第6話

 006



「あら、クロード先生。女生徒と密会なんて、お熱い事ですね」

「やぁ、アテナ先生。出来れば、ノックくらいして欲しかったな」

「したわよ、雷のせいでかき消されたの。それより、お酒と蟹は……。えっ?」



 アテナは、彼の膝で眠っている女生徒の姿を見て驚愕した。何故なら、それが他の誰でもないメアリ姫だったからだ。



「心配がなくなったせいか、すっかり眠ってるんだ。静かにしてやってくれ」

「まったく。あなた、何てことをしているのよ。相手はこの国のお姫様なのよ?」

「それなりに、自分のやらかした罪の大きさは把握しているつもりだ。捕まったって仕方あるまい」

「なら、何故?」

「彼女が、私の生徒だから」



 頭を撫でるクロードを見て、アテナは壁に寄りかかった。



「……まぁ、あなたが自分から女に手を出すなんて天地がひっくり返ってもあり得ないでしょうし。別に変な想像をする気もないけど」

「そうか」

「殿下って、そうだったのね。私としたことが、全然気が付かなかったわ」

「私も知らなかったよ。まさか、嵐が怖いだなんて」



 それは気絶なのでは?というもっともなツッコミはさておき。



 あまりにも当事者意識のないクロードを見て、アテナは彼のグラスを奪い煽って静かに口を開いた。女として、少しイラッとキた様子である。



「知ってる? 王妃様は元々平民だったって。公式の記録は抹消されているけど、私のお父様が教えてくれたわ」

「へぇ、そうだったのか。流石、作戦本部の参謀閣下殿は法王様からの信頼も厚いな」

「面白いのはここから。実はね、法王様のお母様も、その前の法王様も。その前もその前もその前だって。ずっと、王家は平民と結婚して歴史を紡いでいるらしいの」

「妙な因果だな。まるで、夢物語だ」



 聞いて、アテナはあんぐりと口を開き肩を落とした。



 この期に及んで察しがつかないだなんて、その未来を見通す力を少しくらい身の回りに向けるべきだと酷く辟易してしまったようだ。



「本っ当におバカな人ね。私が言ってるのはね、クロード先生。あなたが、その夢物語に片足を突っ込んでるって事よ。自分の状況を分かってる?」

「お叱りは受けるだろうが、アテナ先生の口ぶりは大袈裟だろう。何が言いたいんだ」

「そんな目先の話じゃない。分かる? あなた、メアリ殿下の王子様になってるのよ」



 瞬間、クロードがメアリを撫でる手が止まった。部屋に響いているのは、少しうなされたような彼女の小さな寝息だけである。



「そうか、王子様か。なるほど」

「えぇ。あなたを見ている女は、一人残らずあなた以上にあなたを知っているわ」



 言って、アテナは栓を開けたばかりのウィスキーのボトルと蟹缶を取ると、動けないクロードへデコピンして腰に手を当てた。



 もちろん、彼はバツの悪そうな表情でメアリを見つめる事しか出来ない。



「もう三十路でしょ? 少しくらい、自分の未来の事を考えてもいい頃よ」

「好きで三十路になったワケじゃないぞ」

「こら」



 冗談を叱られてしまえば、最早アテナの言う言葉の意味を考えない道は無い。



 だから。



「少し、一人にしてくれ」

「分かったわ。これは助言料として貰っておくわよ。お姫様を虜にした責任、ちゃんと取ってあげなさい」



 彼女は、扉を開いて一歩踏み出す。しかし、自らへ意識を向けたクロードは、歩くよりも早く彼女との歴史を思い出して口を開いた。



「なぁ、アテナ君」

「……その呼び方、久し振りですね。何ですか? クロード先輩」

「ひょっとして、君は?」



 すると、彼女は振り返らずに小さく笑い。



「内緒です」



 そう言い残して、部屋を出ていった。



「……まいったな、どうも」



 窓の外を見ると、激しかったせいかすっかり雨風の勢いは収まり雷も止んでいる。静寂をジリリと裂く電話のベルが鳴ったのは、それから10分程経った頃だった。



「もしもし」

「クロード先輩、こんばんは。サクスです、サクス・ジルロン。王妃様の命により、メアリお嬢様をお迎えにあがりました」

「おぉ。サクスか、久しぶりだな。すぐ、殿下をそっちへお連れするよ」



 杖を振り電話を戻すと、メアリの肩を叩いて彼女を起こした。ベルで現に引き戻されていたのか、彼女の寝起きは素直だった。



「お迎えが来だそ」

「……もう少し眠らせて欲しかったです」

「帰って、ベッドでゆっくり眠りなさい」

「先生も一緒に寝ましょう、一人には大き過ぎるベッドです」

「こら、大人を誂うんじゃない」



 正門まで送ると、そこには士官学校時代の後輩であるサクスが直立不動の出で立ちで剣を抱え待っていた。相変わらず真面目な奴だと、クロードは感心する。



「お待ちしておりました、お嬢様」



 しかし、本当はクロードと話をしたいのだろう。やや不機嫌な彼女へ目を向けながらも、チラチラと彼へ意識を配らせている。



 もちろん、クロードは優しくも気の抜けた顔で突っ立っているだけ。守衛の前で、姫を蔑ろになど出来るハズがない。



「それでは、失礼します」

「よろしく」



 馬車に乗り込むと、メアリは走り出す準備が整うまでの間カーテンの裾からクロードを眺めていた。そんな彼女を見ていたサクスは、ゆっくりと走り出した時。



「あの質問してもよろしいでしょうか」



 と、尋ねた。



「どうぞ」

「お嬢様は、クロード・カミュ教授をお慕いなさっているのですか?」



 ……数瞬の間。



「は、はぁ!? ど。うぅ、……えぇ!?」

「いえ、無礼は承知なのですが。そんな目をして彼を見る女性を私はたくさん知ってますので。つい」



 メアリが自分の胸中を明かされたのは初めての出来事だった。故に、心臓が破裂しそうなくらいドキリと緊張したが、同時に「ようやく秘密じゃなくなった」と安堵も覚えていた。



 言わずもがな、アテナの図りで本人にも知られてしまっているのだが。



「……おかしいですよね、私のような女が恋なんて。おまけに、相手は10つ以上も歳の離れた男性ひとなのに」

「とんでもない。私も年上に惚れた経験がございます。青春時代は、必然的に大人へ憧れるモノと愚考致すところです」

「その口ぶり。あなたは、クロード先生の事をよく知っているみたいですね」

「少なくとも、本人よりは知っております」



 夢現に、どこかで聞いたような気がするセリフだった。しかし、これ以上に自らの感情が『好き』を叫んでいる証拠もないと思い、メアリは顔を赤らめる。



 愛してる。



 それしか、言葉が見つからなかった。



「お父様は、許してくださるかしら」

「高度な政治の話は、騎士である私には分かりかねます」

「違います。もっと、根本的な話です」

「……娘の幸せを願わない父親など、この世に存在しないと確信しております」



 こうして、法国の今日は無事に終わった。メアリは、後に残った余韻に身を任せて、弱い雨に霞む光の街の景色を眺め、ゆっくりと目を閉じたのだった。

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