琴柱4

増田朋美

琴柱4

「とりあえず出てくれてありがとうございます。本当に嬉しいです。」

タクシーの中で酒井希望さんは米田慶さんに言った。

「しかし本当に良いんですか?右城じゃなくて、磯野水穂先生の紹介文だって、この文句しか得られなかったんでしょう?」

と慶さんは、水穂さんが書いた言葉を書き写した用紙を見ながら言った。そこには楽しき夢ありがたき候、磯野水穂としか書かれていなかった。

「まあねえ。とりあえずこの文句をみんなに見せて納得してくれるかどうか、イチかバチかにかけるようなところもあると思いますけど、とりあえずやってみてはどうかと思います。」

酒井希望さんは申し訳無さそうに言った。

「お客さん、ここで良いんですか?新浜公会堂に着きましたが。」

と、タクシーの運転手が、二人にそう声をかけた。

「ええ、そこで構いません。」

と希望さんが言うと、

「いやあねえ、なかなかここで降りるというお客さんはいないものですからねえ。」

なんて言いながら運転手はタクシーを公会堂の前で止めてくれた。希望さんは、運転手にお金を払うと、じゃあ帰りも乗せてくださいと言って領収書を受け取った。

「じゃあ中に入りますよ。こんにちは。」

と、希望さんが公会堂の入り口扉を開けると、

「希望さんお待ちしてました。じゃあ、早速練習を始めましょうか。今日は春の海幻想でしたね。ちゃんと用意はできてますので。」

そう尺八奏者が二人を出迎えてくれた。

「ちょっと待って。あたし、聞いていないわよ。またこの青年を連れてくるなんて。」

と、竹芝さんが言った。

「聞いてないって、竹芝さん、今日は春の海幻想をやるんだから、それで頑張ろうって決めたじゃないか。」

と尺八の男性がそう言うと、

「いいえ、こないだも申し上げましたとおりです!あたしは受け入れませんよ。春の海を弾きこなせるほど実力がある人は、何処か他所で弾いてきてくださいよ。」

と竹芝さんは言った。

「そうかも知れないけどさ、でも、より良い演奏ができるじゃないですか。」

と、尺八奏者の男性はそういうのであるが、琴をやっている女性たちが黙っていなかった。彼女たちは、次々に、自分たちだってお琴の先生から、バカにされたり流派に合わないことをした事で破門されたりしたエピソードを語りだした。そんな事語られても、もうそれは過去のものとして、忘れ去ってもいいと思うのであるが、女性たちはできないようだった。それはもしかしたら、女性特有の現象なのかもしれない。男性は比較的割り切って話すことができるひとが多いが、女性というとそうは行かないようなのだ。傷ついたことや、辛かった過去のことを永遠に忘れることができず、時にはそれを武器にしてしまうのは、やはり女性だと思うのであった。

「あたしたちだって被害者なのよ、お琴教室で、高額な免状代を請求されて、もう転がるように逃げたことだってあるわ。それに、先生のご機嫌どりのようなことだってしなくちゃならなかった。そういう事を経験してないって言うか、先生の殿みたいになっていた若い人を受け入れるなんて、当然ながらできないわ。このかいは、そういう被害者の集まりなのよ、それをお琴の世界で正常にやってきた人が入るなんて、到底許せることじゃないわよ。」

竹芝さんは、そう結論づけてしまった。他の女性のお琴奏者たちは、竹芝さんの話をその通りだと言い、皆竹芝さんに同調するような態度を取った。あの太った17絃のおばさんも今回は彼女に同調した。もしかしたら、竹芝さんが脅しをかけているのかもしれない。一方の所、尺八奏者の男性たちは、あまり過去のこととか気にしてないようであるが、でも竹芝さんに同調していたほうが自分たちは楽であることは知っているのだろう。それは確かにそうだねと口裏を合わせた。なんだか竹芝さんはみんなを代表して発言しているとは言うけれど、彼女が米田慶さんを入れたくないために、いろんな作戦を立てて、なんとか追い出そうとしているのかもしれなかった。

「どうしてみんな、新しい人を入れないのでしょうか?」

と希望さんが言うと、

「ええだってわたしたちは被害者だからですよ。そういうお琴教室とか、お琴の合奏団で酷いことされたりお金をやたら取られたりして、お琴を楽しめなかった過去があるからですわ。私達だって、そういうのが嫌でこのバンドに集まったんですから。新しい人なんて、入れるはずが無いわよ。」

と、竹芝さんが言った。

「それに、酒井先生だって一応指揮者でしょ。指揮者というのはオーケストラに雇われているもんなんですよ。だから、それと同じで、その気になったら、酒井先生を解任することだってわたしたちはできるのよ。」

このような解釈は、ちょっとおかしなというか、間違っているのかもしれない。指揮者というのは確かに、そのような形態で仕事をするのであるが、それでも指揮者のほうが、音楽的にも人格的にも上の立場でいなければならないのは、良く知られていることだ。だからバンド側が解任するというのは、よほどのことが無い限り無いと思うけど、でも、竹芝さんはそのように解釈しているのだった。それを言われてしまうと、希望さんも自分のほうが偉いのだと主張するわけにはいかず、黙るしかなかった。

「出てってよ!あたしたちは、悪いけど居場所を提供する場所じゃないのよ。そういう人に、来てもらいたくないわよ。」

「そうよ!竹芝さんが一生懸命作り上げてくれたのに、それをぶっ壊されるような真似をされちゃたまんないわよ!」

そして中にはこういう極端なセリフを言う人もいるのである。そうなると日本は本当に人権意識が遅れているというか、そう思ってしまうのであるが、

「はっきり言っちゃえば、貴男は雑草よ!」

とヒステリックなセリフが飛んできた。

「酒井先生。」

と、慶さんはいった。

「本当にありがとうございました。僕は、やっぱりここにいないほうが良いんだと思います。やっぱり、こういうお琴とか尺八の世界は、若い人間はいないほうが良かったんですね。」

希望さんはそんな事は無いと慶さんを励ましてやりたかったのであるが、とても他の団員さんの表情から、そのような事をすることはできなかった。

「気をつけて帰ってよ。」

とだけ、希望さんは言った。慶さんはありがとうございましたと言って頭を下げて、そのまま新浜公会堂を出ていった。団員さんたちはそれを見て、褒めている様子もなければ、ねぎらっている様子もなかった。もう、勝手にしろという表情が目に見えていた。

それから、数日が経ったある日のことである。

製鉄所に、一人の女性が尋ねてきた。何をしに来たのかなと思ったら、なんとなく、米田慶さんに似た雰囲気があったので、お母さんだなとすぐに分かった。

「あの、私、米田慶の母でございますが。」

応答したジョチさんは、とりあえず彼女を応接室へ案内した。

「その米田慶さんのお母様が、一体何をしに来たんですか?」

とジョチさんがそう言うと、

「はい、慶が、先日飛び降りてなくなりました。遺書はなかったのですが、警察の方が自殺だと言われました。しかし、慶はなくなるまで、そのきっかけになるような事は何も言わなかったんです。それではどうしても分からなくて。ただ財布の中に、この名刺がありましたから、それでなにか知っていると思いましてこさせてもらいました。」

慶さんのお母さんは、そう言って、名刺を2つ取り出した。一つはジョチさんの名刺であり、もう一つは、邦楽バンド日陽の代表である、酒井希望さんのものであった。

「そうなんですね。それでは、お線香でも挙げさせて頂きたいですね。しかし亡くなられたというのであれば、ご葬儀はされたのでしょうか?」

ジョチさんがうろたえてそう言うと、

「はい。葬儀は、家族だけで済ませました。」

と、お母さんは言った。

「それでは、慶さんが亡くなられたときの話を話してくださいますか?」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ。ため池に飛び込んだのです。うちは、こんな事いいたくないけど、田んぼだらけの田舎ですから、そういうため池はいっぱいあるんですよ。」

お母さんはそういった。

「そういうわけですから、何処へ行くにも車で行かなければならなくて、慶もそのうち免許を取るはずだったんですが、それも叶わないで、なくなってしまいました。まだ慶は可能性があったはずです。一人でそんなに追い詰められていたなんて、そんな事全く知りませんでした。もしかしたら、あなた方が、慶を自殺に追い込んだのではありませんか!」

「いえ、僕たちは、そのような事は全くありません。僕たちはただ、慶さんが、邦楽バンド日陽で活躍してくれればいいと思っていました。そのもう一つの名刺の酒井希望さんも同様でした。だから、彼に対して、自殺をするように吹き込んだ事は毛頭ありませんから!」

ジョチさんがそう言うと、

「だったら、慶は誰に吹き込まれたんです!あの子が、自殺するなんて、あり得ない話ですよ。うちの中では明るくて、本当に優しい子でした。それがどうして自殺しなければならないんですか!」

お母さんは涙をこぼしていった。

「残念ですが、慶さんはとても家族思いの青年だったんでしょうね。自分の悩んでいることは一切言わなかった。きっとお母さんに、自分が居場所が無いことを話したくても話せなかったんじゃないですか。それをできなかったというのは、反省したほうがいいかもしれません。」

「それでは、私が母親としてだめだとおっしゃりたいんでしょうか?」

母親というのはそうなってしまうものらしい。

「だめだとかそういう評価をつけるものではないですが、慶さんがこの世を去ってしまったということは、紛れもない事実ですから、それは結果として受け止めるべきなのではないでしょうか?」

ジョチさんはそういったのであるが、

「私、やっぱりだめだったんですね。今は父の事で精一杯で、慶のことなんて見ていられませんでしたが、慶は、自分でなんとかするからって言って、聞かなかったんです。慶が外であんなに悩んでいたとは、私は、どうしても分からなくて、、、。」

と、お母さんは泣きじゃくってしまった。

「まあ、人間ですから、完璧に良い人を演じることはできやしませんよ。例えば最悪の結果になることだって、あるんですよ。もし、それでも慶さんに生きてほしいんだったら、ちゃんと慶さんに生きてほしいと懇願することと、慶さんが生きられるように居場所を提供してあげることが親の勤めなんじゃないですかね!」

ジョチさんは先に結論を言ってしまった。そのほうが、お母さんには良いと思ったのだった。

「でも、私に取って、たった一人の息子であることは間違いありません。」

「だから、そういうことであれば、そういうふうに愛しているとちゃんと証明すべきだったんです。今は態度で示すなんて言う時代じゃありませんよ!幸せなら態度で示そうよなんて、そんな言葉は死語だと思ってください。」

ジョチさんは、泣きはらしているお母さんにそういうのだった。

「それで、もうひとりの名刺にある、酒井希望さんには伝えましたか?」

「いえ、まだです。」

お母さんはそれだけ答えた。

「わかりました。じゃあ、それを伝えるのも大変でしょうから、僕らが代理でやっておきますよ。大変なのはわかりますからね。あなたがこちらへやってくるというのも大変だったということもわかりますから。」

ジョチさんは困った顔をして、お母さんを見た。そして、スマートフォンを取って、酒井希望さんに電話をかけ始めた。希望さんに、米田慶さんが亡くなられたと伝えると、酒井希望さんは、すぐにそちらへ行くと言った。ジョチさんは、電話を切って、今から酒井希望さんが、来てくれると簡単に言った。

数分して、希望さんが製鉄所に飛び込んできた。汗が瀧のように流れていて、急いでやってきたことがよくわかった。

「あの!すみません。邦楽バンド日陽の指揮者の酒井希望です!あの、米田慶さんが亡くなられたと聞いたものですから!」

希望さんはそう言って応接室へ飛び込んできた。

「希望さん落ち着いてください。もう葬儀は近親者で済ませてしまったそうです。」

ジョチさんがそう言うと、

「じゃあ、もう骨になってしまったということですかね?」

希望さんは、急いで言った。

「ええ、菩提寺は、沼津の東上寺です。そこの墓にはいってます。」

とお母さんが言うと、

「それでは、ぜひお線香でも挙げさせてもらえないでしょうか!僕が、彼がなくなったことに責任はあるのかもしれませんから。」

と希望さんは、急いで言った。

「慶は、一体、あなたのバンドというか、集まりというか、なにかの団体で一体何をしていたんでしょう。一体そこでなぜ、自殺に追い込まれてしまったのか、教えてくれませんか?」

お母さんに詰め寄られて、希望さんは、琴の諍いを話していいか迷ってしまった。こういう話は、なかなか一般的な人にはわからないことでもある。

「慶さんが、お琴を習われていて、山田流の筝曲教室に通われていたことはご存知ありますか?」

とジョチさんはそう言ってみた。

「ええ。趣味で習うから大丈夫と言っていたので、何も口出しはしなかったのですが、そのうちだんだん思い詰めるようになってきて。なんでも、古典筝曲の楽譜を手に入れられないのを師匠に叱られるということで悩んでいたようです。それだけじゃありません。お琴の爪のことも、琴の柱の事も、もう現在は存在しないブランドを要求されたようで、私はもう、慶に琴はやめてしまえといいました。ですが、慶は、それができなかったようで。なんで日本の伝統文化って、こうなるんでしょうね。こういういらないものばかりこだわるんだろう。」

お母さんは、そう言っている。

「なるほど。趣味で習うと言って、結局、必要なものが手に入らなかったんですか?」

ジョチさんはそうお母さんに言った。希望さんは恥ずかしそうな顔をする。

「そうですか。必要なものが手に入らないですか。それを払拭しようとうちのバンドは頑張ってきたのに。」

「それで、お母さん。コチラにいらっしゃる、酒井希望さんの率いている、邦楽バンド日陽に、慶さんが入団しようとしていたことは、ご存知ありますか?」

希望さんの発言を無視して、ジョチさんはお母さんに言った。

「ええ、でも、何も話しませんでした。そのバンドがどんなバンドだったかとか、人間関係がどうだったとか、そういう事は一切慶は話しませんでした。」

と、お母さんは、そういった。

「真実を申し上げますと、そのバンドは、お琴をオーケストラ用に配置し、邦楽ではなくて洋楽を中心的に演奏しているバンドだったようです。それで、山田流が第一バイオリン、生田流が第二バイオリンの役目を果たし、十七絃やベース琴などの、低音楽器を取り入れているバンドだったそうですが、一見入りやすそうに見えるけど、そこも、不条理なお琴教室から逃げた人の集まりですから、結局慶さんは仲間に入れて貰えなかった。そうですね、希望さん。」

ジョチさんがそう言うと、酒井希望さんは、

「申し訳ありませんでした。」

と慶さんのお母さんに頭を下げた。

「それでは、慶が、仲間に入れてもらうことができなかった故に、自殺を考えていたんですか?」

「ええ、そういうことになりますね。それでは、きっと寂しかったんでしょう。確かに、ああいうバンドでは、お琴教室から逃げてきた人が多いということは確かなんですが、皆お琴教室からつらい思いをしている人が集まっているために、新しい人を入れないという決まりになっていたのでしょう。仕方ないと言えば仕方ないということもありますが、、、。」

ジョチさんは、慶さんのお母さんに言った。

「そういうことなら、お琴の教室とか、そういう伝統文化を伝授するところというのは、今でも、大きな矛盾というかそういうものを背負ってやっていることになりますな。それは、仕方ないことでもあるかもしれませんが、多かれ少なかれ、経験することですよね。日本の伝統文化は、日本の歴史から弾き飛ばされたことがある文化ですから、それに対して恨みというか、そういう気持ちを持っていることは確かですよ。」

「はい、私はそれで、一生懸命そのような矛盾を払拭するように活動をしていたつもりだったんですが、まさかこんなやり方で犠牲者が出てしまうというのは、本当に悲しいことです。なんで、こういうふうになってしまうのだろうと私も思いました。もし、この事を、バンドのメンバーさんに話したら、皆さんどんな反応をするのでしょうか?」

希望さんはそう言うが、

「息子のことは、メンバーさんには言わないでもらえますか。ただ、持病があって亡くなった程度にしてください。その人達のせいにしてしまって、酒井さんが、本当にすべてを失ったら、わたしたちも困りますので。」

お母さんは小さな声で言った。

「そうですね。僕もそのほうが良いと思います。まさかメンバーさんたちは、彼に対して自殺に追い込んだという意識は持っていないと思いますし、彼らが、慶さんを快く思っていなかったのは確かでもありますからね。」

とジョチさんもそういった。

「希望さん、大きな事業を成し遂げるのに、犠牲者が出るのは、よくあることじゃありませんか。この間の橋が崩落した事故だって、そうだったし、富士川の雁金堤だって、人柱になって貰わなければできなかったでしょう。それと同じだと考えるしか無いのでは無いですか。」

「そうですね。理事長さんのような方は、やっぱりなんでも割り切ってできるんでしょうけど、雁金堤と私のやっているバンドは同じことになるのですか?」

希望さんはジョチさんにそう聞いてみた。

「ええ、なると思いますよ。雁金堤だって、前代未聞の大事業だったでしょ。ブルトーザーもダイナマイトも無い時代に、手作業であんな大規模な堤防を作ったんですからね。それと同じですよ。」

ジョチさんは、にこやかに笑ってそういうのだった。

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琴柱4 増田朋美 @masubuchi4996

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