絶好の危機
一言でまとめるなら、うわ……こいつやりやがった、である。
「問題なく定着したみたいですね。これでやっと、次の仕事に行けます」
固まる私に対し、男は何事も無かったかのように話しかけてくる。
もしかしてこれ、私がおかしいんだろうか。
そんな気持ちで男の後ろに目をやるも、少年は少し
死神にとって、こういった行動を取ることは、大した問題ではないのかもしれない。
そう思いかけた時、「シドウ」と呟く声が聞こえた。
男の頭上にキラリとした光が見える。
次の瞬間、男の居た位置には身の丈ほどもある大きな銀の鎌が突き刺さっていた。
「おやおや、随分と手荒い真似ですねぇ。仕事用の鎌なんですから、大切に扱わないと駄目ですよ。ただでさえ、死界の経理は
「黙れ。お前が死ねばやめる」
少年は鎌を引き抜くと、グルリと回転させながら方向を変え、刃の部分を男に向けるように構え直していく。
天井に当たりそうで心配していたが、鎌は壁に当たる直前にスルリと縮み、今は先ほどよりも一回り小さい状態で少年の手に握られている。
なるほど、伸縮可能な鎌でしたか。
ってそうじゃないそうじゃない。
というか、ちょっと待てよ……。
鎌が刺さっていたように見えたが、今の床って──。
「直して」
「はい?」
部下に殺意を向けられても余裕の表情を崩さないまま、上司はこちらの声にチラリと意識を向けた。
今にも上司殺害を実行しようとしていた少年の方は、私の声に手を止め、しっかりと耳を傾けている。
「今すぐに床を直して。じゃないと」
「じゃないと、何です?」
「絶交する」
少し
「貴女、絶交って言いました? 何を言うかと思えば絶交するって……! ほんと、愚かで可愛らしい部下が出来たものです」
ケラケラと笑う上司(仮)の後ろでは、少年がみるみると顔色を無くしている。
白かった肌は今や青白く、唇から血色がなくなっているほどだ。
手に持っていた鎌がシュルリと黒い霧のように変形し、跡形もなく消えていく。
「今すぐ直すから……むつき、絶交するなんて言わないで……」
少年はヨロヨロとした動きで床の穴へと近寄ろうとするが、あまりの悲痛な顔に、こちらが悪いことをしているような気持ちになってくる。
しかも顔が綺麗すぎて、受ける効果が何倍にも割増されているのだ。
顔がいいってずるい。
「ごめんね、言いすぎた。上司に直してもらうから大丈夫だよ。私のために怒ってくれたんだよね? ありがとう」
少年の側に近寄ると、そっと隣に寄り添い声をかけた。
少年が私を思ってしてくれたことは確かだし、何より元凶は間違いなく
「おや、何故私が直すのですか? 絶交と言いましたが、もしそれをすれば、私よりも貴女の方がよほど困ることが多いと思いますよ。まあ、貴女が直して欲しいとお願いしてくるのであれば、上司として力になることもやぶさかではありませんがね」
そっと肩に手を置き
「直してくれないなら別にいいです。死界とやらに経理があるなら、おそらく人事のような部署もありそうですね。そこに連絡して、上司からセクハラを受けたと報告します」
人事、報告、という言葉を聞き、上司から笑みが消えた。
「いきなりセクハラを受けて、心に大きな傷を負わされた。これではとても死神業を頑張れそうにない。といった感じで、涙ながらに訴えてみることにします。あ、ついでに床の修理費も、経理の方に請求しないとですね」
先程までの余裕はどこへやら、上司は見るからに嫌そうな顔をしている。
これは行けるな。
「どうやら、貴女との間に大きな誤解が生じているようですね。私はあくまで上司として、何か問題が起きてないかを確認する必要があったんですよ」
返事を返さずジッと見続ける私に対して、上司はさらに言葉を付け加えていく。
「それと、印の確認は『印を刻んだ者が行う』という
「報告します」
「分かりました、分かりましたから。はい、これで直りましたよ。なのでこの件はこれで終わりにしましょう。私たちはこれから、上司と部下になるんです。穏便に行きましょう」
即座に床を修復した上司の様子に、予想が的中したことを悟った。
思ったより良い
床に関しては、見た目だけなら完璧に元通りの状態になっている。
これぞ、計画通り……ってやつだ。
「むつき。こいつはかなりの性悪だけど、死界での立場や力の強さは桁違いに高い。だから、今回のことは一つ貸しにしておくと良い。きっと何かの折にこいつを
「なるほど。じゃあそれで手を打ちます。これからよろしくお願いしますね、上司さん?」
少年のアシストに、内心ナイスボタンのプッシュが止まらない。
綺麗な顔に反して少々えぐい悪態をついていた気もするが、そんなことはこのナイスアシストに比べればほこりの様に
「やれやれ。何故こうも私の部下には、一癖も二癖もあるものばかりが
上司の呼び名は常闇というらしい。
イメージ的にもピッタリのそれらしい呼び名だと思うのに、何とも言えない違和感が胸の中で
「とこやみ……さん?」
「直接呼ぶ時は、好きな呼び方で構いませんよ。部下の中に、私をその名で呼ぶ者は一人も居ませんからね」
上司がチラッと横目で見るも、少年は素知らぬ顔でそっぽを向いている。
「あ、彼の名前は何て言うんですか?」
これから一緒に仕事をするパートナーの名前だ。
思えば、誰の名前も知らないまま契約までしてしまった。
何だかもう、感慨深い気さえしてくる。
「彼に名前はありませんよ」
「え?」
「今から貴女がつけるんですから」
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