第40話 何やってんだよ、あのバカ!




 翌日、とある授業を控えた休み時間。

 次の授業の準備を終えた祐真は、ちらりと晃成の姿を窺えば、取り出したプリントを見て焦った声を上げていた。


「うげっ、先週課題出されてたのを忘れてた!」

「ぎゃー! あーしも忘れてたし!」

「それ、めっちゃむずかったぜ」

「……あと5分で解けるかな」

「いやぁ、結構な量あるし無理っしょ」


 晃成の言葉を呼び水に、他にもついうっかり忘れていたクラスメイトも声を上げ、喧々諤々。そんな親友についうっかりに、何やってんだと眉を寄せる祐真。

 にわかに教室が騒めく中、晃成は話題の中心でなく、多くの中の1人だった。

 祐真は周囲にサッと視線を走らせてみるも、やはり特段何かしら悪意のあるものも向けられていない。そのことにホッと胸を撫で下ろしていると、晃成から声を掛けられる。


「なぁ祐真、プリントだけど写させてもらえたりできる?」

「……いいけど、今度、昼奢りな」

「うっ、……でも背に腹は代えられねぇ」

「ほらよ」

「サンキュ」


 ジト目の祐真がプリントを渡せば、何人かのクラスメイトが晃成の元へとやってきて、こちらにも写させてくれと群がられる。

 祐真は晃成が必死でプリントを死守しているのを見て、「授業が始まる前に返せよー」と言うのだった。



 昼休み目前最後の授業、昼食を前にし空腹と共に集中力が切れかける中、欠伸を噛み殺した祐真はふいに窓の外から見えるグラウンドに、体育の授業をしている涼香の姿に気付く。どうやら女子はソフトボールをしているようだった。

 昔から好奇心旺盛で気になるものがあるとすぐに見に行く涼香は、気になるものがあればすぐに足を運ぶ。だから身体を動かすのも好きで、体力もある。えっちの時の動きの積極的だ。

 ずっと帰宅部なので部活で本格的にやっている人には敵わないものの、裏を返せばどんなスポーツでもそれなりに活躍できる。

 今だってソフトボール部員と思しきピッチャーのかなりの早さの球を打ち返し、二塁へと足を滑り込ませているところだった。

 悔しそうにしているピッチャーを余所目に挑発するかのようにリードをし、続く打者がキャッチャーフライで打ち取られるも、見事三塁へと歩を進める。

 そんな中、次に現れた打者は莉子だった。小柄な莉子は心なしかフラフラとバットを持つ手が覚束ない。

 今でこそ陽キャ的な見た目をしている莉子だが、中学まではいかにもオタクな根暗女子、当然運動なんてもってのほか。

 とはいえ得点のチャンス。祐真も固唾を呑んで見守る。

 しかし周囲からあまり期待の掛かってないような様子、ここ最近感じた視線もあって、あまりよくないものを感じた。

 だからだろうか。

 祐真の目にはまるで莉子を揶揄うに投げ込まれ、バットを振っても身体をよろめかすように空振りし、肉薄しすぎたボール球には仰け反り過ぎて尻もちを付く。そんな莉子の姿に周囲からは失笑が漏れる。

 涼香だけが声援を送る中、その事件が起こった。

 きっかけは教室のどこかで「あっ」という逼迫した声。

 グラウンドは顔を庇うように倒れ込む、デッドボールから庇ったかのような莉子。

 窓際の席を中心に「おい、あれ」「うわ、大丈夫か?」といった騒めきが起こり、校舎全体へとさざ波の様に広がっていく。

 涼香は真っ先に試合を放棄して莉子のもとへと駆け寄っていった。

 ピッチャーは動揺しているのかその場で立ち尽くし、オロオロしている。故意に起こされた事件じゃないというのが幸いか。

 しかしあまりの痛みに莉子は立ち上がれず、その場で倒れ込んだまま。

 騒ぎは中々収まらない。

 教師も「静かに!」「授業中だぞ!」と窘めるも焼け石に水。

 窓際以外の生徒も騒ぎから何事かと思って立ち上がり、晃成もまた彼らと同じようにグラウンドの様子を目にするなり――「莉子!」と叫んで教室を飛び出した。


「おい、晃成!」


 少し遅れて祐真も親友の名前を叫びながら後を追いかける。

 程なくして鳴ったチャイムと教師の「おい、倉本に河合!」という声に背中を押される形で廊下を全力疾走、階段を三段飛ばしで転がり落ちるように降りていく。

 丁度昇降口に差し掛かった頃、涼香に付き添われる形で校舎に入ってこようとする莉子を見かけた晃成は、上履きのまま外へと飛び出し、有無を言わさず莉子を横向きに抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこだ。


「ちょ、晃成先輩!?」

「保健室行くぞ、莉子」

「いやいやいや歩けます、歩けますって! ぶつけたのは足じゃなくて手ですから!」

「いいから!」

「もぉ、見られてますって!」

「知るか!」


 恥ずかしそうに暴れる莉子を、物ともせず抱きかかえる晃成。まるで嵐のように保健室へと駆けていく。

 あっという間でやけに目立っていた。そして祐真と涼香にとっても予想外の行動だった。

 突然のことで唖然としているのは祐真と涼香だけでなく、周囲も同じだ。

 2人の姿が見えなくなるなりにわかにざわめきを取り戻し、「え、今の何!?」「お姫様抱っこって初めて見た!」「やーん、うちもあんな風に駆け付けてくれるカレシ欲しー!」「てかあの2人って付き合ってんの!?」といった声が聞こえている。

 そのほとんどが驚きややっかみ交じりの羨望といったもの。果たして大々的にあんなことをして、周囲からどう思われることか。


「お兄ちゃんったら、もぅ!」

「何やってんだよ、あのバカ!」


 祐真と涼香は毒づく言葉とは裏腹に、やけに眩しそうに目を細め顔を見合わせ、愉快そうに笑った。


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