闇の底で

 それとわかるくらい、血の臭いが濃くなった。人間の死臭だ。付近は鉄骨と剥き出しのコンクリートだらけで、そこにははっきりと邪悪な魔力が流れていた。

「最悪な場所ね。棺桶はある?」

「さすがにそこまで不用心ではないようです」

「だが、近いぞ、吸血鬼の気配がする」

 アリスが魔眼をこらして闇の中を覗く。


「ふふふ……三大魔女が揃って、何の用かしら?」

「ブラッディ・マリーっ!」


 闇の奥から二つの人影がふっと現れた。長身で痩せぎすな黒いスーツの男と白衣の科学者風の男だ。白衣の男は背が小さく、ライトに照らされた目がギョロギョロと動く。

 ブードゥーのバーサーカーと初めて顔を見るが裏切り者ジューダスのカラクリ使いだろう。


「まずは前哨戦とでも言いたいのかしら? 使徒では三大魔女わたしたちには勝てないわよ」

「そうとも言えんぞ、昼とは言えこの闇の中で吸血鬼と戦うのは簡単でない」

 ジリッと冷や汗が出る。

(やっぱりこいつら、ただ者じゃない)


 エリカがひときわ明るい電気式のランタンを地面に置いた。バーサーカーが目を細め眉を寄せる。

「太陽の陽の力を封入したランタンです。これで暗闇のアドバンテージは無いですよ」


 ランタンを中心にそれを守るように四人の魔女が武器を構えた。

 まず神奈が先制してライフルを放つ。大きな銃声が鳴り、弾がカラクリ使いの脇をかすめる。

「矢除けの加護はバッチリみたいね」


 神奈の眼が赤く光る。直後にカラクリ使いのすぐ近くで魔力が爆ぜた。

「チーズ臭い女の子だと思っていたけど、無事、聖婚相手が出来たみたいね。魔眼が一段と冴えているわね。その血も美味しそう」

「わたしの血が欲しいなら、雑魚に任せてないで自分でかかってきなさいよ」

 神奈は挑発するがブラッディ・マリーは乗ってこない。奴の用心深さは相当なものだ。


「神奈ちゃんの相手にはもっと相応しい人がいるのよ。喜びなさい。その対面はきっと感動的よ」

「なに……よ」

 暗闇の奥からゆっくりと黒い長髪の女が歩いてくる。当摩はぞくっとした。あれは何か良くないものだ。


「うそ……母さん」

 神奈によく似た黒髪の女性、しかしその髪は荒れ果て、赤く微かに光る魔眼は無気力なうろのようだ。普段は拘束衣を着せられているのだろう、手や足にベルトの付いた服を着ていた。

「そう、先代黒の魔女、黒崎神代くろさきかみよさんでした。信じられる? こんな状態になってもこの人はまだわたしの従属魔術に抵抗しているのよ。まあもっともその意識もすでに消えかけているけど」

「神奈……」

 神代が呟く、どうにか絞り出したようなか細い声だった。

「殺して……」


「黒の魔女、動揺するなっ! 敵をしっかり見定めて、反撃するのじゃ」

 アリスが声を張り上げる。

「で、でも……母さんが!」

「すでにその身は血の一滴まで吸血鬼、明美嬢とは違う。もう助からん」

 そんなことは当摩だって見ただけでわかった。神奈はもっと理解していただろう。

 神奈は涙を拭った。そして顔を上げた時は、いつもの最強無敵の黒の魔女に戻っていた。


「ごめんね、母さん……助けてあげられなくて」

「いいの……神奈が生きていれば……その使徒の子はとても強そうね……神奈の好い人?」

 当摩は涙が止まらなかった。うんうんと頷くことしかできない。

「それが聞けただけでも……もう……十分よ」


「わたしに……かまっている時間は無いわ……あいつは神奈の心を揺さぶって……時間を稼いでいるだけよ……」

「当摩……杭を渡して……」

「俺が打つよ。神奈ちゃんは命令だけして」

 また、神奈の赤い眼から涙がこぼれた。


「当摩……やって」

 当摩はすぐさま神代の前に走り寄って、その心臓に杭を打ち込んだ。神代はまったく抵抗しなかった。

「これでやっと……解放される」

 神代はそのまま灰になって崩れ落ちた。


「つまらないわ、吸血衝動に負けて襲いかかりでもすれば面白かったのに」

 ブラッディ・マリーの声はやっぱり不快だった。


「ブラッディ・マリー……あなたは一つ間違いを犯したわ」

「ああっ!」

 当摩も首肯する。

「あなたは完全にわたしたちを怒らせたっ‼」

 その表情、気概、完全に戦士のものになっていた。もう止まれないし止まる気もない。

「ははっ! いいぞ黒の魔女と使徒、そのまま突っ込んで奴をぶっちめてくるんじゃ」

「カラクリ使いとバーサーカーは任せて下さい」


 二人は駆けだす。闇の一番深いところへ。

 そこに奴がいた。


「わたしのテリトリーに入って来るなんて不快ね。あの自爆ドローンを全部ぶつけていればよかったわ」

「おあいにく……こっちにはスーパーハッカーがいるのよ」

「あいつ、所詮は金勘定が得意なだけのジューダスね。あんな小娘に負けるなんて」

「自分の仲間をそんなふうに思っているのか?」

 いらだちを隠さず当摩が訊く。


「あなたたち三大魔女はやれ使徒を大切にするだの、自分の命より一般人の命とかほざくけど、バカなんでしょ? 下僕なんて吐いて捨てるほどそこらにいくらでもいるじゃない」

「神奈ちゃんをバカにするな」

「永遠の命とまでは言わないけど千年の寿命をあげるってだけで、どんな優秀な人間でもコロッと堕ちるわ。あなたもどうかしら? 浜屋当摩」

「俺は神奈ちゃんと百まで元気に生きるんだよっ!」


 バンと乾いた音を立てて、当摩の拳銃が火を噴いた。そもそも素人の拳銃がそう簡単に当たるわけはなくて、世界最高レベルの魔術で守られたブラッディ・マリーに当るわけはなかった。

 はずだった。


 当摩の銃弾はブラッディ・マリーの顔すれすれをかすって、背後に当った。ブラッディ・マリーの頬に微かに傷が出来て、血が流れた。

「わたしの顔を……」

 怒気をはらんで、その美貌が獣のように歪んだ。

「あはっ、本性が出てきたじゃない、そう、あんたはバケモノなの。バケモノは退治する、平安の時代から当たり前のことね」


 神奈がライフルを構えて撃った。その弾は当たらなかったが、ブラッディ・マリーの護符の魔力を大きく削った。

「許さない……バラバラにしてやる」

 ブラッディ・マリーはまず神奈に襲いかかった。人間じゃ考えられないくらいのスピードだ。

 神奈が反撃のライフルを放つが、まだ当たらない。


「わたしは千年生きるの、もう決まった運命なの。だから陰陽寮だって討伐に乗り出さなかったのよ。無駄だから」

 ブラッディ・マリーが獣のかぎ爪のようになった手を振るった。神奈は何とかバックステップで避ける。

「くそ、接近戦になっちゃうと拳銃で援護できない」


「まず一人……」

 余裕を見せながら神奈に迫ったブラッディ・マリーがその爪で首を引き裂こうとする。

 当摩はぞっとした。

(まずい、神奈ちゃんが……死ぬのか?)


 ガムシャラに足へ力をこめ飛んだ。でも爪の方が遥かに目標に近い。

(間に合え、間に合え)

「今よっ! エリゼッ! 時間停止」

 神奈の一言。直後、全ての世界が止まった。当摩以外は。


「あ……」

 何のことはない、当摩は間に合ってしまった。神奈とブラッディ・マリーの間に。

「さあ、当摩君、とどめを刺して」

 エリゼの声がする。

「うん……」


 当摩は白木の杭をブラッディ・マリーの胸に当て、思いっきり打ち込んだ。

「しっかり刺さった?」

「うん、根元まで」

「一回読まれたら二度と使えない作戦だったけど、上手くいってよかったわ」

 時間が動き出す。


「ぶっ……ほっ……これは? 何だ?」

「あなたは死ぬの、不死身なんかじゃなかったのよ。あなたは」

「しかし……運命が……」

 ブラッディ・マリーがゆっくり当摩を見る。


「なんだ……この……バケモノは……いつからそこに?」

「最初っからずっと一緒にいたわ……当摩はわたしの運命の人よ」


 ブラッディ・マリーはその場に崩れ落ちた。使徒の二人は彼女の死亡と同時に塵になってしまった。


「あとはそいつを火葬するだけじゃな、どんな占術を駆使しても読めなかった戦いじゃったが、最後は我々の勝ちじゃったな」

 全員でハイタッチする。

「よっしゃぁぁー」

 当摩が勝利の雄叫びを上げた。

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