第3話 「治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て」

慶応大学「自主独立・自主独往」の精神

慶応大学の日本拳法というのは、まさにこの精神が如実に表れています。

早い話が、以下の二本のビデオをご覧になれば、慶応(大学)の日本拳法=「自主独立・自主独往」の精神が理解できます。

彼らの日本拳法とは、まさに、2023年8月23日に甲子園で優勝した慶應義塾高等学校野球部「エンジョイ・ベースボール」そのものです。


大学日本拳法における慶応は、心から日本拳法を楽しんでいる様子が窺えます。

人の技術をいかにうまくコピーしようか、伝統という権威・殻で自分を強く見せよう、なんて下世話で俗っぽいことには無関心。また、(優勝という)権威に縛られない・囚われずに、自由で伸び伸びした日本拳法を一人一人が楽しむことに重点を置いている。

「慶応」というのは、少なくとも高校と大学のスポーツ世界では「自主独立・自主独往」の精神で一致しているかのようです。

<引用開始>


Note版 大学日本拳法の新セイバー・メトリクスV.3.1

https://note.com/masato_hiraguri/n/n7356c5481c96


2023年8月25日 平栗雅人

より、抜粋


第12話 慶應義塾大学日本拳法部における新セイバー・メトリクス

  慶應義塾大学日本拳法部の場合もまた、学生一人一人が自分の身体能力・特長を活かした自分なりの日本拳法を創り出すことで、大学日本拳法を(個人的に)楽しもうという考えのようです。

2020年・2021年の慶應義塾大学日本拳法部の試合映像(大商大VS慶應義塾大学)


<大商大新聞部のYouTubeでの動画>

○ 2020全日本学生拳法選手権大会 大阪商業大学vs慶應義塾大学

https://www.youtube.com/watch?v=nm7zSmnaSxM


○ 2021全日本学生拳法選手権大会 大阪商業大学vs慶應義塾大学

https://www.youtube.com/watch?v=-QJJhHQdMK8


  慶応大学の拳法というか拳法の追求の仕方というのは、一種マニアック(凝り性)と言えるほど、自分(たち)の拳法を「作り出そう」とする意志が強い(と私は感じました)。  良く言えば個性的、たまに行きすぎる人がいて、そんな人はナルシスト(自己陶酔)的なスタイルなんですが、見ている方は楽しめます。

 「自分の拳法・自分のスタイルを創造する」ことに、楽しみと意義と成果を見い出そうとする。優勝トロフィーという権威以上に、本当に自分で自分に満足できる域に達することに至上の喜びを得る。

ノーベル賞だのアカデミー賞だの、総理大臣賞だとかギネスといった「世間の承認」なんて気にしない。司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」における主人公(たち)のように、(学生時代は)白い雲だけを見てひたすら坂を上る(勉強する・部活する)ことが許される(学校)環境というのは、幸いかもしれません。 つまり、私の大学時代のようにアルバイトだの女の子だの、雑念ばかりで学生時代に余計なことばかりやっていた人間は、たとえ私にいくらカネがあっても頭がよかったとしても「慶応ボーイ」にはなれない、ということ。  俗に「エエとこのボンボン」とか「お坊ちゃま」といわれる人間というのは、小学校・中学校・高校・大学と、その時の「やるべきことだけをやれば生きていける」環境にある人のことであって、単に「金持ち」ということではないのです。

立命館大学(経済学部)で日本拳法をやられていた方が、卒業後、京都大学の理工学部に入学して機械工学を学び、現在は東大でロボットの研究をされている、という新聞記事を何年か前に読んだことがありましたが、「頭とカネ」のある人は、「自分の好きなことで飯を食う」ことができる、というのは特権なのか運なのかわかりませんが、有り得ることです。

(もっとも、頭やカネがなくても「同じ幸せ」をホームレスで実現する人も、世の中には存在しますが。)

<もう一つの早慶戦>

最近の早稲田大学日本拳法部というのは、やたらと警視庁とか自衛隊といった権威や権力の殻に包(くる)まることで、自分たちの存在感を確保しようとしているように見える。  内なる自分が自覚するのではなく、人に向かって誇示することで自分の存在を確信できる。これが彼らの存在感の証明というスタイル(だというのが、最近の早稲田を見ての個人的な感想です)。

   40年前は、(いい意味で)もっと単純にスポーツ・武道としての大学日本拳法をガンガンやって(楽しんで)いた、という気がするのですが。

  

  一方の慶應義塾大学日本拳法部とは、自分たちそのものの行動力・行動形態(スタイル)、そして心の一致・一体感によって、自分自身で自分の存在感を自覚することに喜びを見い出そうとする(ように私には見えます)。 これが行きすぎると「ナルシスト」になるのですが、観客として彼らを見る立場からすれば、「大いなる自己満足」という(無邪気な感じを受けて)楽しめます。

まあ、早慶両校の体質の違いであって、良い悪いはないわけですから、その違いでも楽しませて戴きましょう。

<引用終わり>

続く

2023年9月21日

V.1.1

平栗雅人

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