第11話 霧山くんは別腹

 ピンポーン。


「……なに」


「霧山くん。お勉強、お勉強を教えて下さいっ。私の家庭教師になって下さいっ」


「は?」


 今日感心していた気持ちを返して欲しい。伊佐凪がいきなりウチにやってきたのだ。


「詳しい話しは私の部屋でしませんか」


「……別にここで立ち話でもいいけど」


「お願いします……」


 上目遣いでうるうると頼み込んでくる姿は、捨てられた子犬を彷彿とさせた。やっぱりこいつ犬だ。そんなことを思いながら、仕方なく伊佐凪の部屋へと入る。


「どうぞ」


「お邪魔します」


 一応礼儀として、挨拶はする。まぁ分かってはいたが間取りは同じだ。というか、同じ間取りの部屋ってなんか変な感じがするな。


「コーヒー出しますね」


「あぁ、別にいらんけど」


「出します」


「……はいよ」


 あまりジロジロ眺めるのも失礼かとも思ったが、伊佐凪には散々な目に合わされたのだから、これくらいいっかと眺めまわす。


「……霧山くん、ちょっと恥ずかしいです」


「じゃあ帰ろうか」


「うぅ、いじめ反対ぃ」


 小さい声でそう抗議してくる。どちらかと言うとイジメられているのは俺の方だと思うのだが。


「で、なんだって」


「家庭教師になって欲しいんです」


「理由は」


「はい、あの、うちの両親が成績表を見まして、その怒ってきて……」


「二番で?」


「はい……」


 めちゃくちゃ厳しい親だな。二番でも良いだろ。二番でも。


「で?」


「えと、次の期末テスト一番にならないと、実家に戻すって」


「ほー」


 実家に戻ってくれるのか。それはむしろ……。


「霧山くんがきっとすごく私にとってはイジワルなことを考えている気がします」


「ソンナコトナイゾ」


「ほらーっ」


「まぁ、いい。続きを聞こう」


「はい……。で、家庭教師を付けるという話しになりまして、私の苦手な理系科目を教えるのは男の家庭教師だって言って。霧山くん信じられますか。一人暮らしの娘の家に男性と二人きりにさせるんですよ?」


「あー、帰ろうか?」


 今、まさに一人暮らしの娘の家に二人きりでいる男なので、退散しようとする。


「あー、霧山くんは別ですっ。霧山くんは別腹ですっ!」


「人をスイーツみたいに言うな」


「で、続きなんですけど、だったら私に家庭教師を選ばせて下さいと言ったところ、検討してくれるとのことでしたので、お願いします」


「うん、まぁ普通にイヤだけど」


「そこをなにとぞ。霧山くん、どうかお願いしますっ」


 まさかの土下座。


「おい、やめろ。それは卑怯だ。そんなことはするな」


 俺はすぐに顔を上げさせる。


「もちろん、お金は払うよ?」


「いや、まぁそれはそうだけど、お金の問題ってわけでもないし……」


「じゃあ、私にできることなら、その、何でもってわけじゃないけど」


 モジモジしながらそんなことを言う。一体、伊佐凪は何を妄想しているのだろうか。


「まぁ、だが当然──」


 断る。断るつもりであった。だが、どうしても一つだけ気になるものが自分の中に湧き上がってしまった。


「断るつもりだったが、それ」


「え?」


 この部屋に入った時に目に入ったもの。俺の興味がどうしても向いてしまったもの。


「ピアノ?」


「伊佐凪は弾けるのか?」


「うん」


 そう、電子ピアノだ。


「……ちょっと弾いてみてくれるか」


「いいけど、何でもいい?」


「あぁ」


 伊佐凪は、気負うことなくピアノの前に座ると、誰もが聞いたことのあるクラシックを弾き始める。それから流行りのポップミュージックから、ジャズまで、色んなジャンルのピアノを弾いてくれた。


「はい、こんな感じ」


 三十分ほど弾いてただろうか。


「ありがとう。伊佐凪、ピアノめっちゃ上手いんだな」


「あぅ、ありがと。その小さい頃から習ってたから」


 流石お嬢様と思ったが、そんな嫌味っぽいことをわざわざ口に出す必要はないだろう。


「条件が決まった。俺は勉強を教える。伊佐凪は俺にピアノを教えてくれ」


「え、そんなんでいいのっ!? 喜んでっ!」


「じゃあ交渉成立だな」


「うん、これからよろしくお願いしますっ」


「いや、両親が許可するかどうかだけどな」


「うん、任せてっ! あ、じゃあ、その成績のデータをラインで……」


「……ま、仕方ないか」


 こうして、俺たちは連絡先を交換したわけだが──。

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