中:マフィア

 中原 中也は森 鷗外に渡すべき書類を手に、執務室を訪れた。

 部屋の入り口では特に何も言われず通される。だから、鷗外はいるものと思っていた。

 遮光性の高い膜に覆われた部屋の明かりの下、まったく違う人物が茶をすすっていた。

「おや、中也、どうかしたかえ?」

 尾崎 紅葉が振りむくと、着物の布の擦れる音がさらりとした。

 紅葉がいることは想定できても、ついていかない状況が一つある。

「……なんで、姐さんだけ……」

「まぁ、首領殿は出かけたぞ」

「どこに?」

「そこの、催し初日だからと言ってのう」

 商店街の秋に行われる特売の催し。商店街全体がにぎわい、一般的に楽しい。

 が、ふらりと出かけた人物はポートマフィアの首領である。

「……人込みに? 護衛は、止めなかったんです? それより、催し前に買い物出かけてませんでしたっけ?」

 中也は紅葉への非難と現状確認が湧きあがり、返答を待たずに続けていた。

 紅葉は「どうであろうのう」と茶を飲み、ふぅと息を吐いた。

 やんわりと止めて、ふらりといなくなったというのが正解かもしれない。

「催し前に招待状をもらい行った店もあるがのう……あの人混みの活気がよいそうじゃ」

「……いや、そういうもんですか」

「さあ?」

「狙われるとかは考え……」

「そもそも、人込みで狙うとなると、相当の実力があるか、何か策があるか、もしくは全く無策かのいずれかじゃ」

 理由を聞けば狙う奴は狙うし、やめる奴はやめるというあいまいな認識。

 どういう者が首領を狙うかなんてわからない。恨んでいる者もいるだろうし、功名心に駆られる人もいるだろう。

 中也は手にした書類を見て、自分が今できることはここにないと判断した。

 それなら、鷗外と合流した方が有意義だ。

「行ってきます」

 紅葉は見送り、「せわしないのう」とお茶を飲み干す。

「見つけられるのかは知らぬが……どうなるかのう」

 特売催しは一店舗ではない。

 商店街全体を見てどこにいるかわからないと、あちこち回る羽目になる。

「まぁ、何もなければ、それは楽しいのかもしれぬなぁ……」

 自分は出かけることはせず、新たに茶を淹れつつ、思い出したことがあった。

「中也に、あそこのウメどらでも買ってこさせようか……」

 携帯電話を手に、買い物を頼むことにしたのだった 。


 商店街の催し当日の朝、とある家。

 樋口 一葉は妹にたたき起こされていた。

「お姉ちゃん! 服買いに行くんでしょ! 約束したよね」

 反応は「んー」とだけある。それを反応と言っていいのか非常に困るが、きっと何度もすればもっときちんとした反応になるはずと、妹は対応する。

「……お姉ちゃん!」

 目が開かない樋口は「あと、五分……」と舌も眠る口調でいうのだった。

 一応、五分後にまた起こすが、まったくダメだった。

 何度か「んー」という反応後、やはり「あと、五分」をもらう。

 それが何度か続き「もう、聞き飽きたよ……」と妹はあきらめた。

 今日の日程はどうしようか、店が開いている時間に出かけられるのか……無理だろうなと結論が浮かんだ。

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