おつかい

最初の顔合わせから泣かせてしまった手前、武公は椿を扱いあぐねていた。

そのため彼女がこの家に来る前に何処に住んでいたのかも知らないが、ここに来て日も浅い彼女には休日に遊びに出掛けるほど親しい友人も居ないようだ。

春から入学した高校で彼らは同じクラスになったが、校内で話しかけることは殆ど無い。

家の中でさえろくに話さないのだから当たり前といえば当たり前なのだが、理由はそれだけではない。

彼女はクラスメイトの誰ともあまり話をしてはいないのだ。

人嫌いというわけでもないようで話しかけられれば笑顔で応じるし、キョロキョロと他人の様子を窺っている雰囲気もある。

しかしながらいざ話すとすぐに会話が途切れてしまうようで、しょんぼりと肩を落としている。

そんな事に気付くくらいには様子を見ているのだから、武公自身が橋渡しをしてやれば良いものだが、如何せん彼もまたそう器用な性質タチではない。

細かい事に頓着がないといえばその通りだが、実のところそれだけではなくて頓着のだ。

脳ミソまでみっちり筋肉が詰まっているような単細胞ぶりで、気を遣うというところまで上手く神経が行き届いてはいない。

そのため彼もまた常にツルむような友人はいないが、同じ中学の出身者達が彼の正直さや実直さは認めていたので悪印象を持たれたり困ったりすることはなかった。

そしてまた、固定の友人が居ないことに困るような細やかな神経も持ち合わせてはいないわけだ。


そのようなわけで世間はゴールデンウィークだが、高校が休みに入っても武公と椿はどこに出掛けるでもなく家に居たのだが……現在、武公は前を行く椿を追って東京駅の人混みをかき分けていた。

「急ぎましょう、もう間に合わないかも……」

「そんなに大変なものなのか?」

げんなりと訊ねると、椿はこくこくと頷きながら必死の形相で目的地へと向かう。

着いた先は既に行列で、彼らが後ろに付くと間もなくで店員が締め切りの札を持ってきた。

「良かった、間に合いましたね。これでおつかいが果たせます」

晴れやかに笑う顔はこのひと月程で見たどの時よりも年頃の娘らしい。

「お祖母さんのお使いにそこまで必死にならなくて良い。あれはきっと年寄りの道楽みたいなもんだからな」

暇そうだからといつもの謎掛けスイーツおつかいを任されたのだが、今回は椿も巻き込まれた。

普段なら武公が散々頭をひねるところだが、ここで彼女は有能ぶりを発揮したのだ。


今回の祖母のオーダーは“皮でクリームを巻いたような形のお菓子”であったが、生菓子ではないという。

椿は少しだけ考えて口を開いた。

「クレープに似た形ですか? それとも舟のような形でしょうか?」

「花束みたいなやつよ。確か真ん中にいちごっぽいのが……」

すすっと彼女は指先をスマホに滑らせて、一つの画面を示す。

そこには白いクリームとフリーズドライの苺の砕いたものをラングドシャクッキーで巻き込んだ菓子の写真が映っていた。

「これ……ですか?」

「そうそう、これよこれ! 有名なの?」

武公はぽかんと口を開けて目を見開く。かつてここまで早くにこの問答の正体を見付けたことなどない。

毎回悪戦苦闘の末に早くて数日かけて探してくるというのに……

「東京駅限定って、この間テレビでやっていました」

「じゃあ間違いないわ、テレビで見たそうだから。悪いけどおつかいお願い出来るかしら? 武公、一緒に行ってらっしゃい。椿ちゃんは不案内だし、ついでに買い物でも付き合ってあげなさいな」

否やを言おうとして、彼はピタリと動きを止めた。

断ってまた泣かれても困る……そもそも今までであれば武公が任される事なのだから、頓知がすぐに終わっただけ助かったようなものだ。



長い行列を待たされる間、武公は椿にどこかで休んでいるか他の店を見に行っても良いと促したが、彼女は自分も並ぶと言ってきかなかった。

どうやら人の多い場所で一人になるのが不安なようで、彼から離れることなくキョロキョロと物珍しげに近くの商品を眺める様子が微笑ましい。

「甘いものが好きなのか?」

「え?」

きょとんと驚いた顔がまっすぐにこちらを見上げて、武公は少しどきりとした。

年頃の女性にまじまじと見られることに慣れていない。

「いや、あれだけですぐにわかったから」

祖母の出した曖昧なヒントですぐにこの店だと気付くという事は余程菓子が好きなのかと思ったのだが、彼女は視線を泳がせてしばし何かを考える様子を見せる。

「甘いもの好きです。でも……テレビが好きなの」

「テレビ?」

そういえば彼女がテレビで見たと言っていたのを武公は思い出した。

「外に出られなかった間、テレビばかり見ていたから」

その真意を測ろうと彼女を見て、武公ははっとした。

病的なまでに透けるような白い肌と、筋力の見えない華奢な手足……もしかしたら病気か怪我で長く伏せっていたのではないだろうか。

「体は大丈夫なのか? 無理は良くない、やはり休んでいたほうが……」

慌てて言う武公に彼女はまた不思議そうなきょとんとした丸い目を向けた。

「体? 元気です」

「その……病気とか、怪我とか……」

「ありません」

ふるふると首を横に振る様子は嘘ではなさそうで、武公はいっそうわからなくなる。

けれどどこまで踏み込んで良いのかわからず、お茶を濁すことにした。

「そ……そうか、元気が一番だからな。元気なら良いんだ」

「武公さま?」

椿は不思議そうな顔をしながら、小さく笑う。

「“さま”はやめてくれ。同級生なのだし、よくわからないが同じ家で暮らすのだから気楽に呼び捨てにしてくれて構わない。敬語も無しだ」

彼は椿が剣家に来てからずっと“さま”付けで呼ばれていたのをやめさせたかったのだが、初対面で泣かせてしまった弱みから強く言えずにいた。

しかしこうして話してみれば言葉の通じない相手ではなさそうだ。

彼女を少し身近に感じて切り出してみる。

「武公……くん」

椿はやってみようと試みたものの、やはり呼び捨ては気が引けた。

せめてもと付けられた呼称詞は、武公にとっては何かくすぐったい。

耳のあたりにぽっと熱が灯る感覚に、彼は指先でカリカリと頬を掻いた。

「頼むから呼び捨ててくれ、椿さん」

彼がむず痒さに堪えきれず言うと、彼女は困ったような拗ねたような顔をする。

「なら、私も呼び捨ててください」

「いや、その……良く知らない男が呼び捨ては馴れ馴れしくないか?」

「平気です。それに私だけでは不公平だから」

確かに相手に強要するだけでは良くないと思い直して、武公は口を開いた。

「それじゃ……椿」

「武公……で良いですか?」

まるで初々しい恋人達のように戸惑いながら呼び合うのを、前後に並ぶ他の者がどう見ていたかは彼らの表情が物語る。微笑ましいような、くすぐったいような顔だ。

それに気付いたわけではないが、当の本人である武公は何とも尻の据わりの悪い気分である。

ムズムズとどこかくすぐったい。

しかし椿は嬉しそうに微笑んだ。

「それで良い。敬語もやめてくれるとありがたいんだが」

「努力しま……する」

言いかけたのを無理に継いだせいかおかしなことになってしまい、2人は顔を見合わせて笑う。

「椿は……許嫁というのをどう思ってるんだ?」

なんとなく打ち解けたような気がして、武公はずっと疑問に思っていた事を切り出した。

「私はつがいだから。一生一緒、それが正しいはずなの」

一つも疑問のない様子で、彼女は当たり前のように言う。

「つがい?」

「そう。武公……の番として生まれたのが私」

聞き慣れない言葉に武公は首を傾げる。どうやら椿はこの件に関して何かを知っているようだが、何故自分には何も教えられていないのか……詳しく尋ねようとした時、順番が回ってきてしまった。

仕方なく祖母のおつかいを終わらせてからにしようと思い直して、ふと隣を見る。

「椿も食べるか?」

彼女が甘いものは好きだと言っていたことを思い出したのだ。

「良いんですか?」

「当たり前だ。せっかくここまで足を運んだんだ、それに君が居なければわからなかったんだからな」

頼まれていたよりも多く購入し、列を離れると彼女はとても嬉しそうに笑った。

「ここに来てから嬉しいことばっかり。名前を呼んでもらえるし、みんな優しい」

「一緒に暮らしていれば誰でも名前くらい呼ぶだろう」

「そう……なの?」

不思議そうに見上げる彼女の様子に、武公は違和感を覚えていた。

もしかしたら彼女は名前さえ呼んでもらえないような真っ当とはいえない家庭で育ったのではないだろうか。

だからこそ剣家に居候しているのかも……となるとどこまでどう訊ねたものか悩む。

そもそも脳筋、考えるのも気を遣うのも苦手なのだ。

どうしたものか迷っていると、聞き慣れた着信音にスマホを取り出した。

「親父? 何か用か?」

『デート中に悪いな』

「んなっ!?」

デートなどという概念は全く持ち合わせていなかったが、そのように言われてしまうと焦る。

あがっと開けたままの口を慌てて閉じて、顔が赤くなってはいないかと思ったが確かめる術はなかった。

椿が不思議そうに目を見開いて見ている。

武公は咳払いを一つして、わざと眉間にシワを寄せた。

「これはおつかいだ。そんな事を言ったら椿に失礼だろう」

『ほーう、椿と来たか。随分仲良くなったようじゃないか』

ぐぅと喉が詰まる。

何を言っても無駄なようだ。

『悪いんだが今夜都合が付いたから、夕方までに帰ってきてくれ』

「都合? 何の話だ?」

『まあ、来ればわかるさ。椿の事もそこで話す』

武公の父親はいつもこの調子で、説明をしない。

説明するより直に見るなり聞くなりすれば良いという明確な信念があるらしい。

先程から椿の事情を探ろうとしては躓いている現状を考えると、迂闊に本人に訊ねて泣かれるよりは親父に訊いたほうが楽なのではないかと脳筋なりの理論で考えて彼は電話を切る。

夕方まではまだしばらく時間があった。

「夕方までに戻れと親父が言っているが、それまでにどこか行きたい所はあるか?」

「……お家の近くの商店街」

「地元のか? せっかく東京駅まで来ているのに?」

武公は首を捻る。

わざわざ都心から離れて、さほど栄えてもいない地元に行きたいというのも不思議だ。

「ここは人が多くて……あっちの方が落ち着くの。それに、これから住むなら色々場所を知っておいた方が良いから」

確かに連休中の東京駅の混み方は凄まじいので、椿の言葉も一理ある。

それに武公には女の子が喜ぶような場所というのも見当がつかず、どこを案内してやるという事もできない。

「そうだな。じゃあ戻るか」

にこにこと笑ってはぐれないように必死でついて来る様子がいじらしく、武公は少しずつ彼女に好感を持ち始めていた。

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