10 デスクワークデー




「戻ったぞ」

「おかえりーって、もう済んだの?」

 テビスが「じゃあちょっと行ってくる」と言って転移魔法で消えたのは、ほんの一時間ほど前だ。

 あと普通に帰ってきたけど、ここは平民である僕の一軒家でお城じゃないよ?

「俺の用事は十分ほどで済んだんだがな。あいつらの話し合いが長かった」


 テビスは転移魔法でセリステリア国王城まで出向き、ちょうど話し合いをしていたのをがっつり聞いてから、堂々と姿を見せて交渉してきたそうだ。


「あやつら未だにお前を探していたぞ。条件としてお前の居場所を伝えておいた」

「そっか」

 僕は初手こそセリステリア城から逃げたようなものだが、今は逃げも隠れもしていない。

 あいつらが僕を探し当てたところで、僕やルビーに手出しできるような力はない。


 そもそもセリステリア城からここまでは徒歩で半年、馬を使っても数ヶ月はかかるのだ。

 明日すぐ来るわけじゃないなら、こちらも色々と準備ができる。


「しかしだな、あの城に残っていた手がかりは大したことがなかった。ただ、面白いものを見つけたぞ。持ってこなかったがな」

「何?」

「誰かの記憶を封じた宝玉だ。人間の魔道士にしては高度なものを創ったな」

「それって……」

「お前の記憶だろう。あれは、お前に近づけると発動する様子だった」

「どうして僕の記憶を奪ったんだろうね」

 自分の記憶に関しては割りとどうでもいいのだが、問題はそこだ。

 魔王を倒させるのに、記憶を奪うメリットがよくわからない。

 下手に前の世界の記憶があると、言うことを聞かないとでも考えたのだろうか。

 テビスの話の続きを効く限り、そうではなかったようだが。

「それなら王と側近たちの記憶を覗いた。お前の力はどうやら、記憶と引き換えに得たもののようだ」

「じゃあつまり、記憶を取り戻したら僕は弱体化するってこと?」

「恐らくな。まあ、そうとも限らん」

「え、どっち?」

「所詮は魔力の扱い方を正しく知らない魔道士が創ったものだということだ。記憶を取り戻したリョーバがどうなるか、全てが奴らの想像通りにはならんということだ」

 黙って僕らの会話を聞いていたルビーが、僕の服の裾をぎゅっと握った。

 心配そうな顔で僕を見上げている。

「リョーバ、きおく……」

「僕は気にならないから大丈夫だよ。それよりルビーの記憶の方だよ。大したことないって言うけど、多少はあったってことでしょ?」

「おお、そうだったな。詳しく話そう」


 改めてリビングのテーブルを囲むと、テビスがテーブルの上に手を翳して何枚かの書類をぱらぱらと出した。

 魔法で創った紙に、見たこと聞いたことを念写したものだ。


「これが魔道士の来歴と研究内容。こちらは召喚に携わった魔道士の一覧、これは……」

 資料は主に、セリステリア国の魔道士たちの動向や、研究内容だった。

 一見、ルビーの記憶には何ら関係がないように見えたが……。

「行方不明者一覧?」

 あの国は折角召し抱えた魔道士が、年に何人もいなくなっていた。

 魔道士の顔はほとんど覚えていないので、名前を見ても全くピンとこない。


 ただ、気になる人物が一人だけ存在した。


「この、ムンディって人は行方不明になったり戻ったりを繰り返してるね」

 行方不明者の中には、何年後かに復帰している人もいる。

 何度も繰り返しているのはムンディという人だけだ。

「一度出奔した魔道士が元の職場に戻ることなど基本的にあり得ないのだが、他所で研究した成果を持ち帰れば復帰は容易だったようだな」

「なるほど」

「俺もそいつが何度も復帰しているのが気になって調べたのだがな、これ以上の情報はなかった。だが、最後に行方不明になったのが……」

 およそ二十年前。この世界に魔物が現れた時期と同じだ。

「もしかしたら、この人が魔物や魔王に関係していて……」

「そやつの出生にも関わりがあるやもしれぬな」

 僕とテビスでルビーを見ると、ルビーは難しい顔で見つめていた書類から顔を上げた。

「ルビー、ムンディって名前に覚えはない?」

「むんでぃ? ない」

「何を読んでいたの」

「よめない」

「文字読めなかったのか。覚えたい?」

「これ、もじ? おぼえたら、よめる?」

「そうだよ」

「じゃあおぼえる」

 僕がルビーの頭をわしゃわしゃ撫でていると、テビスが「むぅ」と唸った。

「確かセリステリアの識字率は一割ほどだったか」

「少なっ!」

「ああ、誤解を招く言い方をしたな。セリステリア国が認識している識字率が一割で、実際は民たちの殆どが読み書きできる」

「認識と実状の寒暖差で風邪ひきそう」

「なんだその表現は……。あの国は必死に貧富の差を作ろうとしているが、民のほうが賢いでな。それはいいとして。ちなみにインフィニオル国の識字率は十割に近い。つまりそやつは、この年になるまでどちらの国にも属していなかったと考えられる」

 テビスは顎に手を当てて足を組み、背もたれに身を預けるような座り方になった。椅子は僕が魔法で適当に創った木製の椅子だから、テビスのガタイの良さに耐えきれず、みしりと音を立てている。椅子にそっと強化魔法を使っておいた。

「かといって他の国からわざわざ拉致してくる理由も分からぬな」

「他の国ってあるの?」

「あるぞ。海の向こうだがな」

「転移魔法無しで拉致すること自体が大変そうだね」

 セリステリア国では地理も簡単に触ったが、大陸はここしか存在しないと教えられた。

 元いた世界では、世界というのは宇宙に浮いた星のひとつであり、そこに大陸が一つしか無いのは……異世界だからかなぁ、と勝手に想像していたのだが、違ったのか。

「僕ももうちょっと常識教わりたいなぁ」

「そうか。お前ならいいだろう。ほら」

 唐突にテビスが僕の額を指でちょんとつついた。テビスの手は爪が頑丈で尖っているので、少々痛い。

「なにす……うわあっ!?」

 頭の中をかき回されるような感覚は一瞬で去ったが、目の奥がじんじん痛くて目眩がする。

「なにしたんだよ」

 テビスが僕を害することはないが、思わず抗議してしまう。

「リョーバ、だいじょうぶ!?」

「ん……おさまってきた、かな」

 頭を抑えていた手を離してテビスを睨むと、テビスは肩をすくめた。

「女王が治める女性だけの国の名は?」

「ミュリビヌスのこと? ……あれっ?」

 さっきも言ったが、セリステリアで地理はこの大陸のことしか教わらなかった。同じ大陸にあってもインフィニオル国のことすら知らなかったのだ。

 なのに、テビスの質問にすらすらと答えが出た。

「お前に俺の持つ知識を流してやった。これは脳が発達しきった大人でないと、脳細胞を破壊しかねんでな。そやつにはできんぞ」

「そんなことできるのか……」

 落ち着いてみれば、頭の中にこれまで知らなかった、知り得なかったはずの単語や概念がじわじわと浮かび上がってくる。

「先に言っといてくれたら混乱しなかったのに」

「すまん。リョーバなら大丈夫だろうと思うてな。俺の知識量が多いのと、セリステリアの阿呆共の教育が足らなかったせいだろう」

 知らないことをぎゅっと詰め込まれたせいで目眩がしたらしい。

「文句言ってごめん、ありがとう」

「気にするな」

 テビスはそっぽを向いて片手をぷらぷらと振った。いつもの照れ隠しの仕草だ。


「さて、長居してしまったな。そろそろ帰る」

「あ、もうこんな時間か。お昼作るけど食べてく時間もない?」

「リョーバ、料理ができるのか?」

 意外だったらしい。転移魔法を発動させかけたテビスが動きを止めた。

「僕がここでどうやってご飯食べてると思ったのさ。簡単なものだけど作れるよ。ああ、でもお城の料理のほうが」

「飽きてきたところだ。リョーバの料理が食べたい」

「じゃあ作る」


 グライソンさんから頂いた羊肉でラムチョップステーキを作って出したら、テビスは付け合せのパンでソースまで拭ってきれいに食べた。

「美味かった。時々食べに来てもいいか」

「いいけど、食材を提供してくれると助かる」

「承知した。猪肉は調理できるか?」

「いけると思う」

 何故一国の王様に、庶民の手作り料理がウケたのか。後で理由が判明した。


 インフィニオルでは薄味が高級品だとされていて、特に王城ではそれが顕著なのだ。



 しょっちゅう庶民の手料理を食べに行ってしまう国王陛下に、お城の料理人がついてきたのは数週間後だった。

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