第4話
004
学会から戻ったクロードは、そのまま大学部へ足を運び考古学の講義を行うと、オレンジ色に染まりつつあるキャンパス内の中庭で空を見上げながら煙草を吹かしていた。
きっと、今日もロクに眠れない。学会より与えられた
「『だから、名誉教授なんて嫌だと言ってるんだ』といった様子の表情ね。クロード先生」
突然、声を掛けられた。後ろを振り向くと、そこには理工魔学の講義を終えたアテナ・ルロワ助教授の姿があった。
スマートに切り揃えた黒のショートヘアに、キリッとした赤目と高い鼻。身長も174センチと高く、その風貌から規律的で規則的な生き方が伺える。
彼女は、クロードの隣に研究室を構えるお隣さん。年齢は28歳。元陸軍大将のバルカン伯爵を父に持ち、戦術にも大きな影響を与える強力な魔法を扱う事の出来る才女である。
「相変わらず、君は私の心の中を簡単に言い当てるな」
「クロード先生が単純なだけよ。あなたは、男として隙が大き過ぎるの」
「そんな男を誂うのが君の趣味ってワケか」
「えぇ、その通り」
言って、アテナはクスクスと笑うとクロードの隣りに座って人差し指で煙草を指差す。その動作を見て、彼は一度大きく煙を吸い込んでから火のついたままフィルターを向け彼女へ渡した。
「最後の一本?」
「昼休みも、生徒が来ていて買いに行く余裕がなかったんだ。とっておきだよ」
「なら、大切に吸わないとね」
誂うような笑みを浮かべ、足を組むと煙草を咥えて上を向く。
全部あげるつもりはないと思いつつも、黒いタイツにムッチリした太ももと僅かな肌の色が透けたのを見て、「まぁ、いいか」と納得するクロードであった。
「学会に呼び出されたんですってね。どうせ、またお使いでも頼まれたんでしょ?」
「あぁ。提出された論文のチェックを手伝えって」
「お気の毒ね。クロード先生、最近はそんな雑用ばっかりしてるような気がするわ」
「ジョナサン博士曰く、『君ほど調べ物が得意な人材を他に知らない』だとさ」
再び、紫煙が舞う。
ジジ、という小さな音の向こうで、何人かの女学徒が二人を見ながらヒソヒソと話している。どんな妄想を膨らませているのか、やたらと楽しそうであった。
「それで、
「何を言ってる、心当たりのない話だ」
「ふふっ。まぁ、あなたがそう言うなら別に構わないわ」
そして、アテナは席を立つと魔法で煙草を綺麗さっぱり消し去ってからニコリと笑った。
「今夜は嵐が来るそうよ。研究室に籠もるなら、お酒と缶詰をたくさん買っておくことをオススメするわ」
「わかったよ、忠告ありがとう」
「それじゃ、また後で」
……一方、場所は変わって学院のサロン。
「やはり、魔法やお金は前時代的な魅力だと思います。女である私たちも理力と魔法応用によって社会で幾らでも活躍出来るのですから、今の男性にこそ包容力が必要だと思いませんか?」
「分かりますわ、男ってその辺の時代配慮に取り残されていますわよね」
メアリは、学友と恋バナに華を咲かせていた。
法国の精鋭騎士団が守衛を務め、更に学生学徒も連なって実践訓練を兼ね備えた防衛結界が張り巡らされるレトリバー魔法学院は、王城に次ぐ安全を誇っているためこうして淑女の憩いの場としても活用されているのだ。
「実は、私も帰ったらヨシヨシしてもらいたいんですの。年下の美男子に」
「それは、強烈ですわね。溶けるかもしれません」
「ストーカー行為だって、美男からでしたら受け入れてしまう可能性ってあります」
「美男に愛されたいですわ〜」
案外、男よりも趣味をおおっ広げにしている貴族公女たちだった。
「……私は、やっぱりクロード先生がいいです」
一人がポツリと呟くと、彼女たちは急に現実に引き戻されたかのような面持ちになり深くため息をついた。随分と、恋焦がれているようである。
「それは、言わない約束ではありませんか。クロード先生の話になったら夜が明けてしまいます」
「ご、ごめんなさい! つい!」
「まぁ、いいですわ。どうせ、あの人は誰のモノにもなりませんし」
「貴族として、どうやっても手に入らないモノがあるというのは歯痒いですね。金も権力もダメなら、どうすればいいのでしょう」
「知っていますか? クロード先生、実は魔法をほとんど使えないって。だからこそ、変換炉は誰にでも使える仕様になったらしいですわ」
みんなが声を漏らしながら感心する中で、ずっと黙って話を聞いているメアリも「うんうん」としみじみ頷いた。
「道理で。なぜ、せっかくのマロニエの杖でやることが黒板消しとスクロールの片付けのみなのかと思っていました」
「学費のいらない士官学校へ通っていたそうですが、成績は落第スレスレだったそうです。かと言って、格闘や剣が得意というワケでもないとか」
「とは言え、彼ほど
「自由を謳歌する胆力も、ワイルドで魅力的ですわね」
違う。クロードの魅力の本質はそこではない。
彼が本当に凄いのは、世界を覆してしまう発想力と、物事を正しく見極め考える思考力にも負けない深い愛情だ。
なぜ、彼女たちはそこに気が付かないのか。彼女たちは、自分が惚れてしまっている理由すら把握していないのか。
……と、メアリは内心プリプリしていた。激おこである。
「メアリ様、如何なさいましたか?」
そんなワケで、一体どうすればこの思いが伝わるのかと黙って考えていると、いつの間にかみんなが彼女を心配していた。
「い、いえ。何でもありません。何だか、少し気分が優れなくて」
「それはいけません。すぐにお医者様と看守の方を」
「大丈夫です。ですが、私はそろそろお暇します。また明日、教室で会いましょう」
「安静になさってくださいね、メアリ様」
そして、プラプラと一人で広い中庭を歩き執事の馬車が待つ正門へ向かう途中。ふと、向こうから木綿のバッグをぶら下げて歩いてくる男の姿が目に入った。
言うまでもない。クロードである。
「はわわっ!?」
未だ、怒りが沈静化していなかったメアリの目の前に本人が現れたモノだから。彼女はさっきまでの冷静な表情から慌てふためいた様子に代わり、スクールバッグで自分の顔を隠すとその場に棒立ちして「自分は木だ」と言い聞かせていた。
お姫様は、不測の事態ではポンコツになってしまうのだ。
「何をしているんだ、メアリ殿下」
「……草木を扱う魔法を学ぶための、植物の気持ちになる訓練です」
「なるほど、天才は大変だな。頑張ってくれたまえ」
あっさりと信じて立ち去りそうになったから、メアリは恐る恐る鞄を顔から離してクロードの姿を見た。彼の鞄の中には、酒のボトルと、鯖や鮭や蟹の缶詰が大量に入っていた。
「それを、学院内へ持ち込む気ですか?」
「研究棟は治外法権だ。規則にもそう書いてある」
「書いていません! おバカ!」
思わず大きな声を出すと、なんだか冷静になれたような気がして。だから、メアリはクロードの後ろに立って後ろで手を組むと、俯きながらいつも通りに口を開いた。
「……もしかして、お昼にもあった魔法回路の研究ですか?」
「そんなところだ。『可及的速やかに』という注文だが、あれは『大至急』という意味に他ならないからな。言葉通りのんびりしていると、給料分を働いていないと後ろ指をさされることになる」
「言葉通りなら、のんびりしていいという解釈にはならないと思うのですが」
「クス。ちょっとしたジョークだよ。それじゃ、殿下もそろそろ下校したまえ。姫君が夜道を歩くのは危ないからな」
そんなクロードの言葉に、何だか子供扱いされているような気がしてしまって。十代特有の、「ガキ扱いするんじゃねぇ」的な反抗心がムクムクと働いてしまったメアリはこう言った。
「仮に私が襲われたとして、私が負けるハズありません。いくらあなたが平和と平等の使者だからといって、破壊の魔法の価値が下がったと考えるのは些か愚考が過ぎるのではありませんか?」
……やってしまった。
これは、あまりにも可愛気がなさ過ぎる発言だ。さっきの話でも、男には現代的な配慮が足りていないことが話題に出たのに、あろうことか同じ事を自分がしてしまっているではないか。
何故、強がったことを言ってしまうのか。そうやって自己嫌悪に陥って、メアリはたちまちナイーブになってしまったのだった。
「んん。まぁ、色々と言いたいことはあるけど」
しかし、クロードはポリポリとこめかみを搔いて。
「弱い私が強い君を心配することに、何か矛盾があるのかな」
「……え?」
「失礼を承知で物申すけど、君は私のかわいい生徒だ。公女だろうが貧乏人の子だろうが、等しく心配するって話。頭のいい殿下なら、その意味を理解してくれるよね?」
その言葉は、メアリがクロードを愛しく思うのに充分過ぎるモノだった。
彼は、力強い者こそが弱き民を救うという帝王学を身に着けているメアリにとって、年下萌えよりもわかりやすいパッションを備えていたのだ。
当然、17歳の彼女が今感じた思いに抗えるワケもない。
「その荷物、今日も研究室に泊まるおつもりですか?」
「あぁ。酒と缶詰は人類の友だ。彼らの居ない夜長を過ごせば、私はたちまちおかしくなってしまうよ」
「……いけません」
言って、大きく一歩を踏み出しクロードに詰め寄る。
「いけない?」
「えぇ! いけませんとも! 30歳なんてまだ若いのですから! こんなにお酒と塩分を摂るような不摂生な生活を私は姫として認められません! 監視する必要があります!」
「監視って。殿下、自分が何を言ってるのか分かってるか?」
「分かっています! 私はあなたが心配だと言ってるんですよ! このまま見過ごせば、心配過ぎて眠れません! だから! 特権を行使します! 今からあなたの研究室へ私を招待しなさいっ! 」
当然、そんな事を言われてしまえば断る方法を持っておらず。クロードは、何故そんなに怒られているのかも分からないままにメアリを研究所へ招き入れた。
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