第5話 慌ただしい日々

「無事に、今月末でこの企画展は終了するが、ここで得た経験を再来週の企画会議でも活かせるようにしていこう。午前のミーティングはこれにて終了。お疲れさまでした」


司会の梶谷のコメントで、午前の会議はお開きになった。


(ようやく、お昼にありつける……)


郁はふらふらとした足どりでミーティングルームから自席に戻り、椅子に深く腰掛けた。


ひと息ついて、チラリと腕時計を見ると、針は午後0時50分を示している。


(あー、お腹空いた。今日くらい、朝ご飯食べてきたらよかったな)


今朝の出来事が頭から離れないものの、郁は慌ただしい時間を過ごしていた。


午前の会議では、現在開催中の美術展「京都画壇の画家たち―江戸から明治へ―」の集客状況の分析や客の満足度調査、今後につなげる企画を検討していた。


若手キュレーターとして、日々学ぶことは多い。そして、知識不足と経験不足を痛感する日々である。


郁は24歳で大学院を卒業し、この会社に入社して4年目になった。


現在は、主に高瀬が受け持つ案件のサブ担当についている。高瀬はアートにとどまらない博学さと造詣の深さがある。また、後輩育成に熱心なため、様々なことを吸収できる毎日が新鮮で思いのほか充実している。


(今日は13時45分から午後の打ち合わせだよな。まずは、お昼ご飯の買い出しに行こう……)


郁は、ご飯にありつこうと財布を片手にオフィスを出ようとしたとき、背後から高瀬に声をかけられた。


「おーい伊原、後で映画ポスター展の打ち合わせの前に、話したいことがあるんだが」


「はい、大丈夫です。でも、あの、なにか俺、しくじりましたか?」


「いいや、今朝の件だよ。ラース•ニールセン」


「今朝のこと…? 俺となにか関係が?」


「ああ、大アリだ」


高瀬からニヤリと笑みを向けられ、鼓動が早まる。


「えぇっ!?俺はその企画の参加メンバーじゃなかったと思うんですが…?」


「まぁ、楽しみにしてろ。また後でな」


高瀬は郁にヒラヒラと手を振り、先にオフィスを出ていってしまった。


(えぇー、なんだ、なんなんだ!?勿体ぶらないで、今言ってくれよ!楽しいランチ、どころじゃなくなったじゃないか!)


せっかく、今朝綺麗に整えた髪をぐしゃぐしゃに掻き、その場に立ちつくす。


高瀬さんは、俺とラースの関係を知らないはず。いや、知る由もない。


そう、一介の若手キュレーターと、今をときめくアーティスト、ふたりの人生が重なるわけがないんだから。

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