第13話

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 帰りの馬車の中で、メアリは「私が悪魔を召喚したら何が現れるのだろう」と気になった。細心の注意を払うには、道具を揃える必要がある。



「一番拘束力の強い召喚陣を書くには、アイオダーク鉱石に聖顔料と特殊な調合油で着色したチョークが必要だと言っていました」



 いずれも、非常に希少性の高い素材だ。



「調達致しますか? お嬢様」

「えぇ。お願いします」



 帰って食事と入浴を済ませてから部屋へ戻ると、既に指定の材料が綺麗な小箱に収納された状態で置かれていた。こういう時、彼女は王族の力を実感する。



「さて……」



 素材に自らの血を混ぜて特殊なチョークを作り出すと、地下室へ潜って床へ教わった召喚陣を大きく書いていく。

 複雑な模様と文字の羅列であるが、メアリに掛かれば暗記など造作もない。



「クェイ・ケラン・スクルオル。悪魔さん、来てください」



 杖を振って召喚陣へ魔力を込めると、クロードの時とは比べ物にならない赤い雷電が部屋中へ駆け巡り、バチバチという音ともに竜巻を伴って中心へ悪魔が現れた。



「……へぇ、面白いねぇ」



 それは、山羊の角に猛禽類の頭、黒い毛の生えた女の体に翼。そして、巨大で獰猛な爪と尻尾を併せ持った二足歩行の悪魔であった。



「初めまして、悪魔さん。私はメアリ・ド・パティオラムです。あなたの名前を、教えていただけますか?」

「あんた、儂を見ても驚かないんだね」

「驚こうにも、私は悪魔について詳しくありません」

「そうかい。無知も、それはそれで自己防衛に繋がるワケさね。儂の名はラプラスだよ。司るのは、結果さ」



 ラプラスの悪魔。



 すべての力学的、物理的な状態を完全に把握する悪魔。その把握力は未来を含む宇宙の全運動にまで及ぶ。つまり、この世界で起こるすべてを知っているという存在だ。



 しかし。



「……ラプラスの悪魔って、数学的な概念の呼称ですよね」

「あんたの願いと魔力が、並の悪魔を凌駕したってだけの話さ」



 クスクスと不気味な笑いを浮かべたラプラスは、翼を小さく折りたたんで置いてあった椅子に座り足を組んだ。



 メアリには、それがこの世ならざる程に官能的で淫靡な仕草に見えた。

 女である彼女にそう見えたという事実が、既に普通ではない力がこの部屋へ蔓延しているという危機を伝えてくれる。



「それで、なぜ儂を呼んだ? 何が知りたい? 儂は、何でも知っているぞ」



 ゴクリ。生唾を飲み込んで拳を握る。



「レトリバー学院の名誉教授、クロード・カミュの未来です」

「へぇ、クロード・カミュ。興味深い名前が出たね。お前、あの特異点のなんなんだい?」

「特異点……?」

「その男、13日後に死ぬんだよ。世界が、新たなる結果へ向かって再び大きく動き出す」

「……へ?」



 突拍子もない宣告に、メアリは腰を抜かして床へヘナヘナとヘタれ込んでしまった。才能が有るが故に、彼女は現実を受け入れない、理解出来ないという状況を認められない。



 あんまりだ。ほとんど、時間など残っていないではないか。



「う、嘘ですよね?」



 初めて出会った素性の知れない悪魔の、それも何の信憑性もない発言だが、何故かラプラスの言葉には『真実』を確信させる超常的な魔力があった。メアリは、生まれて初めて自分の考え方を信じられなかった。



 間違っているハズなとないのに。



「嘘だったら、儂に何か得があるのかい?」



 ……もう、決定的だ。



 何故なら、ラプラスは悪魔なのだから、御しきれず裏切るならばメアリにとっての悪であるハズだ。



 そして、「クロードは生きていられる」と嘘をつく以上に来たる瞬間の絶望を与える術はない。準備の期間を失わせる以上の悪が存在していない。



 だから、言葉こそが真実であるという悪魔の証明を、メアリは瞬時に理解してしまったのだ。



「……運命を回避する方法は」

「ないね。世界には、因果律によって決定付けられた事項というモノが存在する。奇病は可能性の一つでしかなく、仮に防いでも他の方法で結末は訪れる。おまけに、こいつの一族の嫌われ方は異常だよ。確実に死ぬね」

「どうして、先生がそんな目に……っ」

「理由なんて、とうの昔に失われているよ。こいつ個人に罪などない」



 あまりの理不尽にも、怒りが悲しみに追い付かず声を上げることすらできない。そこにあるのは、確かな絶望だった。



「まぁ、あんたのように膨大な幸運を持って生まれる人間がいるように、その逆がいるってだけさ。謂わば、均衡のバランサーなんだよ。あの男は」



 ――少なくとも私の生徒が生きている間くらい、今の平和な世界が続いていて欲しいと思ってる。



「……そう。知っていたのですね、先生」



 ずっと、違和感があった。



 もしも平和を保ちたいのなら、論文をメアリに見せる理由が一つもない。

 もっともらしいことを言っていたが、何より安全なのは彼自身が抱えていることだ。彼が本気で世界に嘘をつこうとすれば、いくらでも方法はあったハズなのだ。



 ならば、明かした理由は一つ。彼は、自分に未来がないことを知っていた。彼が託した命運とは、彼の未来なんかじゃ決してなくて。



 私が、王になる女だから――。



「あぁ……っ」



 悲しさよりも、自分の情けなさが悔しくて涙が止まらない。何が天才か。どれだけ破壊する力を持っていたって、何よりも大切な男性ひとすら救うことが出来ないではないか。



 決意を固めさせて何もしなかった後悔を抱えないように、救われていたのはまた自分だったではないか!



「……っ」



 自分には、何も出来ない。現実が、彼女の心を押し潰す。



 彼のいる時間だけを切り取って、いつまでもその中にいさせて欲しいと、心の底から思った。

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