N-G-Leak

音絵青説

[ FILE0 ] どしゃ降りに襲来警報

思えば幸せな人生だった。街の人々の笑顔を守る為に生きる事を、自ら選べるような優しい環境に恵まれていたのだから。それを疑う事なく、信じていられたのだから。


1月31日。この街に於いて今年度最低の気温を記録した。その日は雪が降るという予報もあったが、実際は霙混じりの大雨となった。雨足は強く、傘の庇護からあぶれた不幸な皮膚たちは、感覚がなくなるほどにかじかんでしまっていた。見てみるとあからさまに赤くしもやけていて、苦笑いしてしまう。そそくさと急ぎ足で帰路を歩む中、隣を歩く多境粋(タザカイスイ)が口を開いた。


「来そうだなぁあいつら。こういう日に限ってくるもんな。腹立つことに。」


まぁ勝手な憤りなんだけどさ、とつけくわえて、苦笑した。


あいつらーーー


「外敵」に此方の都合を慮る道理など無い。それは当然彼も百も承知。「それでも許せない!」というその気持ちは、共感を呼び起こす。僕らの反感やら淡い期待とは裏腹に、外敵は天気が崩れた日に高確率で襲来する。何故かはわからない。一般に、外敵には高度な思考や感情があるとはあまり考えられていない。それは実際に外敵に対応する「対応スタッフ」達の経験則である。後方であいつらの分析等を担当する「研究スタッフ」達としても「未確認」ということだ。


確からしいのは、あいつらが天候や気温の影響を受けないということ。悪天候が僕らにとって不都合であるとあいつらが知っており、あたかも絶好の機会といわんばかりに襲来しているようにも思えてしまうが、それは対応時の無機質無感情なあいつらの印象とギャップがある。事実は単に、あいつらが悪天候時に現れやすいという事だけだ。研究スタッフとしては、僕らにとっての悪天候が何らかの好条件であるか、そもそも外敵の由来や襲来理由に関係しているのではないかという仮説もあるらしい。だがそんなことはいい。対応スタッフの僕らとしてはただただ「堪ったものではない」という気持ちになるだけだ。何が悲しくて、凍てつく雨の日に、傘も刺さずに走りまわった挙句、擦り傷を増やさなきゃならんのか。僕はいつも通り、彼の呼吸のような冗談の相手をして笑う。そうして二人で港に向かいながら、今日は来てくれるなよ?、と心の中で、祈りともつかない言葉を囁いた。


結局31日には警報は発令されなかったので、僕は一安心して眠りについたのだった。しかし、神はいないのか、それとも残酷なのか。はたまた僕らに無関心なのか。


2月1日午前三時二十七分港から、「外敵」襲来の報せが入った。


やつらが攻めてきたら、僕ら対応スタッフは大忙しだ。放っておくと街を破壊してしまうので、防衛や避難、迎撃にあたる。「外敵」と呼ばれる謎に包まれた存在達。それを排除し、街の平和と繁栄を守るのが僕らの仕事だった。


スタッフの殆どは、街や住民のことを大切に思っており、正義感や使命感が強い。僕や多境のような「一見やる気のない若者」も、その類に(一応は)漏れていない筈だ。多境だって、憎まれ口や冗談は沢山言うけれど、いざ仕事が始まれば凛々しくなる。彼は迅速かつ的確に対処にあたり、仕事をこなすプロなのである。だから彼は、仲間内での信頼も厚い。彼が人々の事をもの凄く好きでいる事を僕は知っている。ムードメイカーで仕事ができて、その上思いやりがある彼の事を、僕は気に入っていた。ところで、僕は人をほめる事に抵抗がない。思った時にその場で、そのままの飾らない言葉で相手のいい所を述べたいという気持ちに正直である。だから彼のそういうところを気に入ってるというのも伝えるが、たいてい冗談めかしてはぐらかされてしまうのが一寸不満だ。そんなことしていたら、現場をバッチリおさえたある女性スタッフからホモ認定されてしまった。不服を申し立てたが、取りつく島もなかった。仕方ないのでもう全部多境のせいにして忘れることとした。


さて、寒さや眠気を紛らわせながら、アスファルトに溜まった雨を足蹴にしつつ、目的地に向かう。なんだか呑気だと思われるかもしれないが、対応スタッフなんて皆こんなものだと思う。勿論、中にはド真面目な人もいらっしゃるけれど…。基本的にこの仕事で大きなケガをしたり、ましてや命に係わるような目に会う事はないので、ちょっと体を使うアルバイトに向かうような感覚に近い。


安全が担保されていると感じられる理由は大きく三つある。


一つ。外敵とは戦闘になりえない。過去一切の襲来において、戦闘になった試しがない。未だに理由は不明だが、やつらの目的はどうも、街の破壊であるらしく、僕ら人間や生物に対しては基本的に無関心であるらしい。なので、危険があるとすればそれは、やつらの街の破壊に伴う副作用としての被害だけだ。襲われただとか狙われたという信憑性のある報告は今日までないし、死亡は勿論、失踪事件などもおきてはいないのである。(なかにはそのように証言する住民もいるが、それらは大抵思い込みとか思い過ごしである。)街を狙うやつらの行く手を阻んだり、その行為を妨害しても、反撃をされることもない。それどころか何の反応もないのが寧ろ不気味である。外「敵」といいつつも、戦闘は発生しないのだ。それでも放っておいたら街が壊れるんだろう?不随して人命が失われるなら危機感をもつべきじゃないか?と思われるかもしれないが安心されたい。どういうわけか、やつらは人がいない建築物の、誰もいない箇所から破壊していくきらいがある。逃げ遅れた人がいると、何故か、その部分を避けて破壊活動を続ける。なので、実は人命が失われたという被害は今まで一度もないのだ。この理由については現在も研究スタッフが解明を試みていると聞いている。研究スタッフについてはまた触れる機会があれば話そうと思う。


二つ目。僕らに貸与されている制服などの仕事道具には、身体能力の向上を主とした様々な機能が備わっていること。この恩恵は極めて大きい。自分の体の難十倍にもなる個体が襲来することもある。それでもスタッフ達に大きなケガをするものがでないのは、装備が優秀で充実しているからというのは1つの事実だ。例え数百kgの重みを受けても内部の人員を守るスーツなどもある。本部から支給されるこれらの装備は、営利部署からの資金や募金、一部税金などから賄われていると聞く。今は大分マシになったが、昔はこのことで何度も論争の戦火が燃えに燃え、デモ隊や機動部隊が衝突して人命が失われることもあったそうだ。そんな話を聞くと、外敵という言葉が宛がわれてる意味を深読みしてしまう自分がいるが、考えすぎだと人から良く言われるので、その鋭利な思考は鞘に収めるようにしている。ともあれ、素晴らしい装備のおかげで僕たちは大抵無傷、稀にケガをしてもそれは擦り傷程度で済むと言った実情になっている。


三つ目。対応スタッフは皆試験を突破した先鋭である。何十年選手の隊員はそうでもないらしいが、ここ数十年で入隊したスタッフは皆、適正試験を合格している者たちとなっている。試験内容は多岐にわたり、その作成や監査は幾つかの組織が一致団結して行っているが、その中核たるものは全て、外敵対応の研究をしている矢矧大学謹製の折り紙付きな関門となっている。スタッフを志すものたちはみな、その全てに漏れずに突破する必要があるのだ。ここで判断力や思考力はもとより、身体能力や危機管理能力についてのチェックもバッチリなされるという具合だ。正に、「背中を預けられる仲間たち」がすぐにできるように徹底して作業環境が整備されている。余談だがそういった筆記や実技諸々の試験に合格すれば「外敵対応技能証明書」という一種の免許が貰える。この免許は身分証明書としても使えるほか、一部の協賛企業などでは優待を受けられるようになっている為、対応スタッフへの応募に閑古鳥が鳴くような事は最近は滅多にないという。うまくできている気がするが、その実割を食っている人がいやしないか、僕は少し心配だ。使うけどね、優待は。だって家賃やら食費が浮くんだもの、これはでかいよ。家賃と言えば対応スタッフ向けの寮も存在するんだけど…この話はまあいいや。


ともかく、これらの理由から、「外敵の対処が事更に危険だから常に気を張る!」みたいな心構えは実はそれほどないのだ。僕らの感覚では既に、車の事故の危険性を語るのに近い。道路を使う車が必要な仕事も多々あるけれど、それらがアルバイトでも成り立っているのと同じで、事故に注意すれば安全ということに変わりはない。


閑話休題。警報を受けた僕はすぐに、悪天候用の制服に着替えて家を出た。31日よりは雨足は弱くなっていたが、それでも傘や合羽は必須といえる程度だった。港に急ぎながらも道中。多境と合流する。彼は両の手の平を顔の高さに上げて首を少し傾げ、大げさに「やったなーびちゃびちゃになれるぜー」などと皮肉を言っていたので、当然の権利として一笑だけしてスルーをキメた。ちょうど続報が入り、外敵の着岸は早くても6時頃との事だった。時間に余裕があるので、憎まれ口をたたきつつ、どつきあいながら歩く。


そうして僕たちは街を抜け、堤防のトンネルを抜け、集合場所の浜辺についた。


浜辺は真っ暗だった。これは意図的に消灯、減光しているからだ。外敵は光に反応して吸い寄せられるように優先的に接近するという特徴がある。その為、万が一に備え、万全の準備が整うまでは前哨基地等のの明かりは控えらのだ。あたりはまだ宵闇の帳が下りているので真っ暗だが、僕らは夜間用の集光ゴーグルをつけているので裸眼よりは見通しが効いた。前哨基地である簡易設営式のテントの座標へ進む。


テントが見えてきた頃、それより手前に既に何人か集まっているようで、まばらに人影が見えた。まるで僕らのバランスを崩そうと躍起になってるような、ぐちゃぐちゃの砂達を踏みしめながら、一番そばの人影に近づくと、相手も気づいたようで、その小柄な人影から人懐っこい声が発せられる。


「お?きたなー仲良しカップル!おつかれさま~」


雨足がまた少し弱まってくれているおかげで、近くで話す分には十分聞き取れる。シルエットが動く。どうやら、右手を肩口前で小刻みに震わて挨拶をしている。その声、背丈、仕草で誰かわかる。


サポートスタッフの湯田雪来由紀(ユタユキコユキ)さんだ。


さて、またしても脱線してしまうが、「対応スタッフ」という名称は組織の他の部署、「研究スタッフ」や「運営スタッフ」などとの大別として用いられる呼称である。(そしてそれら全てに別の呼称が存在する。例えば対応スタッフは「現場対応チーム」と呼ばれていたが。呼ばれていたというのは、最近は名称の混濁を避ける為に統一が図られ、その機会は減っているからだ。)


対応スタッフの中にも役割毎に付けられた名前があり、ざっくりと書けば以下の様になっている。


斥候を行う「ポイント」後方支援を担当する「サポート」直接外敵の破壊を行う「ハンター」破壊活動の阻止に徹する「キーパー」避難誘導を行う「コンダクター」チームの班長たる「リーダー」


このうちサポートも更にメディックと別れたりするので少々ややこしい。僕もその全てはちょっと把握していない。最初に名付けを行った者に話を聞きたい気分にいつもさせられる。(多分横文字があまり得意ではないけど使いたい人なのだろう、と勝手な妄想を抱いている。)


湯田雪さんはそれこそメディックとして僕らのチームに所属する先輩だ。僕は湯田雪さんが好きだ。だれにでもいつでも笑顔で話しかけていくし、言葉がまっすぐで明るい。ぱっと花が咲いたように笑ったかと思えば、不正などには果敢に立ち向かう勇気をもっている素敵な方だ。僕は嬉しくて弾む声もそのままに返事をする。


「おつかれさまです。いつもお早いですね。」「ありがとう!それは君達もだねぇ…って多境くん、なんかどろどろじゃん!大丈夫?」


多境は実は先ほど災難にあった。僕らが足蹴にした水たまりを、そばを通った車がはね散らかして多境の全身に泥水を塗りたくったのだ。哀れな多境が遮蔽物となり、僕はそれほど被害を被らずにすんだというワケだ。雨で落ちるかと思われたし、僕ら的には振り落とし切ったつもりだったが、よくみてみると全然だった。


「ああ、さっき………この人がはしゃいで泥水をかけてきましてね」


僕を親指で指さす。


裏切り者め。断じて事実無根である。


「え~マジで?ひっどーそんな人だったのゆーくんは!?」「いや信じないで!?」「おうお前ら、来てたのか。…朝から元気だな」


僕らの後方から太く低い、これまた聞きなれた声がしたので振り向く。やたら大柄なシルエットだ。縦に長いし、がっちりとしている。


「ねー繋上川(ツナカミカワ)さん、ゆーくんがまたスーくんにイタズラしたんだって!」「人聞き悪っ!」「あーしぁーない、それがこいつらの愛のカタチなんだから。もういっそ受け入れてやれ」


ちゃっかりホモ扱いに乗っかってくる繋上川さんは、僕らが所属するチームのリーダーだ。皮肉や軽口をたたきこそすれ閉めるところは閉めるし、僕らのモチベーションにかなり気を配っていると常々感じている。僕はこのおじさんのことも密かに尊敬していた。とやかく言う人もいるが、基本的に良い人なのだ。稀に発言がモラハラめいてるけど。


「つなかみさん、フデアラくんから連絡がないんですが…ああ、おはようカップル、またイチャイチャしてたの?」「おはようございます哘道(サソミチ)さん、もうホモでもなんでもいいや…」


僕がなげやりになるとすかさず多境が口をひらいた。


「サソミチさん、それ失礼ですよ!きくひとがきいたら炎上するか、絵になって売られちゃいますからね!」


そういう問題なのか?と思ったがもうこんな話題は早く流してしまいたいのでつっこまないでおいた。黙して語らずの実践である。サソミチさんがそのか細い体を少し縮こまらせて、右手を口の前で握りしめながら独特な笑いを漏らす。


「くっくっくっくっく、まぁ末永く仲良くやってよ~。…それで、どうしますかツナカミさん、斥候が音信不通なんて僕も初めてなんですが」


サソミチさんは繋上川さん含めほぼ全員をあだ名で呼ぶが、そんなことより、気になるのはフデアラくんこと筆嵐(フデアラシ)くんのことだ。斥候、ポイントの筆嵐くんは僕らとほぼ同年代の若い男の子で、一見チャラくさく見えるが実は礼儀正しい後輩の鑑のような人だ。普段はキャップにスウェットにダウンジャケットかシャツという、らしい恰好をしているが、必ず自分から笑顔で挨拶をし、ご飯を食べにいけば有り余る気配りをみせつけてみんなから「年下とは思えない」「その歳にしては落ち着いてる」などとしきりに言われるのだ。そのたびに「サソミチさんにかないませんよ」とか「僕なんてまだまだですよ」と謙譲してくるのだった。そんな筆嵐くんは報告・連絡・相談も適切にしっかり行うと定評がある為にポイントを任されて久しいが…。何かあったのだろうか。機材の故障?そんな話はきいた事がないし、自分の端末で連絡をとる事も可能なはずだが…。


僕がそんな事を考えてるうちにツナカミさんはサソミチさんを連れて簡易設営の基地へ向かっていってしまった。その間何かを話し合っていたが、雨足がまた強くなってきたこともあり、遠ざかる不たちの声は聞き取れなかった。


不穏な空気に顔をしかめる僕に多境が意見する。「あのフデアラくんが連絡をよこさないとは考えづらいよな。事故でも起きたんじゃないか?ちょっと探してきていいかってツナカミさんに相談してくるよ…mぁ、ダメ元でな」


今日はやけに苦笑しがちな多境に生返事をしつつ、再び思案に耽ろうとした僕の元に湯田雪さんが近づいてきてちょんちょんとつついてくる。なんだろうと思って返事をしたら、彼女は悪戯っぽく眦を下げながら、言い放った。


「売られたら、私は絶対買うからね?」


一瞬なんのことかわからなかった。多境にいやそうな顔で小突かれて漸く察した。


なんてこった…。


湯田雪さんはツナカミさんたちを追って、ぴょんぴょん跳ねる様に、楽しそうに走っていく。此方を向いていた多境は、諦めたように両手を上げるポーズをしてから、踵を返してテントに走っていった。簡易設営基地テントの遮光カーテンを、恐らくツナカミさんが開いた。あたりが少し明るくなるのを茫然と見やる。僕はただ、湯田雪さんの趣味を受け入れる算段を考えはじめてしまっていた…。


それどころではないとはまだ、思えていなかった。

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