第33話 ラ

「ルナリコネサンスオービター」


「ほぅ?」


「アメリカの月探査機だ」


「あるねー」


 秀一から有効判定が下りる。


「面白くなってきたな」


 俺と佐々木は睨み合い、笑いあう。


「次は『た』ということでいいかな?」


「あぁ」


「──ターンブル&アッサー」


「──サイリスターチョッパー」


 お互い相手が言っている単語の意味は分からない。ただ、秀一の『あったよー』を聞いて、その単語を覚えるだけ。


「霧山、人名はありか?」


「歴史的偉人などであれば可とする」


 佐々木は『そうか、では……』と言い、今までの単語をスラスラと並べたあと──。


「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」


 誰もが一度は聞いたことあるピカソの本名って長いんだよね、を丸っと言いやがった。これを今の一回で覚えるのは不可能だ。つまり俺が覚えていなければ負け。だがお生憎様だ。


 ピカソの本名を覚えていた俺はしりとり、りんごからピカソの名前までを復唱していく。教室がざわざわと騒がしくなる。ピカソの名前を言えたくらいで騒がないで欲しい。


「──ソルベンシーマージン比率」


「ふむ。ま、そうこなくてはな。お前は勝てる勝負を選んだつもりなのだろうからな」


 こうして、俺たちのしりとりは続いた。いちいち長いピカソの名前を挟みながら相手の知識の引き出しにないであろう言葉を並べ──。


「楽しそうですね、センパイと佐々木先輩」


「そうだね、なんで二人ともあんなに物知りなんだろう。あ、これなんかどう?」


「へー。伊佐凪先輩意外に大胆ですね。こういうのを選ぶと思っていました」


 脳をフル回転させ、初めて聞く単語を正確に覚え続ける熱戦の中、伊佐凪と茜ちゃんはお互いのスマホを見せ合いながら雑談している。


「──ピカソ。ソルベンシーマージン──」


「「っ!?」」


 佐々木と秀一がビクリと反応する。なんだ?


「審判っ!!」


「あぁ、真司。今、ピカソのデ・ラのラが抜けていたな」


「なん……だと?」


 もう何回目になるだろうかピカソの名前を俺が間違えた? いや、そんなバカな。しかし佐々木と秀一が同時に反応したのを見る限り、言いがかりではなさそうだ。


「あ、終わりましたー?」


「終わったみたいだね。え、霧山くんめっちゃ凹んでるっ!? 大丈夫?」


 まさかの事態に放心状態になっている俺を見て、伊佐凪が心配してくる。大丈夫ではない。本当に間違えたのか、俺は本当に間違えてしまったのか?


「あ、動画撮ってたから確認する?」


 和田はこっそり教室の隅から動画を撮っていたようだ。人それを盗撮と言う。だが、今はそれを非難している場合じゃない。和田からスマホを借りて確認する。


「あぁ……、あぁぁ……」


 抜けていた。『ラ』が抜けていた……。


「ふむ。いい勝負だったな霧山。さぁて、キミも男だろう? 約束は覚えているな?」


 ポンと肩を叩かれ、聞き分けの悪い子供に言い聞かせるかのように諭してくる。


「……分かっている。勝負に乗ったのは俺だ。約束は守る」


「「「おぉ~」」」


 佐々木が勝利したことに対して秀一、伊佐凪、茜ちゃんが感嘆の声を上げ、拍手している。和田も泣きながら拍手している。なんなんだアイツは。


 こうして今週の日曜にプールに行くことが決まってしまった。


「クッ。デ・ラ・サンディシマ──」


 俺は弁当を食べながら、何度かピカソの名前を復唱して、もう二度と間違えないことを決意するのであった。


「センパイって時々アホ可愛いですよね」


「うん。霧山くんって時々可愛いんだよね」


 茜ちゃんと伊佐凪にバカにされたが、俺は無視してやった。この日食べた弁当の味は覚えていなかった。

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