仕事の依頼


「盛り上がるのは結構ですが、続きは私が帰った後にでもしてくれます?」


 そうだった。上司いたんだった。


 ハッとしたように目を向けると、呆れ返ったような視線がビシバシと突き刺さって来る。

 霜月の肩を緩く押し、離れる様にうながすと、意外にも抵抗なくスルリと離れてくれた。


 しかし側からは離れたくないのか、横にぴったりと張り付く様に並ぶと、上司に向かって剣呑けんのんな視線を投げつけている。


「ああ、仕事は今夜からお願いします。難易度の低いものにはしておきましたが、最低限の知識としるしの扱い方くらいは学んでおいてくださいね」


 ……今夜?

 上司いま、今夜からって言った?


 聞き間違えたかとも思ったが、この男のことだ。

 おそらく間違いなどではないだろう。


 しかしいくら何でも早すぎる。

 今夜からって、まるで仕事を事前に入れでもしてたかのような……。


 なるほど、そういうことか。

 そういう事なんだな?

 上司貴様、初めからそのつもりで……。


 目は口ほどに物を言う。

 たとえ何も言わずとも、私の言わんとする事を、上司は理解したはずだ。

 でなければ、上司の顔にあんな笑みが浮かんでいる理由がつかない。


 第一、もし私が今日中に承諾しょうだくしなかったら、その今夜とやらの仕事はどうするつもりだったのだろうか。


「睦月。先ほども言った通り、私は仕事が押しています。後のことは二人で話し合ってください」


 さらりと名前を呼ばれたことに気を取られ、言い返す言葉が遅れてしまった。


「霜月、名前の方はこのあと死局に届けておきます。少し早いですが、今からはその名を使うと良いでしょう」


 霜月は上司に名前を呼ばれたことで、複雑そうな表情を浮かべている。


 上司はそのままベランダに続く窓を開けると、「今日は天気が良いですね」などと呟きながら外へ出ていく。


 ちなみに今朝の天気予報では、笑顔のまぶしいお姉さんが、「湿った曇り空と夜間に降る激しい雨にご注意ください〜!」なんて話していた。


 ベランダに吹く風が上司の服のすそ悪戯いたずらくすぐり、雲の隙間から差し込む光が白黒のコントラストをより際立きわだたせている。


 不意に窓から強い風が吹き込み、思わず目を閉じた私の耳に、「ああ、それから」と話す上司の声が聞こえた。


 まだ何かあるのかと疑う私へ、その声は存外はっきりと響く。


「言ったじゃないですか。最初から拒否権なんてものは無いと」


 薄く目を開けた私が最後に見たものは、柵越さくごしに笑う上司と、黒く長い髪が舞い遊ぶようになびいている。

 そんな光景だった。



 ……誰だったっけ、13階から帰すのはモラルがないとか言ってたやつ。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 あんなに強い風が吹き込んだ割に、部屋はいつもと変わらない日常を保っている。


 まるで、今あった出来事が全て夢だったと言われた方がよほど納得出来そうな有様だ。

 けれど、私の真横にはもれなくその全てをひっくり返せるほどの非日常そんざいがくっついているわけで。


「えーと、霜月……さん。ちょっといいかな?」


 さっきは雰囲気で呼び捨てにしていたが、霜月はこれから一緒に仕事をする言わば同僚どうりょうのような存在だ。


 彼が幾つなのかは知らないが、死神歴で言うなら間違いなく先輩と後輩。

 いきなり呼び捨てにするのはいかがなものか。


 私なりに考えて呼んだつもりだったが、霜月からすると気に入らなかったらしい。

 少し上から見下ろしてくる霜月の瞳には、不満がありありと詰め込まれていた。


敬称けいしょうはいらない。俺のことはさっきみたいに霜月って呼んで欲しい。……だめか?」


 いや、全然オッケーです。


 ちょっとだけ傾けられた首と、顔面のパワーとが相まって、破壊力が桁違いになっている。

 どこぞの大佐みたいに、「目があぁぁ」ってなりそう。


「えっと、じゃあ……霜月」


 名前を呼ぶだけなのに妙に照れ臭い感じになってしまった。

 名前を呼ばれた霜月も、少し照れくさそうに顔を緩めている。


 目は無事にご臨終りんじゅうしました。


 私の頭の中がこうなのは一旦置いておくとして、今は何かと話すことが山積みの状態だ。

 溶けきった空気を払拭ふっしょくするように、ぱちりと一つ手を合わせた。


 気を取り直すように霜月を見つめると、霜月もまた表情を引き締め、真っ直ぐこちらを見返してくれる。


 霜月の静かでき通った瞳を見つめながら、私は先ほどから気になっていたことを口にした。


「そういえば霜月。何で目の色が変わってるの?」


 

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