第10話 どうよ?


 涼香を前にすると、冷静でいられなかった。

 だからその日の放課後も顔を合わせまいと、晃成には適当に言い訳をして家へと直行した。

 適当に鞄を放り投げ、ベッドに仰向けで倒れ込むようにして身を投げ出し、「はぁ」と漏れ出たため息が茜色に染まった部屋に溶けていく。

 奇しくもあの時と同じ頃合い。

 嫌でも涼香との交合を思い起こし血を滾らせ、さりとてそれを慰める気にもならない。しても虚しいだけだろう。


「……くそっ」


 思考はどうしようもなく肉欲に支配されていた。

 さすがは思春期の身体、三大欲求というべきか。

 涼香の態度も問題だ。

 あれでは自分に都合よく解釈し、再び身体を求めかねない。

 会話をすべきだとはわかっている。

 しかし今は涼香を前にして、冷静でいられる自信がなかった。


「……どうしろってんだよ」


 いくら考えても答えは出ない。

 それにこれからのことを考えると憂鬱だ。

 涼香という少女は祐真の日常に深く根ざし過ぎている。それだけ身近なのだ。

 とにかく時間を置くべきだと判断した。問題を先延ばしにしているのは百も承知。

 祐真は緩慢な動きでスマホを手繰り寄せグルチャを呼び出し、言い訳を書き込んだ。


《明日から当分、委員で忙しい》



 涼香たちと出会わないよう朝は2本早い電車に乗って登校し、昼はチャイムと同時に抜け出す。避難先は図書室だ。放課後は一目散に帰宅。

 そんな日々が数日続く。

 意図して避けているとはいえ、こんなにも顔を見合わせないことを驚くと共に、後ろめたさも募っていく。メッセージも何通か届いているものの、開けてもいない。逃げている自覚はあった。

 図書委員の仕事はさほど忙しいものではない。

 精々受付で暇を弄ぶくらいだ。それさえ真面目に出てきている委員は少なかった。

 図書室自体もどちらかといえば自習の為に利用している人が多い。それと、暇つぶしでパラパラと適当に本を捲る人がいるくらいだろう。わざわざ本を借りてまで読む熱心な生徒は稀らしい。

 そんな中において、紗雪は熱心な委員といえた。それから純粋に読書が好きなのだろう。

 祐真が図書室に顔を出せば、受付で読書している姿をよく見かけた。

 本に夢中になっているのか、それとも他人に興味がないのか、どちらにせよ図書準備室に入り浸る祐真を咎めるわけでなく、また積極的に話しかけてこないのはありがたかった。

 この日の朝の祐真も、受付で本を読んでいた紗雪に「おはよ」と声を掛け図書準備室へ。

 指定席になりつつある一画に腰を下ろし、開けっぱなしにしたままの扉から紗雪の後ろ姿を視界に納めながら、退屈しのぎに適当にそのへんにあった本を手に取り眺める。それは映像化もされたことがある、京都を舞台にした狸の話の本だった。

 最初はなんとなく文字を追うだけだったのだが、いつしか物語に引き込まれ、そのコミカルな内容に思わずふふっと吹き出してしまう。

 するとそのことに気付いた紗雪が、珍しく目を爛々と輝かせながら話しかけてきた。


「それ、面白いですよね!」

「あぁ、狸ならではの考えに行動、そのくせどこか人間臭いところがなんとも。あと読んでると無性に京都に行きたくなるね」

「わかります! その作家、他にもよく京都が舞台の作品を書いてるので、余計に」

「へぇ、そうなんだ。おススメとかある?」

「そうですね。並行世界を渡る大学生とか、街にペンギンの群れが現れるSFっぽいものとか……あ、独自に解釈した日本文学のパロディなんかも――」


 祐真に訊ねられた紗雪は、水を得た魚の様に嬉々として次から次へとおススメを語りだす。かなりの饒舌だった。

 今まであまり会話するイメージがなかっただけに新鮮だ。それだけ本が好きなのだろう。

 ついに身振り手振りまで使って話し出す紗雪を見れば、なんだかおかしくなって、思わずクスリと笑いを零し肩を揺らす。

 すると紗雪は我を忘れて熱弁を振るっていたことに気付き、恥ずかしそうに頬を染め、肩を竦めて俯く。


「知らなかったな、上田さんがこんなに熱くなるものがあるだなんて」

「あぅぅ、お恥ずかしい真似を……」

「いやいや、そんなことないって。何かに夢中になれるものがあるってのはいいことだよ」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 驚きはしたものの、そんなに恥ずかしがることもないのにと苦笑する祐真。

 そしてあることに気付き、「ぁ」と小さく声を上げる。

 今度は紗雪がどうしたんですかと、キョトンと小首を傾げ顔を覗き込む。


「あぁいや、やっぱり話さないとわからないことがあるなって」

「…………それって、倉本くんのことですか?」

「っ!」


 紗雪が恐る恐るといった様子で、気遣わしく訊ねてくる。

 祐真は彼女の口から晃成のことが飛び出したことに、目を何度かしばたたかせた。


「……よく、わかったな」

「それはまぁ、昔からよく一緒でしたから。それに最近の倉本くんはえっと、すっかり印象がガラリと変わったと言いますか、それで何かあったのかなぁ、と……」

「あぁ……」


 どうやら晃成のイメチェンは紗雪のクラスでも噂になっているらしい。

 そして祐真が図書準備室に籠っているとなれば、何かあるのかと考えるのは当然か。

 紗雪はそんな祐真のことをわかった上で、何も聞かず見守ってくれていたらしい。その心配りがありがたい。

 もっとも、問題は晃成でなくその妹の涼香なわけなのだが。

 とはいえ、この数日で幾分か頭も冷えてきた。

 それにあまり引き延ばすと、話す切っ掛けも見失うというもの。


「そうだな、ちゃんと話をしてみるよ」

「はい、それがいいですっ」


 祐真がそう答えると、紗雪は胸の前でグッと、両手を握りしめる。どうやら背中を押してくれているらしい。

 そんな紗雪に祐真は笑顔で返すと同時に、受付の方から「おーい!」と呼ぶ声が聞こえてきた。


「……晃成?」

「よ、祐真。来たぜ」

「わざわざこんなところまで。どうしたんだ? まさか本を借りに来たとか?」

「河合先輩、あの晃成先輩がそんな殊勝なことするわけないじゃないですか~」

「うっせー、莉子!」


 隣の莉子が茶々を入れれば、自然と笑い声に包まれる。

 晃成とも久々に話したが、本当いつも通りで、内心ホッと胸を撫で下ろす。

 しかし、肝心の涼香が居ないことにも気付く。どうしたのだろうか? 祐真は眉を寄せて訊ねた。


「あれ、涼香は? 一緒じゃないのか?」

「いやぁ、それなんだけどさ」

「そうそう! すずちゃんのことで来たんですよ!」

「涼香の……?」


 2人の物言いに、ドキリと胸が跳ねる。

 心当たりがない。まさか涼香があのこと・・・・を話したからだろうか?

 いや、それにしては何か悪戯を思い付いたかのような顔をしており、そぐわない。

 困惑が深くなっていく。


「おーいすずちゃーん」

「出てこいよ、涼香ー」


 莉子と晃成が入り口の方へ声を掛けるものの、何か動く気配はすれど、出てくる様子がない。

 やきもきすることしばし。

 早々に痺れを切らした莉子が「もぅ!」と呆れた声と共に駆け寄り、手を引いてくる。そして照れ臭そうに現れた涼香の姿に、祐真は瞠目せざるをえなかった。


「……よっす」

「…………え」


 目の前にいるのは、涼香であって涼香じゃなかった。

 今まで地味だった黒髪は明るい色へと変化しており、ふわふわと波打っている。制服も少し着崩され、胸元から覗く鎖骨や、短くなったスカートから伸びる太ももが艶めかしい。香水なのか、少し甘い匂いが鼻腔をくすぐり、頭がくらくらしてしまう。

 そんな垢抜けて華やかなで可愛らしい女の子に変身していた。まるで別人だ。脳の処理が追い付かず、現実感も乏しく、思わず疑問が口を衝いて出る。


「どう、して……」

「なんか涼香の奴、急に自分もイメチェンするって言いだしてさ」

「河合先輩、どうです? すずちゃん、めっちゃ可愛くないですか!?」


 盛り上がる2人とは控えめに、涼香は指先で髪を弄りながら、頬を染め少し自信なげに訊ねてくる。


「ゆーくん、どうよ?」

「……すごく、いいです」

「そ、そっか」


 すると、今だ混乱の中であってもスルリと出てきた祐真の本心に、涼香は花咲くような笑みを見せ、ドキリと胸を余計にざわつかせるのだった。



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