第12話

 012



 放課後、研究棟。



 今朝、魔法により精神的な躾を受けたクロードが、受け持ちの授業を終わらせて研究室へ戻ってきたのは夕方。

 フラフラの状態で椅子に深く腰を下ろすと、ブランデーに紅茶を数滴垂らしただけのカップを啜り溜息をついた。



「腹が減った」



 一番近くにあった缶詰をキリキリと開き、フォークで力なく口へ運ぶ。そうして何度か咀嚼を繰り返していると、コンコンと小さなノックの音が部屋に響いた。



「どうぞ」

「失礼しまぁす。あ、何食べてんのぉ? せんせ」

「やぁ、モモ君。これは、オリーブオイルとバジル漬けの蛸缶だね。私の好物だよ」

「あー、おいしいよねぇ。ボクもバター溶かして食べたりするよ〜」



 そう言って、少女は人懐っこい無垢な笑顔を浮かべるとさも当然のようにパイプ椅子を引っ張ってクロードの斜め前に座った少女は、「ん」と呟き紅茶を要求した。



「王城風かい?」

「うん、ミルクたっぷり」



 立ち上がるのも足が痺れるくらい疲れていたから、クロードは椅子に座ったままで紅茶を淹れてクルリと反転し彼女へカップを渡した。



 生徒とはいえ、決して貴族への礼儀を忘れないクロードにして珍しい無作法である。



「おいし〜」



 しかし、それもそのハズ。彼女、モモ・ルメールは貴族の娘ではない。



 クロードと同じ平民出身にも関わらず、レトリバー魔法学院への入学を認められた異端児。更に言えば、メアリと双璧を成す才能を持つ天才である。



 桃色の緩い長髪を二つに結び、同じく桃色でいつも眠たそうな瞳。やや大人びた顔つき。身長は、164センチ。

 気だるげな喋り方と佇まい、着崩した制服は彼女のラフな生き方を象徴している。彼女もまた、メアリ同様あのスピーチでクロードに憧れた少女の一人なのだ。



「それで、今日は何の用かね」

「んっとねぇ、ケアーン遺跡の民族魔法について調べたいの。資料読むのダルいし、せんせにお話してもらおうかなってぇ」

「悪魔召喚か。そいつは、不気味がられる魔法の筆頭だ。証拠に、実技のカリキュラムにも含まれていないだろう」

「いいの。せんせの魔法、使ってみたいもん」



 実をいうと、悪魔召喚は才能のないクロードが使える唯一といっていい黒魔法であった。研究費の出ない中で何とか人手を作ろうと考えて、彼は発掘したケアーンの悪魔召喚を再生していたのだ。



 無論、彼が召喚できるのは低級の悪魔のみだが。



「そうか。なら、少し準備をしよう。待っていたまえ」



 クロードが準備をしている間、モモは眠たそうな目でじっと彼の横顔を眺めていた。他の生徒と違うのは、彼ではなく彼の手先を眺めていることだ。



 モモがいつも眠たそうなのは、元々魔力量や血統に秀でていなかった彼女が、それでも魔法という手段に活路を見出す為の制約を課している為である。



 その制約とは、幸福の抑制。



 彼女は、人の持つ七つの大罪を極限に沈静化させて幸福を得る術を失う代わりに、天才と並び立つほどの魔法の才を得ているのだ。



 無論、そんな制約は誰にでも課せるワケではない。即ち、幸福を抑制するという手段を持って生まれた事こそが、彼女が天才と呼ばれる理由なのだ。



 ならば、彼女は唯一クロードに恋をすることもない。そんなことが態度で分かるからか、クロードも真摯に彼女の学びの姿勢を受け入れるのだ。



「ご機嫌よう、クロード先生」

「やぁ、メアリ殿下。悪いが、扉を開けっ放しにしていると魔力感知が発動するから閉めてくれるかな」

「は、はい。申し訳ございません」



 扉を締めて中へ入ると、ヒラヒラと手を降る桃髪の女生徒が目に入った。淑女として頷き挨拶をするも、胸中では「誰なのよ!」とメラメラ嫉妬を燃やしてしまう。



 そのカップは私のですと、口を出かかったが黙って一歩クロードの方へ近寄り彼がチョークで描く魔法陣を眺めた。



「何が始まるんですか?」

「悪魔を呼ぶ。世にも珍しい、クロード・カミュが送る実技の課外授業だ」

「……その方の為に?」

「あぁ。殿下にとっては、少し退屈な内容かもしれないが。受講していくかね?」

「そんなことありません。もちろん受けます」

「よろしい、では座りたまえ」



 言われ、クロードの椅子に座って鞄を地面に置くと、モモが自分の顔をマジマジと見ていることに気が付いた。眠たそうな眼からは、感情は読み取れない。



「それでは、授業を始めよう。ケアーンとは、大陸の東に位置するチャウチャウ帝国の辺境に根付いていた民族の総称だ。彼らの村だった遺跡から発掘されたのが、この悪魔召喚陣というワケだな」



 そして、クロードは個人が捧げられる魔力に応じた悪魔が召喚されること、悪魔は必ずしも従順ではないこと、緊急時の強制送還には相応の対価が必要なことを教えた。



「では召喚しよう。クェイ・ケラン・スクルオル。おいで、ガーゴイル」



 杖を降ると、青白い光がバチバチと輝き風が渦巻いて召喚陣の中に一体の小さな悪魔が現れた。

 角を持つ獣の頭に、岩のような二つの翼と小さな体。すぐに滞空して部屋をグルリと見回し、クロードへ訝しむような目を向けた。



「なんでぇ、クロード。いつもみてぇな遺跡じゃねぇじゃんか。なんかオレの体も小せぇしよぉ」

「今日は、生徒への教育に協力して欲しくて呼んだんだ。悪いな」

「へぇ、この小娘どもがお前の学院の生徒か。ほーん」



 ガーゴイルは、興味津々といった様子でメアリとモモを眺めた。二人も、ゴクリと唾を飲み込んで観察している。



「クロード、お前と同じでブッサイクだな。好みじゃねぇや」

「まぁ!?」

「むぅ……」



 いきなりの言い草に、多少なりとも美貌に自信のある少女二人はプリプリときてしまう。しかし、ガーゴイルの感性ではそう見えてしまうのだから、仕方ないといえば仕方ないのだ。



「……とまぁ、私が召喚出来るのはご覧の通り低級の悪魔だ。他にも、ゴブリンやインプなどが挙げられるな」

「ベルゼブブの旦那やルシファーの頭領を呼んだって、召喚者が呑まれちまうだけさ。人間と仲良くやれんのは、オレたちバカ共だけなんだよ」

「これは、本当の話なのですか?」

「あぁ。実際、ケアーンの滅びた理由は他国への侵略に上級悪魔を召喚して従えられず、送還対価を支払えなかった事だとされている」

「ふぅん、そっかぁ。なら、ボクもガゴちゃんくらいの子でいいかなぁ」



 ガゴちゃんと呼ばれて、モモとメアリに頭をナデナデされたガーゴイルは何だかんだ言って嬉しそうであった。クロードとは違う愛され方に、一抹の喜びを覚えたらしい。



「かわいいかも」

「そうですね、憎まれ口も許せてきました」

「へへ、恥ずかしいけど悪くねぇ気分だったぜ。またなんかあったら呼んでくれや」



 そして、ガーゴイルは召喚陣の真ん中へ飛び込むと初めからいなかったかのように跡形もなく消えた。どうやら、使役する力が足りていないと悪魔の気分次第でも帰ってしまうらしい。



 もちろん、クロードはそれも込みで人間らしいガーゴイルを召喚したのだ。



「では、次の内容に移ろう。召喚陣には幾つかのバリエーションがある。最も使いやすいのは、私が使った拘束力の弱い陣だな。こいつだけが、ただの石灰のチョークでも効果を発揮するのだよ」

「ふむふむ」



 こうして、クロードは二人に悪魔召喚の授業を施した。外は、既に夜になっている。



「ところで、モモさんはどちらに住まわれているのですか?」



 自己紹介を終え、互いを知った少女二人は立ちっぱなしで研究資料の整理をするクロードを横目に雑談を繰り広げていた。



「お姫様ぁ、出来ればボクみたいな平民に丁重な言葉を使わないで頂きたいです。その、ボクって社交的な作法も口調も知らなくて、とても申し訳ないのでぇ……」

「別に、モモは自然で構いませんよ。改めて、お家はどこに?」



 すると、モモは眠たい目のままでニコリと笑った。



「あ、ありがとう。今は学院の寮だよぉ。故郷は北のバセット辺境伯様が統治してる町ぃ」

「あの辺りは、山並みの景観が美しくていいところですよね」

「お姫様がそう思ってくれてると、なんか嬉しいなぁ。空気が澄んでて、星も近いから凄く綺麗に見えるんだよぉ」



 言われ、バセット領には星詠魔法の文化が根付いている事をメアリは思い出した。土地柄によって扱う魔法に違いがあるのが、なんとも文化的で面白い。



「こんばんは、クロード先生。蟹缶とお酒を……。あら」

「あれぇ、アテナ先生。こんばんはぁ」

「ご機嫌よう、アテナ先生」



 いつものように突如現れて、「しまった」という表情を浮かべるアテナへ、クロードは一瞥をくれたあとに戸棚の方を指さした。目覚めているメアリの前からはすぐに消えたかったが、それも不自然なので誘われた通りに缶詰を奪う。



「……こ、こんばんは。あの、クロード先生。その、昨日のお詫びに参りまし……。えぇ……?」



 続けて、時間の都合に気を使ったのか。心の底から申し訳無さそうな暗い顔で現れたルーシーが、素っ頓狂な声を上げて周囲を見渡した。



 三人も彼女を見て、「一体何が起きているんだ?」と思案している様子である。



「ルーシーか。どうやら落ち着いたみたいだな。安心したよ」

「その、すみませんでした……。あたしが間違っていたんです……」



 焦燥感と罪悪感に押し潰されて、周囲も見られずルーシーが想いを口にした瞬間。クロードは、彼女の唇に人差し指を当てて黙るように促した。



「いいんだ」

「せ、先生……」



 当然、そんなやり取りを見せられて天才である少女二人が深読みをしないワケがない。僅かに残る彼の痣の正体が分かってしまう。



 おまけに、事情を知っているアテナは「だから面倒な事になるんだろうがよ!」と悪態を思いつつ、立ち去ればそれはそれでヤバそうだと思いキリキリと蟹缶を開けた。



 彼女も彼女で、お人好しなのだ。



「生徒諸君、用が済んだのなら帰りたまえ。アテナ先生と打ち合わせがある」



 もちろん、そんな約束はないワケだが。生徒たちも、そんなことを言われてしまえば大人しく従うしかない。



 鞄を持って研究室を後にすると、それぞれ自己紹介を済ませて正門までテクテクと歩いていった。



「あたし、また誰かを好きになれるのかな……」



 ……なるほど。



 ルーシーがポツリと零した言葉に、メアリは余裕を取り戻して優しく寄り添う。



「大丈夫よ、きっと素敵な人に出会えるから」

「ボクもそう思うよ、恋とかよくわからないけど」



 私たちは、きっといい友達になれる。



 そんなことを思わせる出会いが、偶然の積み重なりによって引き起ったのだった。

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