ep.7 パートナー


 初めて見た時、霜月の目は髪と同じ黒色をしていた。

 でも今は、透き通るような金に変わっている。


 まるで、冬の夜空に浮かぶ月のような色だ。


「死神同士には、本来の色が見えるんだ。睦月がさっきまで違う色に見えてたのは、おそらく装束しょうぞくの影響によるものだと思う」


 死神の装束とは、死神が現世で仕事をする際に着ているものらしく、人間が実体化した死神を視認した際、限られた情報しか得られなくなる効果が付帯ふたいされているらしい。


「つまり、今見えてるのが死神としての本来の霜月で、さっきまでの霜月は装束の効果を通して見てた霜月……ってこと?」


「うん。当たり」


 頷いた霜月は、何やら部屋をくるりと見渡している。


「少し座って話そう。睦月も、色々と聞きたいことがあると思うから」


 霜月の提案は、正直願ってもないことだ。


 アポもなくいきなり家に来襲らいしゅうされて、既に疲労値は高を叩き出している。

 その上、仕事は今夜からときた。


 せめて次の日以降にしてくれたら良かったものを……。

 ほんと上司あのやろう。


「こっちに座って。あ、何か飲む?」


 椅子は一つしかないため、窓際にあるテーブルの方に座布団を二ついた。


「睦月の入れてくれたものなら何でも飲む」


「分かった。先に座ってて」


 来客用のコップを出すと氷を数個落とし、冷蔵庫にストックしていた麦茶を注ぐ。

 テーブルまで運ぶと、霜月はお礼を言いながらコップを受け取り口をつけている。


「死神って飲食とかするんだね」


 口に出してから、この言い方ではいささか誤解を生みかねないことに気づいた。


「することを否定してるんじゃなくて、単純に人の食べ物を口にできるんだなって」


「分かってる」


 安心してと言うように微笑んだ霜月は、正面の私に向かって手を伸ばしてきた。

 テーブルを挟んで差し出される手は白く、綺麗な形をしている。


「触ってみて」


「……さわる? あ、うん。触る、ね」


 一瞬、頭の中に宇宙が広がった。


 考えてもみてほしい。

 美少年にいきなり「触ってみて」と言われて、素直に触る大人がどれだけいるだろうか。


 死神だし、年齢とかも不詳だし、何ら法に触れないことは分かっている。

 しかし、私の矜持きょうじが……。


 迷うように彷徨さまよっていた手を見て、霜月は私が触るのを嫌がっていると思ったらしい。

 しょんぼりした顔で「いきなりごめん……」と謝ると、手を戻そうとしている。


 その手が引き戻される前に、私はもの凄い速さで霜月の手を掴んだ。

 自分でも驚くほどの、驚異的なスピードだった。


「す……スベスベしてますね」


 おい嘘だろ私。

 言うに事欠いてそれか。

 軽く思考停止状態の私に対し、霜月の顔は一気に華やいでいく。


「気に入ったなら、いくらでも触っていい」


 嬉しそうにしている霜月を見ていると、それならまあ良いか……なんて思考になってくる。

 手に触れながら案外人と変わらないつくりに感心していたが、その反面、ぬぐい切れない違和感も覚えた。


「体温がない……?」


 人間にはあるはずの温度が、霜月の手には全く感じられなかったのだ。

 まるで死人の手だと言っても過言ではないほど、霜月の手は冷え切っている。


「そう。死神には人間のような体温は無いんだ」


 霜月はゆっくりと手を引くと、目の前に置かれたお茶を指した。


「このお茶も飲めるし、食事をすることだって出来る。でも、それが死神の活動エネルギーに変わることはない。人間の様な見た目をしていても、この体に体温はないし、走って汗をかいたり、食事をして排泄することもない」


 淡々と話し続ける霜月だが、どこか顔が強張こわばっているようにも見える。


「ただ、五感はあるから味も分かる。死神の中には娯楽ごらくとして、人間の食事を毎日取るやつもいるくらいだ。だから、その……」


 不安なんだろうか。

 私が霜月をどう思うのか。


 霜月が何故、私にそこまでこだわるのかは分からない。

 けれど、分かっていることもある。


「お茶、美味しかった?」


 ただのお茶とあなどることなかれ。


 茶は美味い。

 これはもはや鉄則だ。

 夏には冷たい麦茶が、それはもう染み渡るのだから。


 霜月は何度か瞬きを繰り返すと、ハッとした様に大きく頷いた。


「美味かった! 睦月がいれてくれたから」


 何度も頷くのを見て、つい笑みがこぼれる。


「お茶は誰がいれても美味しいよ」


「そんなことない。睦月がいれたお茶の方が美味いに決まってる」


 自信満々に返す霜月に、思わず声を出して笑ってしまった。


 こんな風に笑うのはいつぶりだろう。

 張り詰めていた気持ちが、するすると抜けていくのを感じる。


「私は死神について全然知らないし、分からないことだらけだけど、引き受けた以上はきちんとやるつもり」


 霜月と真っ直ぐ視線を交わす。

 

「霜月のパートナーとして、私も精一杯頑張る。だから、これからよろしくね、霜月」


 今度はこちらから手を差し出した。


 霜月は少し眩しそうに目を細めていたが、差し出された手に気づくと、そっと手を取ってくれた。


「……うん。こちらこそよろしく、睦月」


 霜月の冷んやりとした手に私の体温が移るよう、ぎゅっと握りしめておいた。


 

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