第7話 逸る気持ち

今日のニューヨークの気温は6℃。


夕方からは雨が降るとの予報どおり、空はすでに分厚い雲で覆われている。


ラースは、滞在先のホテルからほど近い北欧モダンの外観のカフェの前で立ち止まった。


カランコロン。


繊細な鈴の音が鳴り、ラースは木製のドアをゆっくりと開けた。


「オーレ、久しぶりだね。会いたかったよ」


「待ってたよ、ラース。久しぶり!ルカスから、こっちに来ているとは聞いていたけれど、しばらくいるの? 今日はなんだか上機嫌だね。良いことがあったようでなにより」


ラースをにこやかに迎え入れたのは、このカフェの主人である義兄のオーレ•ニールセンだった。


外の天気とは裏腹に、店内は暖かいオレンジ色の照明と色とりどりの観葉植物が飾られ、なんとも居心地の良い空間だ。


「うん。今回は近くのホテルに滞在してるよ。それより、僕が上機嫌の理由をはやく言いたくて来ちゃった。先にオーレに伝えなきゃって思って、兄さんにもまだ言ってないんだ」


「ふふっ、それは嬉しいけど、僕の旦那様が拗ねちゃうよ~。さあさあ、ラースが上機嫌なわけを教えなさい」


ラースはいそいそとカウンター席につき、オーレにブラックコーヒーとシナモンロールを注文する。


このカフェは、スウェーデン出身のオーレが忙しない日々を過ごすニューヨーカーにも、『Fika』(フィーカ)を楽しんでほしいと始めたカフェである。


Fikaは、甘いスイーツとコーヒーを嗜みながら気のおけない友人たちと会話を楽しむ、スウェーデンではお馴染みの習慣であり、文化だ。


ここではFika文化とスウェーデンのスイーツを堪能できるとあって、ニューヨーカーに人気になっている。


そして、このお店ではラースの世界観にも浸れるのだ。ラースの作ったティーカップやお皿が使われているだけでなく、草花シリーズのテキスタイルが額縁に飾られている。


季節によって展示される作品も変わるため、いつ来ても新たな発見がある。そのため、アメリカ各地からラースのファンがひっきりなしにやってくるのだ。


ラースは、オーレが淹れてくれたコーヒーでひと息つきながら、マグカップの温かさで思わず暖を取る。相変わらず外は寒かった。


「そうそう、それがね、郁と一緒に仕事ができることになったんだ! オーレが日本の友人を通じて教えてくれていたあの子だよ。昨日決まったんだけど、嬉しくて舞い上がっちゃってさ」


「本当に? やったね、ラース! 長年、情報提供してきた僕も嬉しいな。なんでまた、一緒に仕事できるようにこぎつけられたの?」


「もともと、郁の会社から来年に企画展をやろうとオファーがあったんだ。またとない機会だと思って、承諾したの。そして、僕の担当となる予定だった郁の上司と打ち合わせをしたときに、郁が担当じゃなきゃイヤだってゴネてみたんだ。ちょっと気難しいふりをしてみたら、僕の希望を叶えてくれたってわけ」


「そんなことをしたの?ラースらしいけど、温厚そうにみえて、キミたち兄弟は手段を選ばないところがあるよね」


「まぁね。ルカス兄さんほどじゃないけどね。チャンスはものにしないと!ただ、それだけじゃないよ。仕事するからには、いつだって最高のパフォーマンスをしたいと思ってる。表現者なら、みんなそう考えるはず」


「ラースがそう言うんだから、間違いなく素晴らしいものになるね。これからも僕は応援するよ。仕事もプライベートもね」


ラースより歳上のはずなのに、愛くるしいふんわりとしたオーレの微笑みに癒やされながらも、一抹の不安は消えない。


「オーレ、いつもありがとう。次回作の構想は練り始めていて、今のところ問題ないんだけど、郁のことが気になってしょうがないんだ。学生のとき仲が良かったと思っていたのに、ある時ツレなくなって、そのまま距離を置かれてしまったんだ。それ以降、関わりがないまま今に至るし。8年越しに会えるけど、正直心配でもある」


「ふぅん、やたら郁くんの情報を欲しがるなぁとは思ってたけど、そんな過去があったんだね。数々の女性と浮名を流してきたキミが、色恋で浮かない顔をするなんて」


「もう、人聞きの悪いことを言わないで。郁以外は好きになれないと悟ってからは、来る者は拒まずだっただけだよ。良いのか悪いのか、この顔のお陰で人が寄ってきたんだ。郁からは距離置かれるし、物理的に遠く離れて、もう良いや~っていっとき自暴自棄になってたの。ゴシップ記者には、さんざん良いネタ書かせてやったよ」


「ごめんごめん、本命の子にはちゃんと一途だもんね。何年も郁くんの情報を集め続けるくらいに。確かに、デンマークだけじゃなくて、他国の記者にも狙われていたよね。週刊誌のトップページにラースの記事が掲載されるたびに、ルカスと笑ってたよ~」


「オーレも、兄さんも性格が悪いな! そうさ、どの国に行っても張り込みされて寛げない。どこにいっても、彼らは僕の創作意欲を削いでくれたんだ」


ラースは、頬杖をついて熱々のコーヒーをぐいっと飲み干した。


「まぁまぁ、僕の特製シナモンロールを食べて元気出してよ。はいどうぞ」


ヤサグレ中のラースに、オーレはそっと焼きたてのシナモンロールを差し出す。


シナモンロールには、おまけでバニラアイスがトッピングされている。焼き立ての熱で、バニラアイスがじゅわじゅわと溶けていく。


「わぁ、美味しそう。僕はオーレのシナモンロールが大好物なんだよね。そのために、ニューヨークに来ていると言っても過言じゃないくらい」


「ふふっ。それは過言だよ。ここに来なくたって、ご要望に応えていつでも作ってあげるよ。ラースが滞在中のうちに、今度はお家においで。ルカスも会いたがっているよ」


「それじゃあ、近いうちおじゃまするよ。だけど、オーレの作ったご飯やお菓子が食べたいってねだったら、兄さん拗ねちゃいそう。兄さんがめんどくさい~」


「ルカスはそんなところもかわいいんだよ」


「あーあ、結局は新婚夫婦のお惚気話を聞くはめになるんだろうな。もう、それが目にみえてるよ」


次兄夫婦の仲の良さに、ラースは思わず笑顔が綻ぶ。


「いつものラースに戻ってきたようで良かったよ。さっきの話だけど、昨年くらいからキミの行動も大人しくなったようだし、記者たちもそれほど追って来なくなったんじゃない?」


「まぁね。昨年から郁の会社との案件が進みだしてから、僕はパタリと遊ぶのをやめたんだ。それに、割り切った関係を続けていた女性たちとは綺麗に別れたんだ。ニールセン家の家訓『別れるときは綺麗に別れろ』を忠実に守っているよ」


「ハハッ、キミたち3兄弟に相応しい家訓だね。お母さんが言う姿が想像できるよ」


「そうだろう?家訓を守る良い息子なんだよ、僕は」


「本当にラースはいい子だよ。今日は真っ先に郁くんのことを教えてくれてありがとう。日本の友人にも進展したって伝えておくよ。これからが楽しみだね」



ラースとオーレが和やかに談笑していたその日、日本ではー

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