第9話 何やってんだ、俺
紗雪と手分けをしつつ、ブックトラックにある本を4割ほど返し終えたところで予鈴が鳴った。
「手伝ってくださり、ありがとうございます」
「同じ委員なんだし、気にしないで」
祐真は律儀に頭を下げる紗雪になんとも曖昧な笑みを浮かべ、それぞれの教室へと別れる。
ともすれば後ろめたさが絡みつき重くなる足を、それらを振り払うかのように早足で向かう。
それでも無心で作業に没頭したこともあり、少しばかり冷静さを取り戻せてはいた。
教室に入るなりこちらに気付いた晃成が、手を上げて話しかけてくる。
「よ、祐真。遅かったな、何してたんだ?」
「委員の仕事。図書室で本の返却作業」
「ふぅん、本当に用事あったんだ」
まぁ、嘘は吐いていない。晃成は鼻を鳴らし納得すると共に振り返り、会話に戻る。
晃成と何を話していいか分からなかった祐真は、胸を撫で下ろす。
席に鞄を置きながら周囲をぐるりと見渡せば、教室の中は昨日に引き続き、恋バナの色に包まれていた。大方、晃成がデートに来ていく服をあちこちで聞いたのだろう。
今も晃成は普段は関りのない、オシャレに敏感な女子たちのグループと話している。
彼女たちの言葉の端々から晃成を揶揄い、弄るようなものを感じ、眉を顰めてしまう。
その晃成はといえばおちょくられている自覚がないのか、照れたように頬を染め頭を掻いていた。もしくは、そのことが気にならないほど必死なのだろうか?
誰かの恋バナというのは、娯楽じみた側面もあるのだろう。晃成は祐真同様、これまで目立つようなキャラじゃなかった。
昨日今日で髪をガラリと変え、服がどうこう口にすれば、興味を引くなという方が難しい。
とにかく、それだけこの腐れ縁の親友は先輩のことが本気なのだろう。
そんな光景が休み時間の度に繰り広げられ、晃成に話しかける相手は男女問わず増えていく。
最初は面白半分だった彼らも、いつしか晃成の真摯さに打たれ、ちゃんと応援しようと空気が醸成されていった。
(……)
その光景を遠巻きに見ていた祐真は、かつてのことを思い返し渋面を作る。
やはり彼らの様に、恋バナに熱を上げる気にならない。
恋愛に対する忌避感じみたものが胸にあった。誰かと付き合いたいという気持ちがわからない。
そのくせ、付き合った後にする行為については人並み以上の欲求があった。昨日あんなことがあったら、あの快楽を知ってしまったから、今までよりも強く。
沸々と涼香の感触を思い返し、ゴクリと喉を鳴らす。最低な自分の味がした。
◇
昼休みになった。
いつもなら晃成と購買や学食に繰り出すところだが、今日の親友は色々忙しそうだ。現に今も恋バナ好きの女子グループに話しかけられている。
さて、どうしたものか。
祐真が手をこまねいていると、廊下から聞き慣れた声が投げかけられた。
「晃成せんぱーい、来ましたよーっ」
莉子だった。どうやら今朝のことで約束をしていたのだろう。こうして教室にまでやってくるのは珍しい。中学時代でも数えるほどだったし、高校では初めてだろうか?
彼女の登場ににわかに教室が騒めきだし、「あの子可愛い、1年?」「倉本くんの名前読んでるけど、もしかして……」「もうちょっと身長ある方が」「隅に置けねぇ」といった囁き声が各所から聞こえてくる。
なるほど、それもそうだろう。
入学を機にイメチェンを果たした莉子は、今やふわふわで垢抜けた華やかな女の子。
こうして注目を集めるのは以前を知っているだけに多少驚きがあるものの、納得するものがある。
そんなクラス内の反応に、莉子自身も驚いているようだった。
ビクリと肩を震わせ、キョロキョロと落ち着きなく周囲を窺う。
するとそんなクラスの反応に気付いていない風の晃成は、莉子の訪問に気付くとニカッといつもの人好きのする笑みを浮かべて大きく手を振り、そして話しかけられていた女子陣に断りを入れた。
その際、晃成と話していた女子たちが残念そうな顔をしているのを、莉子は見逃さなかったようだった。
莉子は目を大きく見開くも一瞬、にこりとどこか挑発するような小悪魔的な笑みを浮かべ、先ほどのおどおどした態度はどこへやら、臆することなく教室へと踏み入り強引に攻勢の腕を掴む。
「早く行きましょ、ほら」
「おい、莉子っ! ……ったく。祐真、行こうぜ」
「……あぁ」
莉子に引き摺られる形の晃成に苦笑を零し、後に続く。
そして祐真は廊下に出ると、呆れた様子で待ち構えていた涼香を見て、足を止める。
いや、居て当たり前なのだろう。
莉子と涼香は、祐真と晃成のように、いつも一緒にいる親友なのだから。
だけど、今の祐真にとっては不意打ちだった。
「りっちゃん、わざわざ教室にまで入らなくても」
「だ、だって、ぐずぐずしてる晃成先輩が悪いんだもん」
「悪ぃ、悪ぃ。色々意見聞いて回ってたからさ」
「ふぅん、珍しい。てか、柄にもない」
「ま、キャラじゃないのは自覚してるさ」
祐真は目の前のそんなやり取りを一歩引きながら眺めていた。
やがて晃成が「腹減ったし、早く食堂行こうぜ」といって先頭を歩きだす。
莉子は少し不機嫌そうに、晃成には聞こえない声量で呟く。
「……私に任せてって言ったのに」
そんな莉子の不貞腐れるような顔を見てくすりと苦笑を零した涼香と、目が合った。
すると途端に胸では様々な感情と思考、欲望が渦巻きだす。
何を話せば? 身体の調子はもう大丈夫? 何事もなかったかのように晃成の話に加わる?
考えは中々纏まらず、そのくせ何かの拍子に昨日の涼香の痴態を思い出しそうになり、「……ぇ」「……ぁ」としどろもどろに母音を漏らす。気まずさだけが加速する。
やがてその場に立ち尽くし、涼香と莉子も食堂に向かいだすも、付いて来ない祐真を不思議に思ったのか、声を掛けた。
「ゆーくん?」
「どうしたんです、河合先輩?」
「っ! あーその俺、先に今朝の用事をしなきゃを思い出したから!」
「え!?」「あ、ちょっと!」
咄嗟にそれだけを言い捨て、2人の驚く声を置き去りに、逆方向に走る。
ただただ顔を合わせない場所はどこだと探し、校舎の隅にまで来たところで、非常階段が目に入った。
数拍の躊躇いの後、こっそりと鍵を開け、重たい鉄扉をこじ開け身を差し込むと同時に、ずりずりと預けた背中からその場に座り込む。
そして青々とした空を憎々しげに眺め、自らを嘲るように嗤った。
「何やってんだ、俺」
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