…………」
「悲しそうな顔しないで。大丈夫よ。危なくなったら逃げるわよ。そこまでの給料なんかもらってないんだから」
「茅島さん……」
「だから、彩佳は安全なところにいて」
「はい……」
「それから、船を調べるのも手伝って」
「はい……」
「あとは、一緒に映画を観て、せっかくだからこの豪華客船を一緒に満喫して」
「はい……」
「そして、死ぬ時は、一緒に死んでね……」
私は自分より小柄でずっと頭が良くて強い親友を、きつく抱きしめた。
私の腕力で、壊してしまえるなら、そうした方が良かったんだろうか。
なんて。
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