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イエシマ社は、およそ二百年ほども前から存在する大企業だ。
現在の事業は主に、機械化能力者のためのパーツ研究と開発。実質的な生産やその他のことは、下請けの工場や子会社を多く抱えて手広くやっているが、一般には機械化のためのパーツメーカーと認識されている。機械化能力者が疎まれているのに、そうやって平然と存在しているところに、企業の大きさを感じた。
これから向かう米国の地区、ES30ワードという所にも、イエシマは多くの研究所を構えている。そこがどういう場所なのかは知らないが、まあ観光地ではないだろう。到着したあと好きに遊んで良いと言われたが、期待は何も出来なかった。
イエシマの株は、案外多くの人間が持っているが、その中でも保有率の高い人間が、今回のクルーズ旅行に招待されている。そういえば、私の親族にも株を持っている人間がいた気がする。軽率に、仕組みを理解も出来ないくせに、企業に大金を投資をして、いつも損をしている救いようのない人間だった。
イエシマ社と聞いて、そんな基礎知識を思い出しながら、私たちはまた甲板に出た。誰もいないはずなのに、また茅島さんが甲板に出たがったから。彼女はここが気に入ったのだろうか。
甲板は、やっぱり寒い。ここは船の後部に当たり、船のスクリューが残した波の跡が水面に置き去りにされて進んでいく様子が、手摺の下の方に見えた。
甲板には、隅の方に先客がひとりいた。
じっと、海を見ないで周りを見回している女。その容姿には見覚えがあった。
「あいつ……」茅島さんが呟く。「私がサボらないように先回りしてるのよ、きっと」
「あの人って確か……」
髪が真っ白い。それは世間の流行りだから、まま見かけることはあるヘアカラーだけれど、服装が中世時代みたいな、ひらひらした真っ黒いドレスのようなものを着ていた。靴も、突き刺さりそうなくらい高いヒールだった。私なら、バランスは取れないだろう。どう考えても、仕事に望むのにまともな格好じゃない。別段、彼女に似合っているわけでもない。
二條ちあき。昨日の初対面の時に、彼女はそう名乗った。それ以上の口は効いていない。どこか恐ろしくて、あんな格好だというのに人よりもずっと真面目で、サボりなんて許さないくらいの厳格さがありそうだった。
「昨日、会ったでしょ」茅島さんは音を立てないように、二條から離れながら言う。「私と、美雪、精密女とは違うチームの、なんかクソ真面目な女よ」
「仲、悪いんですか?」
「厳しすぎて、あんまり関わりたくないのよ。甲板はもう駄目ね。行きましょう」
それから茅島さんは、客室の方へ降り、ターゲットである峰崎の存在を、見回すように探しながら廊下を練り歩くと、今度は図書館へ行こうと言い出した。仕事と暇つぶしを、交互にやっているような気がしてくる。
図書館は第五階層にあった。レストランフロアの、ちょうど下に位置する。
この階層には図書館の他に、インターネットカフェも併設されていた。船の下部に存在する区画のため、上の階層に比べるとかなり狭い。図書館とインターネットカフェだけで、乗客に開放しているそのスペースの全てを使い切っていた。
エレベーターを抜けるとすぐにあるのが、貸出カウンター。中央には、いくつかの本棚(今時珍しい紙の本がびっしりと押し込められていた。大半が、電子化されていない希覯本のレプリカだと書いてあった)と、それらを取り囲むように椅子とテーブル。少し離れたところに位置しているインターネットカフェには、デスクトップ型のパソコンの乗った机がいくつかあって、その近くの無人カウンターでコーヒーなんかを注文できるシステムになっていた。
「へえ。珍しい」茅島さんが感嘆を上げた。「紙の本よ、彩佳」
「あんまり実物を見ることはないですね」
「へえ。重たそうだけど、興味あるわね」
「珍しい本のレプリカばかりみたいですね」
「イエシマの資本力ってことね」
そうやって騒いでいると、誰もいないと思っていた奥のテーブルの方から声をかけられた。
「ふくみちゃんじゃん。おーい」
「ちあきを見てない? 茅島さん」
本棚から首を伸ばして様子をうかがうと、昨日会ったばかりの女二人がこちらに話しかけていた。
岩名地エリサと戸ノ内りた、と言ったか。忘れると怒られそうだったから、メモをして覚えた。間違いなくその二人が、テーブルに向かい合わせに座りながら、私たちを呼んでいた。
彼女たちは、さっき見かけた二條ちあきのチームメイトだった。彼女らにどのような機能があるかまでは聞かされていないが、きっとただの機械化能力者ではないことは確かだった。
私たちは彼女たちの側まで寄ったが、テーブルに付くことまではしなかった。怖いからだ。
戸ノ内りたが言う。髪が長くて、赤っぽい色をしていた。やっぱり施設にも、美容院に行く自由はあるらしい。背が高くて、体格とスタイルが良かったが、その表情はあまり堂々としたものでもなかった。はっきり言ってしまえば、暗そうな人間だった。
「ねえ茅島さん。ちあきは?」
「さっき、上の甲板でサボってるのを見ましたよ」
「ちあきがサボるわけ無いよ」戸ノ内は首を振る。「見回りの途中かな……ありがとう。後で行ってみる」
「お二人は、こんなところでパトロールですか?」
「サボりよ」
岩名地が即答した。戸ノ内よりも更に背が高い。施設は、そういったフィジカル面での有利さも加味してスカウトをしているのかもしれない。メガネを掛けていて、短めの髪の毛をしていて、そこに変わった髪飾りをつけていた。戸ノ内より、落ち着いた大人の女性という風貌だった。
「むやみに、この中にいるのかもわからない殺し屋を探すより、ちあきに全部任せるのが、現状で一番の方法なのはわかりきってるでしょ。あの子ほど仕事が好きな人、いないもの」
「薄情だよ」戸ノ内が噛みつくように言う。「ちあきにだけ負担をかけるのは良くない」
「でも過剰に固まって行動するのも良くないでしょ。乗客に不審に思われるだけ。それもまずいって、医師から説明あったでしょ? ちあきなら、一人でその辺りは上手くやるわよ。そういうの、好きだもの、あの子」
「だからって、ちあきと峰崎が、変な場所で会っちゃったらどうするんだよ」
「そのためにこうやって待機してるんじゃないの。これはちあきに丸投げしてサボってるんじゃないの。あの子のスペックを最大限に活かすのに最善なの。ちあきは、それを望んでるのよ。良い? じゃあ私たちがパトロールを手伝うとするでしょ? で、峰崎と会うのが例えばあんただったらどうなる? 戦闘能力無いでしょ? 私も同様。ちあきを峰崎をぶつけるのが最善なの。あの子なら、なんとかしてくれるし、状況判断能力も高い」
「そうは言っても、せっかく茅島さんのチームと一緒にいるんだよ? じゃあこの人たちはなんのために来てるんだって話だよ。峰崎が上手く潜伏してて、ちあきを掻い潜って、それで狙う相手って言ったら、一回因縁がある茅島さんや精密女じゃないの? 精密女だって、不意を突かれたらそれで終わりだよ? どんな形であれ、手分けして見つけるのが最善じゃないの?」
「は? ちあきの目を掻い潜れる奴がいるわけないでしょ? バカ?」
「バカじゃない。ちあきには、私たちの協力が必要なんだよ。お前のほうがバカだろ」
「まあまあまあまあ!」
急に目の前で喧嘩を始めた二人を、茅島さんが止めた。嫌そうな顔をしていた。
「……落ち着いてくださいよ、みっともない」茅島さんはため息を漏らした。「お二人が二條さんが好きなのはわかりましたから。とにかく、パトロールや調査は私も独自にやっているので、二條さんだけの負担にはなっていませんし、何かあれば、船内のことは、私の耳で聞けばわかります。お二人はその他の情報収集と、いざというときに動いてもらえれば良いと、医師も言っていましたが」
「……そうだったわね」岩名地が頷く。「規格外だったわ、この子。ちあきと並んで期待されてるだけあるわ」
「……じゃあ茅島さん」戸ノ内。「ちあきのことお願い。仲良くしてあげてね」
「………………まあ、はい」
茅島さんは、さらに苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
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