[ FILE1 ] テントにて

彼にとって、その日はいつもの仕事の日でしかなかった。しかし、その日こそが彼の、最期の日となった。


誰かへ宛てた、祈りの声は届かない。黒い海が眼前に、斜めに空を切り取っている。さざなみを感じる事もできないまま、強い衝撃ーーーそれで、終わりだった。もうあとには何もない。黒でもない、闇でもない、暗がりでもない。冷たくもない、痛くもない、痺れでもない。考えられない、感じられない、そうと知る事もない。あっけなく、終わり、消える。積み上げた知識も、鍛えた技術も、清濁混在の記憶も。無。無と感じられもしえない無。夢をみることも、起きることもない眠り。それが彼の、そしてきっと普遍の、最期だ。


どしゃぶりの海に浮く、肉と布と金属と。二歳児が絵描いたようなちぐはぐのヒトガタ。バラバラの四肢、潰れた頭部、はみでた内臓は海と混じりつつある。暗い、黒い、海の上で、誰にも知られずに揺蕩っていた。


・・・


多境より少し遅れて、僕はテントに入った。


中は外からの遮光具合が嘘みたいにいつも明るい。照明は電気式のカンテラ型ランプで、それがテントの四隅と、中心の天井部から吊り下げられている。黄色くて落ち着いて印象の電球色から、青白くて気が引き締まる昼光色まで、瞬時に切り替える事が出来る。専ら待機や休憩の際は黄色寄りの温白色、作戦会議などの際は青白寄りの昼白色をつけることが多い。白色を使った事は僕にはない。もしかしたら点いてた時もあるかもしれないが、自分で調節したりした時でないと、あまり違いがわからないのが本音だ。その時はひとまず黄色っぽかったので、恐らくは電球色だっただろう。


テントは広く、8畳ほどはあるだろうか。10人くらいなら余裕で同時収容かつ、中心のテーブルを囲むことができる。


テントの奥でツナカミさんこと繋上川(ツナカミカワ)さんと哘道(サソミチ)さんが真剣な表情で話している。多境(タザカイ)もその話を聞くために傍に立っている。湯田雪(ユタユキ)さんはお茶を淹れようとしていたようだが、入ってきた僕に気づいてにっこりいたずらっぽくわらいかけて、軽く手を振った。さっきの話がリフレインして一瞬たじろいだが、気を取り直して話しかける。「いつもありがとうございます。よかったら手伝いますよ。」僕は湯田雪さんに申し出た。「いいよいいよーゆっくりしてな~、ありがとねー」そういわれては仕方ない、僕はおずおずと一番手前の席に腰かけ、ツナカミさんの声に耳をそばだてた。当然、筆嵐(フデアラシ)くんの話をしている。


「つまり、もう30分ほど連絡がついていないし、座標表示も沈黙していると。」「そうです。この雨だし、いくら彼だからって、スーツがあっても何かあったんじゃないかと」「そうだな…筆嵐はああ見えて真面目だし、連絡を一度もよこさないことは今までなかった…故障か?それならそれで端末で連絡を取れるはずだ…」


珍しく繋上川さんと僕の意見が一致している。それがなんだかますます嫌な感じだ。


「先行していたドローン達は全てシグナルを返しています。映像も転送されているので先ほどからチェックしていますが特に変わったものは映りません。なので余計にわけがわからなくて…ただ、ドローンたちもなんだかおかしくて。AI制御から此方の操作に切り替える事がなぜかできずにいます。…関係ありますかね…?」


哘道さんの状況説明を聞いて僕は耳を疑った。なんだそれは……まるで………。


「繋上川さん、オレが探してきますよ。」


多境が話の合間に切り込んだ。繋上川ささんは1秒ほど考えてから答える。


「わかった。乱構次(ランコウジ)とバディを組んで探してきてくれ。」


流石の即断即決だ。


「バディですか?構いませんが…その間に港が襲撃された時大丈夫ですか?」


多境が質問すると、繋上川さんは間を置かずに返答する。


「状況を鑑み、バディは安全の為に必須だ。」「バディなら安全?」「船舶や航空機等が付近に無い事は確認済、つまり筆嵐が緊急避難対応中とは考えづらい。では何だ?あらゆる機器が同時に故障するか?昔だったら端末の電波が届かないという事があったが、この現代だぞ。雷の警報もない…つまりオレは敵との交戦を想定している。前例がない事などいくらでもおきるものだからな。」


そんなことがあるだろうか、と僕は訝しむ。しかし確かに、支給端末も個人端末も、座標等シグナルを送信しえるあらゆる機器が沈黙しているのは普通じゃなかった。たとえスーツが故障しようとも、そして悪天候だろうとも、遭難をするような装備ではないのだ。それに例えそんなイフがあったとしても、ドローン達のカメラのどれもが何も映さないとは思えない。装備の中には旧型と新型両方の発煙筒もあるのだから、非常事態であればそういった何らかの痕跡が発見できる期待がある。


それどれもがない。かなり異常な状況だ。たしかに、「事故」も考えづらい、ということか。


「港のことはオレたちに任せろ。既に九百芽(クドメ)たちにも状況は伝えてある。まもなく到着するとのことだ。だからここは大丈夫だと信じて、気を付けて行ってこい。億が一、いや、万が一。外敵に遭遇してあいつらがお前たちを攻撃してくるような場合は、無理をするな。最優先は自身の安全、次にバディ、そして筆嵐の探索と救護だ。」


ミイラ取りがミイラになるなよ、と付け足しながら、ツナカミさんは僕の方へ向く。「そういうわけだ乱構次。残念だま、茶は飲めないようだぞ」


繋上川さんが沈痛な表情の僕と多境に気遣ってか、にやり笑い軽口を叩く。


「わかりました…。いこうぜ、茶はのめないけどな」


多境もそれを受けて僕に話しかけつつ、フっと鼻で笑う。


「おう、準備はできてるよ。…湯田雪サンノオチャ…ノミタカッタ…」


湯田雪さんも心配そうな面持ちだったので、僕も軽くのってみる。


「ふふ、はいはい。帰ったら三人に美味しいの淹れてあげるからいっといで!新しい香りのがあるんだ。その…二人とも、気を付けてね。」


柔らかく微笑みながら送り出してくれる。


「はい、三人で無事に帰ってきますよ!…ありがとうございます。そんじゃタザカイくんよ、早速いきますか」


サソミチさんも小さく「気を付けてね」と僕らに手を振る。


僕は席を立って、多境とテントを後にする。


外はまだ暗く、また勢いを取り戻した雨が、静かな港の空気を震わせていた。

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