『ドール趣味』中編
翌朝、私はリリィ先輩と、電車の中で待ち合わせをした。通勤でも使っているK電車。私が先に乗り込んでいて、先輩は
「おはようございます。先輩」
「おはよう、モモさん。お仕事以外で職場の人に会うのって、変な感じね」
そう言いながら、リリィ先輩は何だか嬉しそうに、ふふと笑った。
「その中に、ルナ君がいるんですね?」
今日の先輩はお出かけ用の鞄と、細長い筒状の鞄(スタイリッシュなスポーツバッグのよう)を持っていた。
「そうなの。ルナ君と、明日は楽しみだねって話してたんだ」
鞄越しに、先輩は愛おしそうな眼差しを送っている。その姿が素敵で、私は思わず笑顔になる。
「今日はよろしくお願いします、リリィ先輩」
「こちらこそ。よろしくね、モモさん」
※
私たちは途中電車を乗り換えて、目的地にたどり着いた。
最寄駅から少し歩くと、無機質な外観の建物があった。「妖精の里」と入り口に書かれているが、事情の知らない人が見たら、一体何の施設なのか分からないと思う。
外観と同じ灰色の門は、まだ固く閉じられていた。5人ほど入り口の前に列を作っている。
「時間になると、係の人が入る前に身分証明書を確認するの。今のうちに用意しておいてね」
リリィ先輩は鞄をゴソゴソし始めた。
「分かりました。ここは会員制なんですね」
「そうなの。私が会員だから、モモさんは私と一緒なら入れるよ」
先輩曰く、普段は会員とその同伴者のみしか入れないそうだ。どんな施設なのか、私はドキドキしながらその時を待った。
オープンの時間になった。
白と黒を基調とした服装の女性が、奥から数人現れる。並んでいる来館者は、身分証明証を念入りに確認されると、順番に中へと入っていく。
私たちの番になった。持っていた保険証を見せると、係の人は用紙に名前などを書き込んでいるようだった。(その後何度か先輩に連れてきてもらったけれど、なぜそこまでしっかりされているのかは不明である)
手続きを済ませると、私たちは門をくぐる。左手には日本庭園があった。正面にはメインの灰色がかった建物があって——ガラスの扉を開けると、そこはすぐ受付だった。
「受付で喫茶室のケーキを予約するの。どれにする?」
「季節限定もあるんですね!」
私たちはそれぞれ、受付の人にお金を払ってケーキを予約して——喫茶室でケーキと交換できるカードを受け取った。
「大丈夫? 行こっか」
先輩は早く奥へ行きたくて、ウズウズしているように見える。私はお財布をしまって「はい」と返事をした。
「入ってすぐのところにね、大きなテーブルと椅子がたくさんあるの。そこでルナ君を出して準備するね」
リリィ先輩の後について行く。先輩の言った通り、受付からすぐのところに大きな木でできた立派なテーブル(20人くらいは使えそう)があった。テーブルの周囲には、座り心地が良さそうな、アンティーク調の背もたれのある椅子が並ぶ。(“調“と言ったけれど、本当にアンティークの家具かもしれない。天井のシャンデリアも美しい!)
そのうちの一脚に腰掛けて、先輩は私に手招きをした。
肩に掛けていた筒状の鞄を、リリィ先輩はそっと、丁寧にテーブルの上に置いた。
「モモさん、荷物を見ていてもらえる? 私、手を洗ってくるから」
「良いですよ。行ってきて下さい」
「ありがとう。すぐに戻るから!」
そう言って、小走りにお手洗いへと向かうリリィ先輩。私はあたりを見回しながら待つことにした。
不思議な空間だな、と思った。
ここにいる人たちはみんな
髪を撫でたり、衣装を着せたり、お互いの人形を見せ合ったり。そのうちに施設のあらゆる所で撮影会が始まる。
ここでは
「お待たせモモさん。手を洗うのに時間が掛かっちゃって」
ハンカチで念入りに手を拭きながら、先輩が戻ってきた。
「大丈夫ですよ」
私は笑って答えた。
リリィ先輩はいそいそと椅子に座ると、テーブルの上に置いていた、筒状の鞄のジッパーを下げた。
「ルナ君おはよう。今日は後輩のモモさんも一緒だよ」
鞄から、先輩がルナ君を取り出す——まるで生きている、小さな人間を抱き上げるようにそっと。とても丁寧に、気遣う仕草で、リリィ先輩はルナ君をテーブルに座らせた。
(私はこの時、気がついた。先輩はルナ君に触れる為、手を念入りに洗っていたのだと)
「こんにちは」
私がそう言って、ほんの少し近寄って覗き込むと、ルナ君と目が合った気がした。
写真で見るよりも、繊細な
「いくつか着替えの衣装も持ってきたよ。
「先輩にお任せです。私のことはそんなに気にしないで、いつもみたいに楽しんで下さい」
私がそう言うと、「ありがとう」と先輩は嬉しそうに答えた。
私たちはエレベーターを使って3階に移動した。先輩がお気に入りの撮影スポットには、別の人たちが撮影会をしていた。
「ここで待っていようか。この鏡の前に立たせて、ルナ君を撮るのも良いの」
リリィ先輩はコンデジで撮影している。(その数年後、先輩は一眼レフを購入する。もちろん
「先輩はどうして、
私は何気なく、ふと思ったことを尋ねた。
撮影を続けながら、リリィ先輩は言った。
「人間って分泌物を出すでしょ。汚いなと思うの」
分泌物——汗や
「あと、人間は嘘を
いつも優しく話しかけてくれるリリィ先輩とは、思えない発言だ。撮影を終えた先輩が、私を見た。
「私は、先輩に嘘を吐きませんよ。裏切ったりしません」
「……そうかな」
先輩は少し笑った。
「信じてもらえなくても良いですよ。でも、私はそんな事しませんから」
先輩は顔を背けていたけれど、私はその横顔を見つめてそう言った。
リリィ先輩はルナ君を抱えると、「あの人たち撮影が終わったみたい。あっちに移動しようか」と言って歩き出す。
「そうですね」
私も先輩の後を歩いた。
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