第34話 チョップ
で、土曜日。
「あー、明日どうしよう」
行くと決めたものの明日のプールが憂鬱であることは覆せなかった。何度か自問もしてみた。もしかしたら楽しいのではないか? 俺はプールに行きたいのではないか、と。しかし、どうしても憂鬱に軍配が上がってしまい今日に至る。
「さてと」
俺は重い腰を上げて、ひとまずお隣さんへと向かう準備をする。
結局、期末テスト後も伊佐凪からは『ピアノは教え続けます』と力強く言われてしまい、なんとなく断ることもせず土曜日は二人で勉強して、ピアノをするという一日になっている。
「これもいつまで続けるのやら……」
『お隣さんだからこそのイベントはなかったのか?』
佐々木の言葉を思い出す。これが二駅離れていたら俺はわざわざ教えに行っただろうか? あるいは教わりに行っただろうか。
「まぁいいか」
俺は考えるのをやめて、お隣さんを訪ねた。
「いらっしゃい。霧山くん」
「あぁ、邪魔する」
徒歩三秒。それが俺と伊佐凪の部屋の距離。異常な状況であるなぁと改めて思う。
「その、霧山くんは気分どう?」
「ん?」
「明日のこと」
まぁ、この流れから言えばその話しだろう。行くと決めたのなら、あまり憂鬱な気持ちを出してしまうのも忍びない、のだが──。
「普通に憂鬱だな」
「あははは……。だよね」
伊佐凪は予想通りといった風に、されど苦笑いだ。
「勝負にノッて負けたんだからあんまり引きずりたくはないんだけども、どうしてもな」
感情のコントロールというのは難しい。頭では切り替えたいと思っているのだが上手くいかない。
「そっか。じゃあ準備なんて?」
「あぁー。してない」
「水着とか持ってる?」
「持ってると思うか?」
「あんまり思わないかな」
「あぁ、もちろんない」
俺はなぜか自信満々に言ってやった。
◇◆伊佐凪視点◆◇
今日の霧山くんは見るからに悩んでいて、吐きだしたいような感じなのかと思って、プールの話しを振ってみたら色々なものが出てきた。
霧山くんはなんだかんだで付き合いが良くて、優しいことは多分、プールに行くメンバーはみんな思ってることだと思う。
「じゃあ今から水着買いに行く?」
「今から?」
私はできるだけ平坦な声で、自然な風を装って提案してみる。
「そ。今から。実は私も去年のでいいか迷っていて、もし霧山くんが一緒に行ってくれるなら新しいの買おうかなぁ、って」
「いや、なんで俺。そんなの佐々木でも誘えばいいんじゃないか?」
「だよねー。ううん。大丈夫。どうしても新しいの欲しいってわけじゃないし」
「そうか」
実は、サキちゃんからは今日、つまり土曜日に準備のために買い物に行かないかと誘われていたが、断ってしまった。買い物に行くにせよ、行かないにせよ土曜日は私の中で私でいられる大事な時間になっているから。
「じゃあ、今日も勉強しよっか」
「…………」
付き合いが良くて、優しい霧山くんは多分、無理を言えば買い物に付き合ってくれるだろうから本当はお願いしたいのを我慢する。
いつものようにまずは二人で勉強するところからと思ったが、霧山くんは難しい顔をして返事をしてくれない。どうしたのだろうか。
「霧山くん?」
「いや、行くか」
「え?」
「買い物。どうせ俺も水着は買わなきゃならないし、明日買うとなったら色々と面倒くさそうだ。今日サッと買えるなら買っておくのはありだな、と。それに……」
「それに?」
「いや、伊佐凪の提案をわざわざ拒否するほどの明確な理由もないしな」
霧山くんは、なんだか面倒くさい言い回しをしてきた。
「面倒くさい言い回しだね」
なので、私が笑いながらそう伝えると、霧山くんは自分自身に呆れたような、あるいは諦めるように肩をすくませ小さく笑いながら──。
「自覚はある。自分自身との付き合い方にはずっとうんざりしているからな」
そんな言葉を返してきた。
「じゃあ霧山くんの気が変わらない内に行こうっ。実はこんなこともあろうかとお店は調べておきました! ちゃんと男性用の水着もあるよ。フロアが違うけど」
「随分準備がいいな。あと、フロアが違うのは助かる」
「フフ、霧山くんって正直なところがすごく良いところだけど、たまにチョップしたくなるね」
「チョップ?」
「ていっ」
前髪を上げて無防備になっているおでこにチョップしてみる。
「痛……くはないが、気は済んだか?」
霧山くんがおでこをコシコシしながら聞いてくる。なんか可愛い。
「うんっ。さっ、いこいこっ」
こうして私たちの買い物デートが始まったのだ。
(ま、きっと霧山くんはデートだとも思っていないだろうけどね)
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