第5話

 005



「殿下、法王様へのご連絡はなさいましたか?」

「電話を貸してください。今宵は満月ですから、今日しか成せない研究の助手を務めると伝えます」

「確かに、月を理由にすれば言い訳も立ちますが。王妃様は、一介の教師と別懇べっこんを持つ事を快く思わないでしょう。第一、越権行為だし私は星詠せいえい魔法など――」

「敬語っ!」



 完全なる二人きりに気を遣われた事で、更にメアリのイライラは加速する。隣で同じ景色を見たい彼女にとって、彼が自分を下に置くことがこの世界で何よりも許せないのだ。



「……そんなに、お姫様扱いは嫌かい?」

「いや!」



 プンスカと怒ってそっぽを向いたメアリを見て、クロードはポリポリと頭を掻いた。

 就業時間を過ぎた後、生まれながらに立場の違う人間を同等の者として扱うのは、平民の彼にとってそれなりに負担となるもてなしなのである。



「……なら、失礼を働くかもしれないけど見逃して欲しいよ。私は、基本的に召使い体質なんだ」

「それは、姫ではない私にも尽くせるということですね!?」

「どうかな」



 もちろん、それは何の意図もなく正位置の意味だ。立場の壁を超えられないという常識を持つクロードの、面倒を押し付けられた事への精一杯な皮肉である。



 しかし、やはりメアリは意味を正しく認識出来ない。普段の彼女ならば、なにか一つくらい気の利いたセリフを返しただろう。



「ならば! 今は私を一人の女として見てください! お姫様扱い! だめですっ!」



 ……その言葉を聞いて、クロードは「法王様共々、王族の考える事はよく分からんなぁ』と思ったが、特に言葉を発することはしない。要領を得ない様子で、買ってきたウィスキーをグラスに注ぎ啜るだけだ。



 当たり前だ、矛盾しかない。



 こんな時間に研究室へ押し掛ける生徒は、いかなる場合でも守衛に引き取ってもらうのだから。居残れる事実が、何よりも姫という立場を強調してるだろうに。



 と、クロードは頭の片隅で考えて言葉を飲み込んだ。



「いいですね!?」

「落ち着きなよ、はい紅茶」

「んぐ……。ど、どうもありがとうございます!」



 反面、メアリの内心はメチャクチャである。自分で何を言っているのかも理解していないのであった。



「君の躍如やくじょに茶々を入れるつもりはないけど、酒と塩分過多は認めて欲しいね」

「ダメです、お酒は少しにしてください。缶詰も火くらい入れましょう」

「ランプは、紅茶用の一つしかないよ」

「私が温めて差し上げます」

「爆炎でふっ飛ばさないでくれよ」

「形状と微温の調整くらい出来ますっ!」



 その同時調整こそがこの上なく繊細であり、ある意味戦術魔法よりも技術のいる活用なのだが。既に多くを会得しているメアリにとっては些事であるらしい。



「上手いもんだ、流石殿下」

「当然です」



 コポコポと煮汁にあぶくが立って食べ頃になり、クロードは鯖缶にフォークを突っ込むと丁寧にカットして一口。表情を変えることなく頷いた。



「……ところで、それっておいしいんですか?」

「百聞はあれこれ、一つどうぞ」



 クロードは鮭缶にフォークを差すと、メアリの口元へ運ぶ。



「は、端ないですよ。こんな…」

「私の好物の味を疑われたままじゃいられないが、フォークは一つしかないんだ」



 そこじゃない!と、思いつつ、メアリはゆっくり口を開けて目を閉じた。缶詰どうこうではなく、食べさせてもらう魅力に抗えない。



 ――パクリ。



「……しょっぱいれふ」



 彼女の繊細な舌では、暴力とも呼べる味の濃さは辛すぎたようだ。そもそも、酒のあてが目的なのだから、紅茶を飲む彼女には仕方ないだろう。



 だが。



「落ち着いてくると、複雑で深い味わいですね」

「だろう」



 多様なスパイスと大量のオリーブオイルて煮付けた魚の味自体はかなり気に入ったらしい。どうにかして、彼のためにサンドイッチへ使えないかと思案する彼女であった。



「さて、仕事の時間だ。殿下はゆっくりしていたまえ。たまには、ぼんやり夜を眺めるのも悪くないだろう」

「助手として残ったことになっているので。少しくらい、例のアーティファクトについてご教授頂けると嬉しいのですが」

「……まぁ、言い訳は必要か。殿下は、核融合反応を知っているか?」

「知っていますが、説明しろと言われると難しいです」



 そして、クロードは簡単な資料を使って核融合について説明をした。



「つまり、あのアーティファクトは空気中から水素の原子核を吸収し、中の大魔力核へ衝突させてエネルギーを生み出しているという事ですか」

「流石、殿下は賢いな。他の生徒じゃ、こうスムーズにはいかないだろう」

「えへへ」



 つまり、現代の魔法が発見されるよりも遥か昔。



 古代人は魔力からだけでなく、魔力と他の物質を融合させてより強力な魔法を、それも無害に生み出していたという事になる。

 遥かに高度で、そして効率的に魔法を扱っていたという歴史の糸口が、あのアーティファクトには隠されていたのだ。



「そして、核融合炉の成れの果てがアーティファクトだとこの論文は主張している。問題は、魔力の核なんてモノをどうやって抽出し、且つ肉眼で確認出来るほど大きく精製したのかという話なんだ。その方法については、論文もあくまで推測でしかない」

「……あの、一ついいですか?」

「なんだい?」

「その論文、書いたのってクロード先生ですよね? 何故、提出した自分の論文を自分で証明しようとなさってるんですか?」



 あっさりと看破されて、クロードは目をパチクリさせると酒を煽り小さく息を吐いた。



「そう思うか」

「だって、現代の魔法使いからすれば、魔法という純然たる力を冒涜していると考えてしまう方法ですもの。それに、根底を覆して理論を構築するのが、先生の得意技ではありませんか」



 あっけらかんと言い放ったメアリは、何故か苦笑いを浮かべるクロードを見て首を傾げた。

 根拠に乏しいが、あまりにも当たり前過ぎるといった彼女の態度を見て、もはやこれ以上嘘をつく事に意味はないと彼は悟った。



 自分の目的を果たすべきだと、確信出来たのだ。



「……こいつは、きっと戦争の火種なんだ」

「火種、ですか」



 すると、クロードはメアリの隣へパイプ椅子を引っ張ってそこへ座った。



「あぁ。これだけ強力なパワーを生み出す術を知れば、シェットランド法国は今以上に抜頭した国家へ成長するだろう。そうなったら最後、他国はただ怯えて過ごすしかなくなる。対抗できる力が、この世界にはまだないからな」

「お、お父様はそんな事を望みませんよ。絶対に」

「分かってる。だが、それはナポレオン・ド・パティオラムという偉大な人格が最大限の自制心を働かせ、この世を平和に保とうとしている努力の裏返しだ。次の国王が殿下だとしても、その次、その次と世代を交代していった時、果たしてシェットランド法国は他国へ力を見せびらかさずに存続していけるだろうか」



 ……メアリは、その問に答えることが出来なかった。クロードが見据えている未来の恐ろしさが、半ば脅迫のようにも聞こえてしまったからだ。



 そして、彼の目が見るのは、きっと未来ではなく過去だ。過去の世界がそうやって滅んできた事を、彼は知っていると理解したのだ。



「歴史なんて、どんな人間でも時間さえ掛ければすべてを知れるんだ。同じ事を思い付く学者が現れるのもそう遠い話じゃない」

「……はい」

「だから、私はこの論文を書いた。そして、自分の元へ返ってくるように匿名での提出を選んだんだ。今なら、こいつを誤解に出来るからな」



 ひょっとすると、この男は今までに何度も過去と現在を擦り合わせ、独りで世界の崩壊を未然に防いでいたのではないだろうか。

 この山のような量の資料とスクロールは、等しく別の可能性を探し当て提言し続けた証明なのではないだろうか。

 好きなハズの歴史を学ぶ彼の姿を、何度も『退屈そう』だと感じたのはそのせいだったのではないだろうか。



 ロクな魔法も使えないこの男が、法王である父にあれ程まで信頼されるその理由が、彼女には分かってしまったようだ。



「私はね、殿下。少なくとも私の生徒が生きている間くらい、今の平和な世界が続いていて欲しいと思ってる。その為に出来ることは、何でもしてやりたいのさ」



 クロードは、ニコリと笑うとメアリの頭を優しく撫でた。酷く困惑した彼女を慰めたかったのだろう。



「そんなに怯えなくていい。ただ、君は王になる女の子だから。君にだけは、伝えるべき可能性だと愚考したんだよ」

「……だから、私がここに来る事を許してくれたんですか?」

「必ず、私の答えを引き出してくれると信じていた」



 メアリは、クロードの手のひらの温かいに身を任せて目を閉じた。こんなにも心が安らぐ事を、彼女は知らなかったから。



「まったく、お姫様扱いは嫌だって言ったじゃないですか」

「ごめんよ」

「ふふ、ダメです。重大な法律違反です。王族特権への違背は、島流しと決まっているんですよ」

「それは重いなぁ」



 肩を透かして二人で笑ったその時だった。突然、空に稲光が走り、雷が落ちた数秒後に激しい雨が降ってきた。



 予告されていた通り、嵐がやってきたようだ。



「……あれ、殿下。メアリ殿下?」



 ゴロゴロと唸る空の音も然ることながら、石のように動かなくなってしまったメアリが不気味で仕方ないクロード。

 目の前に手を翳して反応を伺うが、逆に手をガッチリと掴まれてしまって驚く羽目になった。



「ちょっと、痛いよ」



 しかし、それでも何も言わないモノだから、ようやく事態を把握したクロードは深くため息をつき。



「まったく」



 彼女を優しく抱き締めて、ヨシヨシと頭を撫でながら「怖くないよ」と何度も囁やき慰めながら嵐が過ぎ去るのを待つ事にした。

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