第7話 ベテラン宇宙人の話。
「先生、すみません」
「イヤイヤ、ぼくなら大丈夫だけど、麗子さんは、どこに行ってたの?」
「ちょっと、急用でして・・・」
この場は、何とか誤魔化すしかない。
「原稿の方なら、進んでるよ」
そう言って、先生は、書き上げた原稿を渡してくれた。
私は、急いでパソコンを立ち上げて、打ち込み作業に入った。
「あの、先生、彼女たちがうるさくしてすみません」
「気にしない、気にしない。むしろ、少しくらいうるさい方がいいよ。静かすぎるとなんだか落ち着かなくて」
先生は、明るく笑って、ペンを持った。
それから、しばらくの間は、原稿を書くペンの音とパソコンのキーを打つ音だけが部屋に聞こえるだけだった。
その間も、台所の方からは、彼女たちの賑やかな声が聞こえる。
「ところで、いったい、姫ちゃんたちは、何をしてるんだい?」
先生は、ペンを置いて、伸びをしながら聞いた。
「それが、昨日食べたラーメンがおいしかったらしくて、自分で作って見ようと思ったらしくて・・・」
「手作りラーメンか。いいね。食べるのが楽しみだよ」
「でも、期待しない方がいいと思いますよ」
そう言うと、先生も苦笑いするしかなかった。
「あの、先生、ちょっと聞いていいですか?」
「なんだい」
「先生のご家族って?」
プライベートな話だけに、どう聞いていいかわからず、そう言うしかなかった自分が少し恥ずかしくなった。
「姉がいるんだけど、両親は、ぼくが子供のころに事故で亡くしてね。それからは、姉がぼくの親代わりで今日まで育ててくれたんだよ」
「そうなんですか。それで、今は、お姉さんは?」
「結婚して、別に暮らしてるよ。ぼくのせいで、お嫁にいけないのはイヤだからね。高校を卒業すると同時に、一人暮らしを始めたんだ。姉には、今まで苦労ばかりかけて来たからね。幸せになってほしいんだ」
ここまで聞いて、私は、あることに気が付いた。よし、確かめてみよう。
「今更ですが、先生の下の名前は、ヒロシですよね?」
「そうだよ。珍しいだろ、今どき、ヒロシなんて。しかも、カタカナだよ」
私は、思い当たることがいくつもあった。パズルのピースが少しずつ合ってきた。
「先生が子供のころ、同じアパートに住んでいた、変わった少年のこと、覚えてますか?」
「そうだなぁ・・・」
先生は、腕を組んで少し考えていた。そして、膝をポンと打つと明るい顔になった。
「いたよ。思い出した。確かにいたな。毎日、いっしょに遊んでいたよ」
「その子の名前を覚えてますか?」
「う~ん・・・誰だっかなぁ。なにしろ、十年以上も昔の話だからなぁ」
先生は、しばらく考えていると、何か思いついたらしく、押入れを開けて何かを探し始めた。
「あった、あった。これだよ。これ」
そう言って、見せてくれたのは、一冊の古いアルバムだった。
「確か、みんなで写真を撮ったはずなんだよ」
そう言いながら、アルバムを捲っていると、一枚の写真を見せてくれた。
「この子だよ。名前は、確か・・・怪物くんと言ったな」
「怪物くん?」
「そう。ぼくは、そう呼んでいた。正確な名前は、覚えてない。だけど、みんなは、怪物くんて呼んでいたんだ」
一枚の写真に写っていたのは、子供のころの先生自身と、お姉さんらしい女性。
その隣に先生くらいの小さな男の子がいた。野球帽をかぶって、真ん丸の顔に丸い目。黄色のシャツに赤くて小さな蝶ネクタイ。青い半ズボンを履いた可愛い少年だった。この少年が、もしかして・・・
さらに、その後ろに映っているのは、黒いスーツを着たオールバックで目が細くて痩せたおじさん。
背が低くて小太りで坊主頭の中年の男性。そして、巨人のように大きく、顔にキズがある大きな男の人。
間違いない。この少年は、怪物大王の子供時代だ。この三人は、お供の家来たち。
「お~い、ラーメン出来たぞ」
彼女がそう言って部屋に入ってきた。私は、慌ててアルバムを閉じた。
「どうした? 何を見てるんだ」
「別に何も・・・」
「おかしいぞ。なにを隠してる。あたしにも見せてよ」
「その前に、ラーメンを食べましょう。冷めるとおいしくないからね」
私は、そう言って、話を逸らした。この写真は、決定的な一枚だ。
これを、彼女に見せていいのか迷った。見せるにしても、今でいいのか?
先生にも、意外な事実を話すべきか、考えてからにしようと思ったのだ。
私は、なんとかその場をごまかして、先生も誘って、台所に向かった。
「ラーメンで来たチュン」
「みんなで食べるニャン」
「ゲロゲ~ロ」
「麗子もイッチーも食べてみろ。うまいぞ」
確かに丼に盛られたラーメンは、見た目は普通のラーメンだった。
「それじゃ、いただこうかな」
「いただきます」
「いただきま~す」
全員で言うと、みんな揃って箸をつけた。そして、次の瞬間、全員が、同じことを言った。
「まずっ!」
「チュチュン」
「ウニャ~ン・・・」
「ゲロゲ~ロ」
「ちょっと、これ」
「これは、ちょっと・・・」
はっきり言って、おいしくない。スープは、味がない。コクもなければ風味もない。おまけに、麺は伸びてコシがない。
「これは、ラーメンじゃないぞ」
「う~む、かなり微妙だチュン」
「味もなければ、何も感じないニャン」
「ゲロゲ~ロ」
「これ、どうやって作ったの?」
「こら、ネコうなぎ、責任を取れ」
「え~、あっしですかニャン」
「スズメ男も同罪だぞ」
「吾輩もチュン」
「河童、適当に作り過ぎだぞ」
「ゲロゲ~ロ」
四人が、丼を片手に言い合いを始めた。
「まぁまぁ、初めて作ったんだから、仕方ないじゃないか。それに、慣れると、案外いけるぞ」
そう言って、市川先生は、四人を取りなしながら、ラーメンを啜っている。
「ちょっと、先生、無理しなくていいですよ」
「いやいや、これはこれで、うまいよ。それに、キミたちがぼくのために作ってくれたんじゃないか、それをまずいなんて、ぼくには、言えないよ」
そう言いながら、黙々とラーメンを食べている。
それを見た四人組も、黙ってしまう。
「ほら、アンタたちも、作った責任があるんだから、残さず食べるのよ」
私が言うと、彼女たちもラーメンを食べ始めた。
「初めて作った割には、よくできたと思うよ。次にがんばればいいんだから」
先生にそう言われて、四人も言い返すことができず、黙々とラーメンを食べた。
「ハイ、ご馳走様」
市川先生は、そう言うと空の丼を流し台に持っていく。
「イッチー、悪かったな。次は、もっと、うまいのを作るから」
「期待してるよ」
彼女は、しょんぼりしながらも先生に言った。
家来たちは、黙って丼を洗い始めた。
「ほら、元気出しなさい。誰だって、いきなり上手にできるわけないんだから。あの屋台のラーメン屋のおじさんだってたくさん失敗して練習して、うまくなったのよ。一度や二度の失敗で、しょんぼりするなんてアンタたちらしくないわよ」
私はそう言って、元気づけた。
「そうだな。よし、これから、うまくなるまで、練習するぞ。お前たち、ちゃんとやれよ」
すっかり元気になったとはいえ、やっぱり、作るのは、家来たちだった。
彼女らしいなと思った。さすが、プライド高くて、立ち直りが早いお姫様だ。
「そういや、さっき、麗子たちは、何を見ていたんだ? あたしにも見せてほしいんだけど」
私は、さっきのアルバムを思い出した。まずいラーメンに気を取られて、忘れていた。
どうしようか迷っていると、先生の方が先にアルバムを片手にキッチンにやってきた。
「これを見てたんだよ」
「なんだ、それは?」
「ぼくが子供のころのアルバムだよ」
「それは、興味深いな。見せてくれ」
彼女がそう言うと、先生もアルバムを開いて、一枚ずつ捲っていった。
私も覗くと、先生の子供時代の写真がたくさん残っていた。
後ろに映っている女性は、先生のお姉さんのようだ。
彼女たちは、先生の子供のころの写真を見て、楽しそうに笑っている。
「人間というのは、成長するもんなんだな。この子供が、イッチーとは、信じられないわね」
「そうか。でも、少しは、面影があると思うけどな」
そう言いながらページを捲り続けると、肝心の一枚の写真が見える。
「これ、誰だかわかるかい?」
彼女は、その一枚をじっと見つめている。
「この子供は、イッチーだろ」
「そうだよ」
「その後ろにいるのは?」
「ぼくの姉だよ」
「その隣にいる子供に、見覚えあるかい」
「イヤ、そんな子供は、全然知らないわ。お前たちは、知ってるか?」
彼女は、家来たちも呼んで、問題の写真を見せた。
家来たちは、その写真を覗くと、何かに気が付いたらしい。
「チュチュん!」
「ウニャぁ~」
「ゲロゲ~ロ」
三人は、腰を抜かしたのように、床に座り込んで、体をブルブル震わせている。
「どうした、お前たち?」
「そ、それは・・・」
「スズメ男、ハッキリしろ」
「そ、それは、大王様でチュン」
「ハァ? 大王様だと? てことは、あたしの親父のことか」
「そうですチュン」
「バカなことを言うな」
彼女は、最初から信じていない。笑って相手にする気もない様子だ。
しかし、スズメ男はもちろん、他の家来たちは、怖くて口も利けない感じだ。
「姫ちゃん、家来たちが言ってることは、ホントのことよ」
「麗子までが、何を言ってんだ。あたしの親父は、こんな子供ではない。もっとでかくて、恐ろしいんだぞ」
「だから、そのお父さんが、子供のころの写真なのよ」
「まさか。そんなバカな・・・」
「ホントよ」
「ウソだ! あたしの親父が、こんな子供のはずがない」
彼女は、プイと横を向いてしまった。すると、先生が彼女に声をかけた。
「この子が、キミのお父さんなのかい?」
そう言うと、彼女の代わりにスズメ男が言った。
「間違いないチュン。それに、その横に映っているのは、三匹の家来たちチュン」
「家来?」
「そうチュン。これは、ドラキュラ伯爵。こっちは、狼男侯爵、後ろにいるのは、フランケン将軍に、間違いないチュン」
私は、穴が空くほどその写真を見詰めた。
「ほら、姫ちゃんも見てみなさいよ」
私は、無理やり肩を掴んで顔を写真に向けた。
「この少年は、ぼくの親友で、怪物くんて言うんだよ」
「か、か、怪物くんで言ったニャン」
「そうだよ。キミは、知ってるのかい?」
「知ってるも何も、大王様の子供時代の名前ニャン」
「それじゃ、ホントに、この子供は、あたしの親父なのか?」
「そうよ。正真正銘、あなたのお父さんよ」
彼女は、目が零れるのではと思うくらい、その写真を見詰めていた。
「麗子さん、それじゃ、怪物くんは、この子のお父さんなのかい?」
ついに、先生もそこに気が付いてしまった。なんて言ったらいいか・・・
「実は、そうなのよ」
「そうなのか・・・そうだったのか。キミが、怪物くんの娘とはねぇ。これも、運命なのかな」
そう言って、市川先生は、しんみりした顔になった。
「姫ちゃん、わかった」
すると、彼女は、黙って静かに頷いた。
「先生、彼女のお父さんは、怪物王国の大王様になっているの。それでね、この子を自分がした時と
同じように、人間界で修行させようと思って、この世界によこしたのよ」
「なるほど。そう言うことだったのか。なんとなく、キミは、怪物くんに似てる気がしてたんだ」
「あたしが?」
「そうだよ。キミは、怪物くんにそっくりだ。気が強くて、人の言うことなんて聞かないし、わがままで、いつも家来たちを怒鳴っていた。でもね、ぼくには、とても優しくて、いつも笑顔で毎日、いっしょに遊んでた。今頃、怪物くんは、どうしてるかなって、いつも考えてたんだ。それが、大王様になってるなんて、思わなかったよ。それに、キミみたいな可愛い娘がいたなんて、偉くなったんだなぁ。ぼくは、ホッとしたよ」
先生は、しみじみとした口調で話を始めた。その顔は、昔を思い出しているような、優しい顔だった。
「ある日、突然、怪物くんは、家来たちと姿を消してしまったんだ。ぼくは、毎日、探し続けた。帰るなら帰ると、ちゃんとさよならを言いたかった。だって、ぼくと怪物くんは、親友だからね」
「親友? イッチーは、親父と親友なのか?」
「もちろん。ぼくと怪物くん・・・いや、大王様って呼ばなきゃいけないのかな。
親友だよ。もっとも、大王様は、どう思っているかわからないけどね」
「そんなことありません。大王様・・・いえ、怪物くんは、今でも、先生のことを親友と思っています」
「そうだといいんだけどねぇ」
「先生、もう一度、怪物くんに会いたいですか?」
「そりゃ、会ってみたいよ。でもさ、ぼくのことなんて、もう、忘れてるかもしれないじゃないか。もう、何十年も昔のことだよ。今じゃ、大王様になって、ぼくのことなんて、覚えてないよ」
「いいえ、覚えています。だって、親友同士なんでしょ。忘れるわけがありません」
「そうかなぁ・・・」
「だったら、会ってみたいですか?」
「そうだね。もう一度、会いたいね。いや、でも、やめておこう」
「どうして?」
「だって、ぼくは、売れない作家で、冴えない男だよ。大人になっても、こんな貧乏暮らし。それに引き換え、怪物くんは、大王様になってるんだろ。もう、会えないよ」
「そんな・・・」
「怪物くんとは、子供のころの思い出として、大事に取っておくほうがいいかもしれないね」
先生は、大王様と同じことを言っている。だったら、考えてることも同じだ。
それなら、会った方がいい。会うべきなんだ。私は、そう思った。
「だけど、不思議な縁だね。怪物くんの娘が、ぼくの前に現れるなんて・・・」
「ねぇ、イッチー。親父のこと、親友って言ったよね」
「言ったよ」
「だったら、その娘のあたしのことは、どう思っているんだ?」
そこが肝心なことだ。彼女は、先生を見ながらハッキリ言った。
「決まってるじゃないか。お父さんと親友なんだから、娘のキミとも親友だよ」
市川先生は、彼女の目を見ながら言った。ニッコリ笑いながら、当たり前じゃないかという感じだ。私は、その一言で、胸のつかえが降りた気がした。
「よし、あたしが、親父を連れてくる。あたしがイッチーと合わせてやるわ」
いきなり、彼女が言った。その目は、決意に満ちた目をしている。
いやいや、それは、いくらなんでも無理でしょ。親子とはいえ、娘のそんなわがままを聞くような大王様じゃない。
でも、もしかしたら、市川先生のために、会いに来るかもしれない。本人だって、会いたいって言ってたし・・・
「いいんだよ、無理しなくても。怪物くんは、ずっと、ぼくの心の中にいるんだから」
「先生。もしかしたら、ホントに会えるかもしれませんよ」
先生の一言に、私は、黙っていられなかった。
「姫ちゃん、お父さんを呼んで」
「任せとけ。あたしの親友のためなら、親父なんてどうってことないわ。イヤ、親父が嫌だって言っても絶対連れてくる。首に縄を付けてでも、連れてきて見せるわ。だって、親友のイッチーのためだもん」
そう言って、胸を張る彼女だが、家来の三人は、顔を見合わせて、難しそうにしていた。やっぱり、期待しない方がいいかもしれない。
私は、ホッとしたのと、複雑な気持ちを抱いた。
そんな気持ちを持ったまま、私は、原稿を持って出版社に戻ることにした。
もちろん、彼女たちには、先生の邪魔をしないように、きつく釘を刺したのは、言うまでもない。
「遅くなりました。今、戻りました」
「遅い! 何してんだ」
編集部に戻るなり、いきなり編集長の雷が落ちた。
「すみません。でも、原稿は、いただいてきました」
「すぐにそれを校正部に回せ。それと、発売日も決まった。営業部にハッパをかけて来い。それと、市川先生にも、ちゃんと説明しておけよ。出版契約書にサインをしてもらうのを忘れるな」
「ハイ、明日、早速、行ってきます」
私は、そう言って、まずは、営業部と校正部にお礼を言いに行った。
久しぶりの先生の本なので、営業部も気合が入っている感じで、早速、書店に営業をかけるらしい。私は、安心して、この日は、帰宅することにした。
だけど、なんとなく、このまま帰るのも気が乗らなくて、屋台のラーメン屋に行くことにした。今夜は、一人でいたくない気分なのだ。同じ宇宙人のおじさんに話を聞いて欲しかった。
すっかり暗くなった道を一人歩いて、いつもの川沿いに歩くと、住宅街の向こうに
赤い提灯の明かりが見えた。よかった、今夜は、屋台が出ている。私は、自然と、早足になった。
「こんばんわ」
「いらっしゃい」
「ラーメンとビールをちょうだい」
「ハイよ。あれ、今日は、一人かい? 賑やかなお嬢ちゃんたちは?」
「今夜は、一人の気分なの。ごめんなさい」
「そうかい。そんな日もあるさ」
そう言って、ビールを出してくれた。このご時世に、珍しい瓶ビールだ。
私は、コップについて、一口飲んだ。
「なんか、いいことでもあったのかい?」
「わかる?」
「アンタの顔を見て、ピンときたよ」
さすが、ベテラン宇宙人だ。私の顔を見て、すぐにわかるとはさすがだ。
私は、本の出版のことではなく、運命的な出会いを果たす、大王様とその娘と市川先生の話をした。
ラーメンを作りながら黙って聞いていたおじさんは、私の方に顔を向けると湯気の中から返事をした。
「アンタも、人間のことが少しはわかってきたみたいだな。このまま、いっそのこと、地球人になれば?」
思わぬ一言に、私は、ビールを咽てしまった。
「ちょっと、おじさん。何を言ってるのよ」
「アンタも、気持ちが揺らいでいるんじゃないのか」
確かにそうかもしれない。今の私は、大王様と市川先生の友情に胸を撃たれている。
そんな市川先生のことというか、人間と人間ではない者同士の繋がりに、宇宙人の私はかなり動揺しているのは確かだった。
「言われてみれば、私は、ちっとも人間のことを理解してなかった気がするのよ。
それなのに、あんな小さな女の子のが、ずっと、人間を理解していた。あの子より、私のが修行が足りないわね」
「そんなことないさ。もっと、自信を持っていいんじゃないのかい。アンタは、人間の世界で、立派に仕事をしてるじゃないか。
ハイよ、ラーメンお待ち」
「ありがと」
私は、ラーメンを受け取ると、カウンターに置いて、割り箸を割って、まずは一口食べる。いつもの味で、安心のおいしさだ。
「仕事って言っても、私が本を書いているわけじゃないし、私は、作家先生のお手伝いをしてるだけよ」
「それだけとは、思えないけどね。あのお嬢ちゃんとお父さんのこともそうだけど、作家先生との出会いは、アンタがいたからできたことだろ。侵略宇宙人なのに、いいことをしたな」
なんだか、先輩宇宙人のおじさんに褒められて恥ずかしくなった。
私は、ビールを煽って、勢いよくラーメンを啜った。
「私なんて、まだまだよ。もっと、地球人のことを知らないと、侵略宇宙人なんて言えないわ」
「まだ、侵略する気はあるんだ?」
「もちろん。それが、私のホントの仕事だもの。私は、この星を侵略するために、派遣されたのよ」
「だけど、肝心の侵略する日は、決まってるわけじゃないし、侵略すると決まったわけじゃないだろ」
「それは、そうだけど・・・」
なんとなく、地球侵略という仕事に自信がなくなってきている自分に気が付いた。
私は、ラーメンを食べていると、おじさんがこんなことを言った。
「自分がしたいことをしてもいいんじゃないのかな。自分は、ホントは、何をしたいのか。考える時間は、まだ、あると思うけどな」
私は、それに対して、何も言えなかった。確かにそうだけど、私には、余り時間がない。
自分は、どうしたいのか? 何をしたいのか? そんなことは考えたことがない。
私は、本星の言われるままに、地球に来て、侵略のための足掛かりを作る。
何の疑いもなく、その通りにしてきた。それに対して、何のためらいもない。
だけど、今は、なぜかスッキリしない。このまま仕事をしてもいいのか?
ホントに、地球を侵略してもいいのか? 今は、迷いがある。
「悩んだり、迷ったりするのは、なにも地球人だけじゃない。宇宙人だって、悩んだり、迷ったりすることはあるんだよ。自分に素直になって、答えが見つかったら、それでいいじゃないか」
私は、何を迷っているのだろうか? 地球侵略のことだろうか?
市川先生と彼女たちに出会うことがなければ、迷うことはなかっただろう。
このまま、自分の仕事を遂行するだけだった。それが、彼女たちと出会って、何かが変わった。
もしかしたら、私は、地球人に近くなったのだろうか?
答えが出ないまま、ラーメンを食べ終えて、すっかりぬるくなったビールを飲んだ。
「あっ、いたいた」
「やっぱり、ここだったのか。探したよ、麗子さん」
声が聞こえて振り向くと、市川先生と彼女たちがいた。
「先生! それに、姫ちゃんも・・・」
「みんなで焼鳥屋に行ったんだけどね、満員で入れなくて、ラーメンを食べに行こうって、彼女たちときたんだよ。せっかくだから、麗子さんも誘おうと思ったんだけど、連絡がつかなくて探してたんだ」
「きっと、ここにいると思ったのよ。おじさん、ラーメンとコーラをちょうだい」
「あいよ」
そう言うと、先生は私の横に座って、ビールとラーメンを注文した。
彼女と家来たちは、傍のベンチに座った。
「どうした? なんか、元気がないようだけど」
先生が心配して、私の顔を見て言った。もちろん、ホントのことは言えないので、黙るしかない。
「もしかして、地球侵略のことかな?」
「えっ!」
私は、驚いて思わず声に出てしまった。
「もしかして、図星だった?」
先生は、そう言うと、軽く笑った。でも、私は、笑えない。
「ごめん、余計なことだったね」
「そんなことはないです」
「ぼくは、別に、気にしないけどな。例え、侵略されても、麗子さんになら、いいかなと思うよ」
「そんな軽く言わないでください」
「ごめん。また、余計なことを言ったね」
「いえ、私の方こそ、ごめんなさい」
それきり、先生は、黙ってしまった。なんとなく、雰囲気を壊した感じがして、いたたまれない。
「ハイよ、ラーメンとビール」
「ありがとう。麗子さんも一杯飲んでよ」
そう言って、先生は、私の空いたグラスにビールを継いでくれた。
ベンチに座っている彼女たちも、ラーメンをもらって食べている。
「すみません、いただきます」
私は、そう言って、ビールを一口飲んだ。後ろのベンチでは、相変わらず、賑やかだった。
「これよ、これ。なんで、この味が出ないのよ」
「そう言われても、吾輩たちは、初めてだったチュン」
「作り方なんて、知らないニャン」
「ゲロゲ~ロ」
「それにしても、この黒い飲み物は、いつ飲んでも、おいしいわね。癖になるわ」
「こんな飲み物は、王国にはないチュン」
「これを大王様にも飲ませてあげたいニャン」
「ゲロゲ~ロ」
そんな賑やかな声を聞いていると、悩んでいた自分の気持ちが少しは、晴れてくる気がした。
「おじさん、昼間、あの子たちがラーメンを作ってくれたんだよ。でも、このラーメンみたいにはいかなくてね」
「そうかい。ラーメンなんて、誰でもできると思うけど」
「イヤイヤ、このラーメンは、最高においしくて、自分たちで作ってみようと思ったらしいんだ。そんなに簡単なもんじゃないってことが、わかったよ」
そう言えば、昼間に、まずいラーメンを食べたことを思い出した。
ここのラーメンに感激して、作ってみようと思った彼女たちの気持ちはわかるけど、
そんな簡単なことじゃない。それが、わかったなら、彼女は、また一つ、地球人の気持ちを理解したということになる。それに引き換え、私は、まったく地球人になり切れていない。
「そうだ。アンタたち、おじさんにラーメンの作り方を教えてもらってきなさい」
「え~っ! それは、無理チュン」
「そうニャン」
「ゲロゲ~ロ」
「それじゃ、あのまずいラーメンをまた、作れっていうの?」
そう言われて、三人の家来たちは、黙ってしまった。
「今度こそ、おいしいラーメンをあたしたちで作って、イッチーとパパに食べさせてあげるのよ」
「先生と大王様にチュン?」
「それは、いい考えニャン」
「ゲロゲ~ロ」
「そうよ。パパとイッチーの感動の再会には、ラーメンが必要なのよ」
なんだか、違うことで盛り上がっている。少し前まで、大王様のことを、クソ親父とか言ってたのに今は、パパと言っているのが、なんだかおかしかった。
「おい、こいつらにラーメンの作り方を教えてやってくれ」
いきなり、彼女がおじさんに迫ってきた。
「ちょっと、待ちなさいよ。いきなり、そんなこと言っても、無理に決まってるでしょ」
「いいじゃないか。こんなうまいラーメンは、食べたことがないんだ。怪物王国に戻ったらあたしたちで、ラーメン屋を開いて、みんなにも食べさせてやりたいんだ」
「姫ちゃん、屋台のラーメン屋でも、企業秘密とかあるんだから、無理を言っちゃダメだよ」
市川先生までが、彼女をたしなめる。
「いいよ。こんなラーメンでよければ、何でも教えてやるよ」
「ホントか!」
「わしのラーメンを、こんなにおいしそうに食べてくれる可愛いお客さんの頼みだ。断ったら罰が当たる」
「ちょっと、おじさん。いいの。迷惑じゃないの」
「心配しなさんな。このラーメンを怪物王国とやらでも流行らせてくれて、たくさんの人に食べてもらえるならうれしいじゃないか」
おじさんは、皴だらけの顔を更にしわを寄せて、うれしそうな顔をして言った。
「そうと決まれば、スズメ男、ネコうなぎ、河童、ちゃんと教わって来い。失礼なことをしたら、あたしがぶっ飛ばすから、失礼なことがないように、きちんとするのよ」
どっちが失礼なんだかわからない。彼女の方が、家来たちより、100倍失礼じゃないか。私は、吹き出しそうになった。そして、家来たち三人は、おじさんにラーメンの作り方を教わっている。丁寧に教えてくれたおじさんの言うことを、ちゃんとメモを取りながら聞いている。
彼女より、家来たちのが、よっぽどちゃんとしている。
「まずは、スープを取るには、出汁が命だから、鶏ガラを時間をかけて煮るんだ。
そのときに出る、アクは、丁寧に掬うと、透明できれいなスープができるんだよ」
そんな家来たちのことを見ていると、微笑ましくなるから不思議だ。
この三人は、怪物王国から来た、本物の怪物たちなのに、その姿を見ると、それすら忘れてしまいそうだった。
「麗子、なんか、悩みごとでもあるのか? 宇宙人らしくないな。あたしたちは、悩み事なんてないぞ」
「そりゃ、そうでしょ。姫ちゃんたちは、人間じゃないんだから」
「麗子だって、人間じゃないだろ」
「悩みっていうのは、人間にしかないの。それを、理解しないと、人間をわかったことにならないんじゃない。姫ちゃんも修行が足りないわね」
「フン、そんなことは、時間の無駄よ。あたしは、これでも、修行してるんだからね」
「修業ねぇ・・・」
「お前、本気にしてないな。よし、教えてやるから、よく聞きなさい」
彼女は、私の方に体の向きを変えると、鼻息荒く話を始めた。
「人間ていうのは、自分で考えるということが苦手だ。何でも命令されないと、自分でどうしたらいいのかわからない。そこが、あたしたちとは、違うところよ。だから、あたしは、人間ていう生き物は、軽蔑するわ」
横にホントの人間である市川先生がいるのに、聞こえるように言うので、私は、ハラハラしてきた。
「ちょっと、姫ちゃん。言い過ぎよ」
「イヤ、構わないよ。もっと、聞かせてくれ」
市川先生は、怒りもせずに彼女の話を聞いている。
それからも、彼女は、人間の悪口を延々と話し続けた。
人間同士で殺し合ったり、嘘をついたり、地球というかけがいのない星のありがたみを知らないとか自分より弱い生き物を殺したり、差別したり、自然を破壊したり、人間の愚かな行動を話し続けた。
私自身、同じことを何度も考えた。なぜ、同じ人間同士で、こんなことをするのか?
だけど、いくら考えても、その答えは見つからなかった。もしかしたら、正解はないのかもしれない。
「だけどな、人間の一生は、あたしたちから見たら、ものすごく短い。一瞬にして、生まれて死ぬ。こんな種族は、見たことがない。だから、人間たちは、みんな、短い人生を大事に生きているんだ。人を愛して、子供を育てて、一生を過ごすんだ。こんな生き物は、地球人だけだぞ」
彼女は、さっき聞いた、おじさんの話と同じことを言った。
私は、それに、感動すると同時に、彼女の口から聞くとは思わなかったので驚いた。
「だから、あたしは、人間が好きになった。こんな短い一生を、ものすごく大事にしているんだ。どうかしら? これでも修行してないっていうの? 少しは、人間のことを勉強してるのよ」
彼女は、そう言って、大きく胸を張った。確かに、その通りだ。私の方が、修行が足りない。
「ごめん、姫ちゃん」
「おい、麗子。どうした、なんで泣いてるんだ?」
私は、知らないうちに、涙を流していた。頬を伝う涙すら、私は、気が付かなかった。
「麗子さん」
「麗子」
先生と彼女が心配して声をかける。
「あっ、ごめん。何でもないの」
私は、そう言って、慌てて指で涙をぬぐった。
「何でもないわけないだろ。あたしが、なんか悪いことでも言ったのか?」
「うぅん、そうじゃないの。姫ちゃんがそんなことを思っていたなんて知らなくて、ビックリして、感動しちゃったの」
「何を言ってるのよ。あたしより、麗子のが人間界は、長いんだろ。このくらい、知ってて当たり前じゃないのか」
「違うのよ。私の方が、修行が足りないってことがわかったの。私もがんばらなきゃ」
「地球侵略をがんばるのかい?」
「それだけじゃないわ。仕事もがんばるのよ」
私は、市川先生にそう言った。
「明日からも、バンバン書いてくださいね」
「こりゃ、まいった。えらいことになったな。でも、ついに、自分が宇宙人で、地球侵略に来た事を認めたね」
そう言って、先生は、楽しそうに笑った。
私は、しまったという顔をしたけど、もう、遅かった。もっとも、今までの会話で、バレバレだ。
「お嬢、終わったチュン」
「勉強になったニャン」
「ゲロゲ~ロ」
「そうか、よし、明日、早速、ラーメンを作るぞ」
四人は、楽しそうに夜空に向かって、声を張り上げた。
「おじさん、ありがとうございました」
「これくらい、お安い御用だよ。大王様に食べてもらえるように、がんばってほしいね」
そう言って、本気なのかわからないけど、おじさんもニコニコ笑っている。
なんだか、今夜は、みんなに元気をもらった気がした。
「今夜は、なんか、とても気分がいいわ。みんな、もう一杯、ラーメン食べる?」
「何杯でも食えるぞ」
「チュンチュン」
「ウニャ~ン」
「ゲロゲ~ロ」
「それじゃ、ぼくも、お代わりしようかな」
「おじさん、ラーメンのお代わり、五杯ね」
「あいよ。今夜は、大繁盛だな。アンタたち、わしがラーメンを作るのを見てるかい?」
「それは、ありがたいチュン」
「見せてもらうニャ」
「ゲロゲ~ロ」
私は、おじさんの後ろで、ラーメンを作る様子を見ている家来の三人を湯気の向こうで見ながら気持ちが晴れやかになっていくのを感じた。
横にいる、先生と彼女も、楽しそうだ。
明日からの活力がみなぎる思いがした夜だった。
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